constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

領土ゲームの方程式

2008年07月24日 | nazor
現在の東アジア国際政治に横たわる争点のひとつである領土問題をめぐって、日韓と中露できわめて対照的な状況が生じている。すなわち日韓において、文部科学省が中学校の学習指導要項解説書に竹島を日本領と明記する方針を示したことが韓国側の強い反発を招き、駐日大使の帰国や各種の交流事業の中止が相次いでいることは、領土問題についての日韓の認識に大きなズレがあること、そして双方を満足させる解決策を見出す取り組みに内包されるアポリアを垣間見せる。他方で、7月21日、中国とロシアとの間でロシアが実効支配していた大ウスリー島西部とタラバロフ島を中国に割譲する形で国境線画定に合意したことは、以前から中露間の国境画定交渉から得られる知見を北方領土問題解決に応用する動きが見られるように、領土問題解決に対するひとつの道筋を示す注目すべき出来事である(岩下明裕『北方領土問題――4でも0でも、2でもなく』中央公論新社, 2005年)。

国力を高め、国益を確保する目的および手段を指標とした場合、軍事力を主な手段として領土の獲得および拡張を目的とするテリトリアル・ゲーム(あるいは武力政治の世界)と、貿易や通商を通じた富の増大を目的とするウェルス・ゲーム(貿易の世界)とに国際関係の行動準則を分けて考える視座がある(たとえば、リチャード・ローズクランス『新貿易国家論』中央公論社, 1987年、および猪口邦子『ポスト覇権システムと日本の選択』筑摩書房, 1987年参照)。この視座がリアリズムとリベラリズムの系譜に位置づけられるものであり、紛争圏/平和圏(デモクラティック・ピース論)、歴史世界/ポスト歴史世界(フクマヤ)、あるはホッブズ的世界/カント的世界(ケーガン)といった世界表象の一変種であることは論を俟たない。そしてこの視座から見たとき、国家の行動は、二つのゲームどちらか一方によって規定されているという排他的なものではなく、国家指導者の世界観や国家を取り巻く地政学的条件に規定され、また時代状況の変化に応じて一方のゲームの性格が他方よりも前景化したり後景化したりするという意味で補完的な関係にあることもつとに指摘される点である。

兵器の近代化や総力戦時代の到来によって政策手段としての戦争がコストパフォーマンスの点で問題視され、また戦争の違法化や領土尊重などの規範が国際的に確立・受容されるにしたがって、領土変更を通じた国益の実現は外交政策上ほぼ不可能となり、あえてそれに踏み切った場合、1990年のイラクによるクウェート侵攻の結末が示すように国際社会からの制裁を覚悟しなければならず、きわめてリスクの高いことは明らかである。それゆえ長期的な趨勢として、テリトリアル・ゲームからウェルス・ゲームへと(とりわけ先進諸国の間では)その比重が移りつつあるといえるかもしれない。しかし完全にテリトリアル・ゲームの要素を考慮に入れず、現代の国際関係を説明してしまうことは近視眼的な態度であり、テリトリアル・ゲームの「退場」というよりも「変容」に目を向けるべきであろう。すなわち、ある領土に住む人々の意向を汲むことなく領土の割譲が君主/政府間で行われていた16-18世紀のヨーロッパ国際関係において、領土が自由に交換できるモノとみなされていたことを意味していた。したがってゲームの性格は、その名称とは逆説的に脱領域的な意味合いを強く帯びていたといえる。前述したように国家政策としての戦争が費用対効果の点で割の合わない手段となり、また主権国家の国民国家化や旧外交から新外交への移行によって君主や政治指導者が有していた政策選択の自由度が制約されるようになるにしたがって、領土の獲得・拡張を通じた国益の実現は確実な政策構想とはみなされなくなっていったわけであるが、それはテリトリアル・ゲームの脱領域的性格の変容、換言すれば領域化と捉え返すことができる現象だといえるだろう。

テリトリアル・ゲームの変容(領域化)は、紛争の平和的解決を促す一方、領土の割譲や国境線の変更という可視化された比較的容易な解決策を実質的に不可能にする点で、領土問題はきわめて複雑な方程式としての性格を強めていった。この困難性は、領土確定のコロラリーとして範囲が決定される排他的経済水域(EEZ)をめぐる問題、そしてEEZによる海の領域化を前提とする海底資源開発や漁業の在り方に影響を与える形で、ウェルス・ゲームと密接に関わり、利害関係をいっそう複雑にしている。いわばいったんその役割を終えたように思われたテリトリアル・ゲームが基底においてウェルス・ゲームの展開を枠付けているのである。さらに領土変更の不可能性は、現存の国境線の既成事実化/自然化を促し、その領土を失うことに対する危機感を高め、いくらかでもその兆候が見える問題解決に対する反発や不満をもたらす。またこの失う恐怖を埋め合わせる形で争点となっている領土の固有性が歴史学や考古学といった学知を総動員することによって遡及的に跡付けられていくことで、アイデンティティ・ゲームの様相を帯び始める。こうしていわば気軽に交換できた領土は、自国の存在理由と切り離すことができないものへと変貌していくことによって、そのゼロサム的な性格が強化され、たとえば共同開発などのプラスサムを目指した解決策は、「問題の棚上げ」的な意味で理解される状況が現出している。

このように性格の異なるゲームが複合的に絡み合っている現代の領土問題の特質が顕著に現れているのが日本の位置する東アジアである。田中明彦の「三つの圏域論」に従えば(『新しい「中世」――21世紀の世界システム』日本経済新聞社, 1996年)、東アジアは、まさしく「新中世圏」と「近代圏」という異なるゲームのルールが作用する圏域の共生空間であり、単一のゲームのルールに従って行動するよりもはるかに高度な外交術が求められる。その意味で冒頭に挙げた中露の国境画定合意は、両国とも「近代圏」に属しているため、互いの行動規範を理解できた結果だともいえる。他方で日韓(あるいは日中)の場合、まさに「新中世圏」と「近代圏」との異なる圏域間に横たわる争点であるため、解決の糸口を見出すことは容易ではない。この趨勢はたとえば韓国が「新中世圏」に移行することになっても解消されるわけではなく、むしろ「新中世圏」の主要な争点がアイデンティティをめぐるものであることを考えたとき、同じゲームのルールに従うといっても「近代圏」の場合とは質的に異なる先鋭化した形でテリトリアル・ゲームが展開されることになる。このことは中露の事例から日露あるいは日韓の領土問題に対する何らかの含意を機械的に引き出そうとすることの陥穽を示唆している。

「吉田ドクトリン」に象徴されるように日本がテリトリアル・ゲームへの関わりを最小限に抑え、ウェルス・ゲームに専念できた戦後国際環境の変容は、新たな国家/国民アイデンティティの構築過程において近隣諸国との境界線に対する意識を芽生えさせ、改めて日本の抱える領土問題の存在に目を向けさせることになった。しかしながら、ウェルス・ゲームに専念できたことは領土問題に無自覚であったことの裏返しでもあり、たとえば講和条約締結において冷戦戦略を優先させる帰結として領土の帰属先を曖昧なままにしていたことが今日の領土問題の源流となっていることを考えたとき、戦後の日本および東アジアの国際関係には解明されるべき空白は存在しているといえるだろう。
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