いきなり専門用語出すのやめーや
って自分でも思うんだけど、
まぁなんとなく伝わると思うので
そのままにして話を進めようと思うsachiakiです。
なんていうかね。
世の中っていうのはいろんな意見があっても
投票なんかでは「賛成」か「反対」かの
究極の二択が迫られるわけなんですが
基本全てのジャッジって
グラデーションで構成されてると思うんです。
「◯◯よりかはちょっと好感が持てる」
「◯◯よりかはちょっと好きになれない」
みたいん感じでグラデーションの濃い方が
究極の二択の「そうである」「そうではない」に
相当すると思うんです。
だからね、「◯◯ってどう思う?」って聞かれたところで
「好き」「嫌い」の間にも当然グラデーションがあって
ド真ん中にある「どちらでもない」っていうのは
関心度の高さによってはありがちな答えになるんですよね。
「どっちでも良いわ」みたいなことですね。
もちろんその質問をかけてきた人にとっては
自分の好きなものを他の人も好きであって欲しいでしょうから
「嫌い」って言われたらいい気持ちにはなりにくいでしょう。
でもさ、そもそも論として。
”私とあなたは違う人” なんですよ。
自分の好きなものが常に他の人も同じように好きとはならんのです。
この混じり合えない領域があるから
人は自分以外というものを認識できるし
それを大切にしようって思えるわけです。
っていうのような話は最近はとくによくされるものなので
「存じておりますわ(ツーン)」ってなるのも
すごくわかるんですけれど、
知っていることと了解することはちょっと別なんですよね。
知っていても了解できないことなんて山ほどあるでしょ?
例えば彼や彼女が激辛カレーが好きだってことは知っていて
できたら一緒に食べて欲しいってことは知っているけれど
自分は辛いのが苦手だから食べることは避けたい
とかさ、あるあるですよね。
でも白黒思考になりやすい人は
ここで拒否されたことで自分のことまで拒否されたような
そういう気持ちになってしまうんですよね。
私も子供の時は反対意見を出されたりすると
あの人は私のことが好きじゃないのかも
なんて考えたりもしたけれど
全然違う話なんですよね。
作品作りをしているので、作品に批判が入ると
自分を批判されているように感じるってことは
まだちょっとあるけれど、
作品と私は別のものだし、
そもそも批判をされたからといって
即座に嫌われている、否定されていると感じるのも
精神が未熟だなって思います。
※誹謗中傷は全然別の話です
というわけで、ちょっとでも自分の期待していた答えとずれると
即座にフリーズしてしまう人は
ちょっと白黒思考が強いと思うし
他人と自分の境界線がちゃんとできてなくて
けっこう生きづらいと思います。
だって世の中は自分以外の人やもので溢れかえっていて
思い通りにはならないんですから。
思い通りにならないのはシンドイけれど
その思い通りにならないことを楽しむのが
生きやすくしてくれるのかもしれません。
どうやったらそんな風に
多様な考え方を受容できるようになるか
それはまた別の話なので今日はこの辺にて。
モイモイ