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あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

発達に問題を抱えた方がたまに暴走をする

2022-08-01 | from:sachiaki
私のスタンスはどんな人間も一長一短の個性があり、
環境によって長所が短所に、短所が長所になりえて
同一にパワーバランスに優れると凡人になる
って思っていて、子供の頃に神童であっても
二十歳過ぎればただの人っていうのも
この尖っている部分を補正していった結果がそうさせるんだろう
なんてことを思ったりしているsachiakiです。

で、今回は何が言いたいのかっていうと
この長短で考えた時の目に見える特徴というのもが
暴走する波っていうのが人間にはあって、
その特徴の大きさゆえか
発達と呼ばれるものに難を持っている人が
常識ではありえないことをするなぁ
なんて思ってしまうんですね。
彼らからしても
それはどうにも制御できないものだと聞いているだけに
そうか、それは仕方ないなって受け止めているんですけれど
こういった問題の最も難しいところは
当事者同士の方が分かり合えると思いきや
互いにその最も良くないところをむき出しにして
吠えあったうえに、互いに私は被害者だ!と言い合うところで
まぁこれは発達に難儀を抱いていない同士でも
感情的になって仕舞えば起こり得ることでもあるんだけど
その頻度に問題があって
えぇ?どうしてぇ??ってなってしまうんですね。
いわゆる年相応の発達をしてきたら
自分を省みたり客観視して”前回は言いすぎてしまった”とか
”こういったことは言ってはいけないんだ”とか
そういったことを活かせるものなのですが
どうもそういう風にはいかないようです。

しかし誤解なくしてもらいたいのは
そういった部分を深く観察し
訓練してくる人もちゃんといて
そういう人は私なんかでは至れない
すばらしい人格者となっているってことなんです。

そういうわけなので、
私は発達にハンディを抱えている方が
「私はこういう辛さを抱えているのだから
 あなたたち持っている側が慮るべきだ」
という主張には少し疑問に思ってしまうわけです。
もちろん持っている側や強い側が弱い側に配慮するのは当たり前だけど
それで主張する側が努力をしなくても良いっていうのは
さすがに虫が良すぎるって思うんですね。
差は埋めるためにお互いが努力するものだし、
どうにも超えられないものがあるときは
その時線引きを考えましょうって思うんです。

で、強弱がある時の振る舞いのまま
お互いの事情がわかっているはずなのに
一番言われたくないことを知っているくせに
それを抉るように使う人っていうものい関しては
正直慮ることがあるだろうか?
って思ってしまうわけです。
そこは言い訳通じないぞ、と。
互いが慮るべき相手とわかっていて
それができないのを障害という言葉で封じてはいけないだろうと。
さすがにそれはねーよっていう案件を目にしてしまい
言い放った側が全力肯定されているのを見て
そりゃ発達という成長できるものを自ら掴み取らないのだし
周りも成長させないようにしているのだから
その人に対して同情の余地もないなってなったのです。
子供同士の喧嘩だってもっと人に対して真摯だろうと。

私は甘やかすのが好きな方だけど
ただわめくだけの人に対しては割とドライだな〜
なんてことを改めて思ったのでした。
とにもかくにも頑張って成長しなよと。
別に超人になれといっているのではなく
人として持っていないとならない情緒のコントロールぐらい
持ってて損はないですしね。
とはいえ、バブみが尊い…みたいな感性で
それを持ち上げてくれるフォロワーが十分にいて
生涯を自分でコントロールするのではなく
まわりの一喜一憂に振り回されているのが
刺激的で楽しいというのなら
それはそれでお幸せにってエールを送ります。

そんな感じ。
さて、そろそろ今日の会議議事録をアップしないとなので
作業に戻ります。またね〜!モイモイ
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