constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

連鎖する誤記

2011年06月30日 | nazor
アンドレイ・ランコフ『スターリンから金日成へ――北朝鮮国家の形成 1945-1960年』(法政大学出版局, 2011年)の「訳者あとがき」を読んで気になったのが、「ランコフ氏の著書が日本で紹介されるのは初めてである・・・」(261頁: 強調引用者)という記述である。続けて紹介されている英文著書のうち、North of the DMZ: Essays on Daily Life in North Korea, (McFarland & Co., 2007).は、『民衆の北朝鮮――知られざる日常生活』(花伝社, 2009年)としてすでに翻訳されており、またその「訳者あとがき」では「前者[『スターリンから金日成へ』]は(・・・)、邦訳が近く刊行されると聞いている」(382頁: []内引用者)とある。『スターリンから金日成へ』の翻訳企画が2003年に始まったため、2007年刊行の『民衆の北朝鮮』の邦訳が出ることについて知るはずもないとしても、「訳者あとがき」を執筆する段階で、ランコフ自身に確認をすれば、容易にそのほかの邦訳情報を知ることができたはずで、疑問の残るところである。

ひとつの原因として、国立情報学研究が提供している目録サービス NACSIS Webcat で、『民衆の北朝鮮』を検索すると、著者標目で、Lankov ではなく、 Rankov と誤記されていることが考えられる(検索結果)。目録作成過程における誤記によって、同じ著者にもかかわらず、別人として処理されてしまい、すでに存在する邦訳の情報が得られなかったのであろう。それ以上深く確認しないままに、検索結果を信用したため、『スターリンから金日成へ』が初の邦訳とみなしたといえる。

なお『民衆の北朝鮮』の所蔵図書館を見てみると、愛知大学のように「302.21:R15」と誤記が訂正されないままの図書館がある一方で、国際基督教大学のように「302.21/L267nJ」と訂正されている図書館もあり、個々の図書館によっては対応がなされている。しかしNACSIS Webcat が提供する情報は、書誌ユーティリティー機関という性格上、情報の正確性および真正性が自明視されているため、いったん誤りを含んだ情報が登録されたとき、それれがコピーされて各図書館の目録として利用されてしまう危険性を孕んでもいる。それは、利便性の代償とした個々の図書館によるチェック機能の低下を意味しているといえる(なお国立国会図書館のOPACでは、Lankov となっている)。

奥付の著者紹介や訳者あとがきでも, 「Andrei Lankov」と明記されているのに、なぜLをRと取り違えてしまうような初歩的な誤りが生じたのか。さらに考えていくと、ランコフの著書で最初に邦訳された『平壌の我慢強い庶民たち――CIS(旧ソ連)大学教授の"平壌生活体験記"』(三一書房, 1992年)で、すでにLとRが取り違えられているのだが(検索結果)、それは、この本がロシアではなく韓国で最初に出版され、その韓国語版からの翻訳であることに起因する。日本語と同様に韓国語も、LとRの区別がないため、「ラ」がLかRが確認されずになってしまった結果だろう。そして2冊目の『民衆の北朝鮮』は、『平壌の我慢強い庶民たち』の書誌情報を参考に作成されることで、LとRの誤記が継承されてしまったのである。

そのNACSIS Webcat は2012年度末でサービス提供を停止する(「Webcat終了予定および後継の検索サービスについて」)。上記のような目録情報の誤記が後継のサービスでは改善されることを願う次第である。
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