やさしい気持ちでー大腸がんを乗り切ろうー

2012年7月に大腸がん(ステージ3a)を宣告された40代です。3年生に進級しました!子どもはまだ中学生!頑張ります★

娘の出産(入院)の時のこと

2014-01-18 12:19:57 | 日記
なんだか昨夜、久々に娘の妊娠・出産時のことを思い出しました。
前のブログにも少し書きましたが、
娘の妊娠中「前置胎盤」で60日入院していました。

妊娠4ケ月に入ったばかりで、安定期ということで安心しはじめた頃、
仕事に行く途中、
足に冷たい感覚が走りました。
足を見ると真っ赤な血がたれていました。

慌てて、近くのお店のトイレへかけこみました。
大量の出血でした。

前置胎盤・・紀子様も3人目が前置胎盤ということで
安静にされていましたね。
蛇口をひねったような大量出血=前置胎盤 といわれています。
通常よりも胎盤が低い位置にできて流産しやすい状況だったのです。

近くに、県内では有名な産婦人科がありました。
産婦人科、小児科、心療内科 心のケアまでしてくれるという
評判の産婦人科です。
目の前の産婦人科にかけこみました。
ちょうどお昼の12時半ごろで、患者もおらずすいていました。
運よく濃いグレーのワンピースを着ていて、
スカート部分は血まみれでしたが、それほど目立ちませんでした。
待合室でかなり待たされ、
診察で言われたことは、
「もう赤ちゃんの心音は止まっているので、ダメですよ。
 ここで入院してもいいし、転院してもいいし、自宅に帰ってもいい」。

この病院ではダメだと思いました。
すぐに、かかりつけの産婦人科に電話をし状況を話しました。
「そんな状況で転院してもいいって言っているの!」
と電話のむこうでかかりつけ医が言いました。

夫に連絡をし、迎えにきてもらい、車で30分
かかりつけの産婦人科に到着しました。
看護師さんが、車椅子をもって迎えてくれました。
即入院。
そして、心音は止まっていませんでした。
安静ということで、個室に入り、
ポータブルトイレを個室内で使用することとなりました。

その産婦人科は医師が数人いて、主治医は不在でしたが、
主治医が夜中に見に来てくれました。
出血がまだ止まらず、主治医は
「絶対安静ね」といい、尿道に管が入りました。
室内のトイレも禁止となりました。
「お母さんはどうでもいい、赤ちゃんが大事だから。
でも絶対助けるから」と主治医は言ってくれました。
どうでもいい、というのは私の仕事などどうでもいい、
他のことはどうでもいい、という意味です。

10日間程、尿道に管が入っていました。
シャワーの許可がでたのが40日目ぐらいだったかな~

お腹の中にも大量に出血がたまり、
それが感染源となる可能性があり、
出血が体内に吸収されるまで退院できませんでした。
退院したのは、ちょうど60日目。

その頃の私の目標は、
赤ちゃんが600グラムになることでした。
600グラムまでもてば、今の医療ならば保育器の中で
助けてもらえるからです。
600グラムを超えた時、とても嬉しかったです。

まだまだ早産の危険性も大ということで、
大学病院へ紹介状をもって転院しました。
その後、妊娠7ケ月~出産まで
自宅安静で、居間に布団を敷いた生活をしていました。
赤ちゃん用品の買い物はすべてネット、
昼食は宅配のお弁当、夕食は町内に住んでいる夫の母が
毎日運んでくれました。

昼間の「渡る世間」シリーズや
「キッズウオー」を毎日見ていました(笑)。

逆子になっても、逆子をなおす運動も禁止、
おっぱいマッサージも禁止、
そして、帝王切開で38週で無事に娘を出産しました。

今も、その時も、
多くの人に支えられ、助けていただき、
私という存在はここにあるようです。

その時の主治医は、
今は「子宮がんの患者でも妊娠できるように」という治療の
第一人者です。テレビでお顔を拝見しとても懐かしく思いました。

今日は、早朝久々に娘の寝顔を見続けました。

でも、病院選びって本当に大事ですね~~。
娘のこの記事、前にも書いたことがあったらごめんなさい。

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