こんな女将の独り言(神戸福原ぼっかけ「あーちゃん」お店blog)

神戸は福原で細々と営んでいる「ぼっかけうどん」のお店「あーちゃん」の女将がうだうだと日々のあれこれを語ります(笑)

☆・・あーちゃんニュース!・・☆

  ★いよいよお待ちかね!ぼっかけかす汁開始★ 今年は早くも猛暑の頃から「かす汁まだ?!」の問い合わせがあり、10月に突入するや、毎日問い合わせが殺到する事態に^0^; 金時人参や霜の降りた冬大根・・、まだまだ冬野菜が入手できる状態ではありませんが、かす汁ファンのお客様の要望に応えるべく、「ぼっかけかす汁」開始させていただくことになりました(^0^)ノでも、本当に美味しくなるのはまだまだこれからです!!

震災とぼっかけ。。

2007年01月17日 | Weblog
もう12年になります。阪神大震災。
この日が近づくと、憂鬱になってくるのは、
やはり私も被災者の一人・・ということだからでしょうか。

当時の神戸は本当に悲惨でした。
私は自宅で子供たちと母(姑)と寝ていたのですが
大将はお店で寝ていたので、離れ離れ・・・
地震直後は子供と母を外に連れ出し、
パジャマ一枚、裸足で近所の学校まで逃げたのでした。
逃げながらも大将のことが気になっていましたが
生きていたら、きっと学校に助けに来てくれる!
そう思って、寒い中を子供と母と寄り添って待っていました。
そして、しばらくして、大将がやってきてくれて・・
あの時は家族で抱き合い、生きていることに感謝!!
でも、大将が現れたことで気持ちがちょっと緩んだのか
急に寒くなって、その時自分たちが着の身着のままだということに
気が付いたのでした

当時はガスも水も、そして電気も使えなくて
高層住宅に住んでいたため、エレベーターも動かなかったし、
揺れが続いていたので、大将の親戚の人たちと一緒に
加西のほうへ避難していました。
約一ヶ月ほどして神戸に帰ってきたときは
自衛隊の人たちのボランティア風呂や、
全国の沢山のボランティアの人たちの励ましのおかげで
少しずつ神戸の人たちの笑顔が戻りつつあるように感じました。
そして、なにより嬉しかったのは、
お店のある福原が、震災の影響をあまり受けていなかったこと。
もし、福原が震災のあおりを受けていたら・・
神戸はもっと悲惨な状況になっていたでしょう

とはいうものの、お店の中はひび割れと傾きがひどく、
それを修理してからでないとお店も再開できない状態;
知りあいの工務店さんにお願いしてなおして貰う事に。
今でも店の壁には大きなヒビが入っています

そうそう!お店といえば、近所のソープランドが
ボランティア風呂として無料で開放して下さっていたんです
私たち家族もお世話になりました
お湯も綺麗で、初めて見るソープの部屋の中は興味深々でした(爆)
とくに、小さな子供達は何も解らないので
珍しい形の椅子やマットにはしゃいでおりましたっけ・・

そんなこんなの震災の街で
3ヵ月後にお店を再開できたことは奇跡でした。
当時は地方の方が沢山福原に訪れてきて、ぼっかけを食べてくれました。
そのおかげで、神戸名物「そばめし」(画像は我が家のそばめし)
も有名になったようですし、
「ぼっかけ」も全国に広まったのでしょうね。
寒い日は「ぼっかけ」を食べて、身も心も暖かくしてください
コメント
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