constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

呪縛のウェーバー

2007年12月25日 | nazor
2007年の学術書をめぐる趨勢を回顧してみれば、マックス・ウェーバー関連の研究書が矢継ぎ早に刊行された年であり、ちょっとした流行現象と形容してもよい状況である。管見の限りでそのリストを作成してみれば以下のとおりであり、その対象やアプローチもウェーバー自身の問題関心の広さに応じてバラエティに富んでいる。

・相沢幸悦『現代経済と資本主義の精神――マックス・ウェーバーから現代を読む』(時潮社)
・犬飼裕一『マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開』(ミネルヴァ書房)
・折原浩『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か――歴史研究への基礎的予備学』(勁草書房)
・今野元『マックス・ヴェーバー――ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯』(東京大学出版会)
・雀部幸隆『公共善の政治学――ウェーバー政治思想の原理論的再構成』(未来社)
・佐野誠『ヴェーバーとリベラリズム――自由の精神と国家の形』(勁草書房)
・羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ――一生を母親に貪り喰われた男』(PHP研究所)
・松井克浩『ヴェーバー社会理論のダイナミクス――「諒解」概念による「経済と社会」の再検討』(未来社)
・松代和郎『社会経済学序説――マックス・ウェーバーの科学と哲学』(昭和堂)
・クリスタ・クリューガー『マックス・ウェーバーと妻マリアンネ――結婚生活の光と影』(新曜社)
・「総特集=マックス・ウェーバー」『現代思想』臨時増刊号(35巻15号)

いちおう『プロ倫』や『職業としての政治』など岩波文庫ものは読んでいるが、ウェーバーにそれほど思い入れがないため、積極的に読んでみるだけの理由もなく、したがって以上に挙げた著作のほとんどに目を通していない。また「なぜいまウェーバーなのか」という(内外の)学界における流行事情に通じていないため、ウェーバー研究書の量産状態に対して聊か唐突な印象を抱いているというのが実のところである。しかしながら、書店の書棚を眺めているとウェーバー関連の書籍の多さは否が応にも目に付くし、ウェーバー研究(の現状)に不案内であるとしても、たとえば「羽入=折原論争」の存在は知っているわけで、その当事者が相次いでウェーバー本を刊行したとなれば、いくぶんであれ気になるのもたしかである(その経緯はマックス・ウェーバーをめぐる羽入折原論争にまとめられており、また羽入による本格的な反論本は近刊予定らしい)。

19世紀の知の巨人がマルクスであるとすれば、20世紀のそれはまさしくウェーバーといって差し支えないと思われるが、学問体系の細分化が進み、それぞれの学問間の共約可能性が限りなく縮減されている現在、いわゆる現存した社会主義の失敗によって暴落したマルクスに代わって、最低限の共約可能性を担保してくれる結節点に位置するのがウェーバーだといえる。その思索領域の広さに加えて、ウェーバー個人の人生も波瀾に満ちており、多種多様な解釈を導き出すだけの素地がある点もまた多くの研究者の関心を喚起する所以であろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« list26 | トップ | 虐殺のヌートピア »

コメントを投稿

nazor」カテゴリの最新記事