とても不思議なことが起きている
別に不思議でもなんでもないと思っている人は数多くいるだろうが
疑いだすと連鎖的にいろんな疑いがでてくるのは人の世の常だ
安倍さんの事件から再び火がついたように見える旧統一協会の件
テレビ局は一時期、ある宗教団体と名称をぼかしたり
深く突っ込まなかったりしていた
だが、流石にスルーするのはできないらしく、嫌々ながら扱い始めた
ところが、それかパタッとこの件について報道しなくなった
それは前日まで鋭い追及をしていたテレビ局だけに変わり様は違和感を感じるものだ
(テレビ朝日)
現在のところ、しつこく追求しているのは日テレ系の「ミヤネ屋」とTBSの「ニュース23」らしい
他にもBSの「報道1930」があるらしいが、昼の時間だったり、遅い時間だったり
BS放送なのでみんなが見られる時間ではなさそうだ
テレビ局は民放で視聴率が上がらないとスポンサーにとって番組の存在意義が無くなるが
そうした経済的な面だけでなく民放には報道機関としての存在意義もあるはずだ
民主主義がうまく回っていく前提として、国民が正確な情報を知らされていることがある
それが現実世界でなされているのだろうか
このような実態を見ると甚だ不安を感じざるを得ない
そこで、先の戦争時のメディアはどうだったのだろうと
最近読み直しているのが「戦争と新聞」だ
「なぜあの時戦争反対といえなかったのか?」
知り合いの女性は親たちに向かってそう問いただした事があったそうだ
「そんな雰囲気ではなかった」
答えはこれだった
その時の世の中に蔓延していたのはそういう空気だったのだろう
この本を読んでいても次第に空気に飲み込まれていく感じがわかる
問題は、このときと今は似ていないか?という点だ
知らず識らず大衆の気持ちがある方向に流されていく
それは正確な情報を得られないためだが
そんなことは今の時代にあるはずない!
と言い切れるか!が大いに疑問だ
田舎にいても自分は現在のテレビメディアの異様さを実感する
確かに大衆の多くが意識高く持つことは不可能だが
それでも、あまりにもその時の空気に流されやすい人が多すぎるのは問題だ
時々、テレビ局は自滅していると思うことがある
こうした報道についての姿勢もその現れだが、
タレントを使った番組も粗製乱造の域を出ないものばかり
嫌なら見なければいい!
で済まされるような状態ではないと思えて、不安が募る