久しぶりにamazarashiを聞いている。
人の生き様を季節と例えるものは多く
私たちミドル世代は秋と言われる
収穫は多いけれども冬へと向かっていく
寂寥感がまとわりついてくる
そういう季節になっているのだと思います。
季節はどこが好き?と聞かれたら
春と秋と言っていたけれど、
本当は夏が大好きなsachiakiです。
暑くて大変だけど、やっぱ活力に溢れてて
夏は楽しいですよね。
とはいえ、夏なんていうのはとても短いシーズンで
(昨今は春と秋がなくなってきてるので夏も長く感じるけどね)
今振り返ると短い夏を精一杯楽しんできたなぁと
眩しく感じるばかりです。
久しぶりに聞いている『季節は次々死んでいく』と
『ワンルーム叙事詩』と『無題』に
自分は変わっていないのに
風景や季節や景色が変わっていくことに
ついていくのが難しいと思い出させられます。
季節は変わり巡っていく。
その度に景色は変わっていく。
それに適応できないままでいると
”適応障害”へとだんだんと陥ってしまいます。
生物は”適応”することで生き延びていくのであって
生まれながらに”適応”するのが難しい人には支援があって
適応できる=自立を目指していくものですが
逆に自立から外れていってしまった人たちにも
支援は用意されています。
ですが、基本的に忘れてはいけないのが
”適応”できる状態へ目指すものなので
自分でどうにかできそうだったら
なんとか変化していかなくてはいけません。
じゃんけんと同じで自分が最弱だと思ったら
場所が変われば最強なんてこともありますからね。
一般的に変化をもたらすには
・自分自身の生活を変える小さい変化
・友人などの所属するグループを変える中規模の変化
・引っ越しなどの生活様式を一気に変える大きい変化
と、これらが変化の分類としてあります。
50歳を目前にして変化をするのなら
我慢して耐え忍ぶのと同時に
これからの冬の準備をしなくてはいけません。
冬に強い生物を目指して。
たくましく生き延びたいものです。
さて、作業があるのでこの辺にて。モイモイ