constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

「人間の安全保障」の磁場

2005年06月06日 | nazor
1994年に、国連開発計画が提起してから、ポスト冷戦の世界を象徴する重要な用語のひとつとなったのが「人間の安全保障」である。カナダ政府に続いて、日本政府も、「人間安全保障基金」を作ったり、緒方貞子とアマルティア・センが共同議長を務めた「人間の安全保障委員会」を後援したりと、外交の新しい理念として取り入れようとしているほどである(人間の安全保障委員会『安全保障の今日的課題――人間の安全保障委員会報告書』朝日新聞社, 2003年)。

1941年の「大西洋憲章」で言及された「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」という、これまでは軍事と開発という別々の対象領域に属していた問題群を結びつけた点で、「人間の安全保障」は一種の統合機能を有している。したがって、「人間の安全保障」をめぐる研究は、必然的に既存の学問体系に対する挑戦という側面、換言すれば「学際性」を併せ持っている。

こうして「人間の安全保障」という概念は一般的に認知されるようになってきたが、その過程で重大な変質を経験したとも言える。つまり、この概念が提唱された当初、「人間の」という形容詞からどうしても「国家安全保障」に対する対抗概念という意味合いで理解されてきた。したがって、伝統的な安全保障観に立つ論者からすれば、「国家安全保障」の役割を否定し、それに取って代わる概念ではないかという捉え方がなされた。その典型は、「人間の human 」を「個人の individual 」と読み替えて、国家という集合的存在を対象とする「国家安全保障」と、個人を対象とする「人間の安全保障」を対峙させる構図であろう。この構図によって、「国家安全保障」と「人間の安全保障」は異なる次元に属するものであるという理解が成立し、「国家安全保障」へのアンチテーゼとしての「毒」が抜かれ、中和化されることになった。

その結果、「人間の安全保障」に関する言説は、次のような定型句を伴うものとなった。すなわち「人間の安全保障」は「国家安全保障」に取って代わるものではなく、相互補完的な概念である。このような意味内容の操作を経ることによって、「人間の安全保障」を「国家」の政策として組み込むことが可能になる。

それゆえ、伝統的な安全保障研究に批判的な学派は、こうした「人間の安全保障」の変質を「国家」による「簒奪/横領」行為とみなす(たとえば武者小路公秀『人間安全保障論序説――グローバル・ファシズムに抗して』国際書院, 2004年土佐弘之『安全保障という逆説』青土社, 2003年: , 3章などを参照)。彼らは、「人間の安全保障」という普遍的ヒューマニズムが国家の外交政策として遂行されることによって、それが破綻国家や難民/移民などの問題を「封じ込める」機能を果たす点を問題にする。すなわち「人間の安全保障」が問われる対象は、常に途上国であり、人道援助から、武力を伴う人道的介入、さらには信託統治の復活ともいえる国際機構による暫定行政統治などがヒューマニズムの名で実行される。しかしグローバル化の進展に伴って、先進国でも、都市のアンダークラスの出現に見られるような「第三世界化」現象、つまり「人間の安全保障」の対象とみなされる状況が生じているにもかかわらず、これら先進国の「内側」の問題は先験的に「人間の安全保障」を講ずべき対象とはならない。

このことは、先に述べたように、「人間の安全保障」を「個人の安全保障」に置き換えることによって生じた帰結ともいえる。「人間の」という形容詞が意味するのが「個別的存在」ではなく、「集合的存在」であることは捨象されたため、本来であれば先進国の人々も途上国の人々も等しく包摂する普遍性を持っている「人間の安全保障」に境界線が引かれることになった。この境界線によって、「人間の安全保障」を実践する主体と、対象となる客体が分化し、固定化していく。

その意味で、「人間の安全保障」は、学問体系において統合機能を果たす一方で、その実践において分断を引き起こし、凍結させてしまう点で、相矛盾した概念である。言葉にどのような意味を吹き込むかについては、その言葉が生成した時代背景や文脈に規定されることはいうまでも無いが、「人間の安全保障」のような普遍性を纏った言葉は、そうした意味をめぐる政治の存在を不可視化させ、脱政治化させてしまうことも認識しておくべきだろう。

コメントを投稿