あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

神話的か物語的か

2020-12-21 | from:sachiaki
ふとそんなことを考えていたsachiakiです。

神話だって物語の一つなんだけど、
ここでいう神話とは
・語るものにオチがなくても良い
・そこに大きな善悪は語られていない
・主人公の目線というものがない
(あるにはあるけれど、引いてみると主観があまりない)

というところを軸にしてみました。
物語というのは起承転結があり、
主観がどこかに一貫性を保つために
たとえそれぞれの陣営はあっても
人の目線から離れることがないもの、って思っていまして、
そこには「意味」だったり「善悪」だったり
「正義」だったり、そういった中心となるコアがあって
それらを中心に語られるけれど、
神話と呼ばれるものには起承転結もなく、
突然始まり、突然に終わったり
人間の倫理や思考では考えもつかないような不条理があったり
なにを語っているのかが全容が掴めないような
そういったものを指していると思っているのです。
ただあるがままに紡がれいるもの、とでも呼びましょうか。

この前提条件で考えてみると
桃太郎は物語的であり、浦島太郎-かぐや姫は神話的。

神話というものは”そういう風にできている”とでもあるような
わかるんだけど、全体では語れるのに細部では語れないような
そういったものがあるような気がします。

さて、そんな感じで境界を引いてみた時、
私のイメージでは集◉社の作るものは物語性を好み、
講◎社の作るものは親和性を好むんじゃないか?
なんて思ったりしていました。

ゆえに読後の間のスッキリしやすい
「意味」や「目的」のシッカリしているものは集◉社的で
ポピュラー層をシッカリと鷲掴みする強さがあり、
物語のゴールはあるけれど、そこに「意味」や「目的」といったものが
測り難い尺度が広すぎてわかりにくくなりがちなのが講◎社的で
玄人好みのものとなるのかなって感じです。
もちろんどちらの出版物も好きです。
ついでにいえば私は白○社の漫画で育っているので
そこだって忘れ難いものがあります。

で、なんでそんな話をしているかといえば、
なんとなく、「進撃の巨人」「ベルセルク」「ファイブスターストーリー」
「ディエンビエンフー」「寄生獣」「封神演義」「宝石の国」あたりは
神話的だな〜って自分の本棚を見て思ったからなのです。
無慈悲というか、人類めっちゃ大変って感じだなーと。
だって「意味なんてない」かもしれないんですものね。

生きる意味、戦う意味、恋している意味、成長する意味、
それらが真っ向から否定されても
そこに自分から”何か”を見つけ出していかないといけない。
それは万人にとって共通のものではないけれど
物語は流れていて、同じものを見ながら千差万別のことを思う自由がある。
誰にも指図されない、読者が勝手に読み取っていくもの。
事実はあるけれど、真実がないことの容赦のなさ、
そういったものが面白いんじゃないかなって思いました。

と、書いてはいるけれど、
当然作者さんたちにとって「こういう解釈をして欲しい」という流れはあると思うし
「意味」も用意されているんだと思います。

こういった好き勝手が言えるのも素人の個人的感想が許される場だからですね。
研究しました!なんて言ったら、どこからぶん殴られるか戦々恐々としますw

そんな私は昨日ひたすら歩きまくったおかげで
ちょっと体力が落ちているところです。
こういった気の抜けている時ってのは危ないので
さっさと寝ることにいたしますよ。

どーでも良い日記をいつも読みに来てくれてありがとう。

そうそう、来年の干支に合わせて
「白黒つけようや」Tシャツに牛を加えてみました。


購入してくれた方から
「金融街で有名なブルの彫刻があり、
 それを彷彿とさせるから金運上がりそう!」
ってコメントをもらえて「あざーす!」ってなりました。マジありがたい……。
もしよかったらあたいの次のコス衣装だったりして
またミヤニヤしたものを上げられると思いますので
応援してもらえるとありがたいです。

お気持ちで。

長くなった日記の終わりが宣伝ってのもどうなの?
ってことで、今日もこのへんにて!モイモイ
コメント
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