奇想コレクションと『ハローサマー・グッドバイ』が好調らしい河出書房新社から、
文庫SFの超新星が突如出現しました。
日本作家の描きおろし作品を集めたSFアンソロジー『NOVA1』(ノヴァいち)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/4c/1dfbc3f4341b6e50d800fe9e28b8d53e.jpg)
ここに収録された全てがいま一番イキのいいラインナップか、と問われれば、やや疑問符も
つきますが、現在のニッポンSFを支える書き手が揃ってるのは間違いないところ。
逆にこのメンツで水準以下の内容になると、純国産SFの明日は暗いということになります。
それでどうなの、そこんところは?と思いつつ、収録作をレビューしてみました。
●北野勇作「社員たち」
出張先から戻ってみたら、自分の会社が地中に沈んでいた。
失業保険をもらうために社長を掘り出そうとする社員の憂鬱な心象を、淡々と描く。
編者の紹介文どおり、昔の筒井康隆を思わせるナンセンス短編。
奇想を通じてサラリーマンの悲哀を巧みに描いているものの、先達の作品による既視感で
新鮮な驚きが感じられない点が惜しまれます。
タイトルも含めてスラデック作品も連想されますが、残念ながらもっと奔放さと残酷さを
散りばめてくれないと、あちらのテンションの高さには届かない感じ。
まあこのションボリした空気こそ、日本の「今」を表しているのかもしれません。
余談ですが、大森氏の編集スタイルには「冒頭には軽い作品を」という傾向が見られるけれど、
今回の配置にはやや疑問あり。
本格SFの、しかも(たぶん)本邦初となる描きおろしアンソロジーの門出を飾る作品として
「社員たち」ではやや弱いかなーという気がするもので・・・。
やはり冒頭に来る作品はその本の顔になりますから、特にSFに不慣れな人が本書を手に取ると、
いきなり「SF=ナンセンス=くだらねー」という先入観が植え付けられてしまうのが心配。
NOVA2以降に向けては、作品の配置についても一考の余地があると思います。
●小林泰三「忘却の侵略」
侵略者の攻撃は、既に我々の知らないところで着々と進行していた!
妄想癖と片思いを抱えた思春期の少年は、架空の助手と共に反撃を開始する。
片思いと見えない侵略者の脅威。一見するとかけ離れた二つの事象を同一のロジックによって
語りきるという強引な理屈っぽさも、またSFならではの妙味。
そしてくどいほどに周到な論証は、SFの枠を生かした新本格推理といった感じです。
それにしても序盤でのクラスメイトとのやり取りは、まるでアニメ『化物語』を見ているようでした。
●藤田雅矢「エンゼルフレンチ」
大学生の頃にドーナツを齧りながら、宇宙について語り合った二人。
唐突な別れを経て、物語は遥かくじら座タウへと続いていく。
宇宙SFと恋愛モノ(もしくは友情モノ)の親和性の高さは、昔から折り紙つき。
どちらもお互いの距離がテーマになるからでしょう。
こういう組み合わせが好きか嫌いかによっても、読み手の評価が分かれそうな作品です。
『宇宙のステルヴィア』『ふたつのスピカ』そして『トップをねらえ!』が好きな人には
大いに喜ばれそう(というか、もろに私の好みということですが)。
ただしオチの部分をちょっとはしょりすぎたところが、本格SFとしてはやや残念でした。
●山本弘「七歩跳んだ男」
その男は宇宙服も着ずに、エアロックから七歩分跳んだところで死んでいた。
これは月面基地で初の殺人事件か、それとも自殺なのか?
いかにもSF的な舞台で科学的な論証により犯罪を暴くという趣向は、まるでアシモフお得意の
SFミステリものを読んでいるみたいでした。
さすがヴィンテージSFを愛する作者の面目躍如・・・と言いたいところですが、事件の真相に
トンデモ陰謀論が絡んだ段階でトリックが読めちゃうのは、ミステリとして大きな欠点でしょう。
●田中啓文「ガラスの地球を救え!」
崩壊した日本国家の遺した置き土産は、宇宙からの侵略者に対する最後の武器だった。
それを人類に伝えようと、黄泉の国から“あの人”が還ってくる。
SFのふところの深さを示している点は好ましいのだけれど、さすがにこの内容は・・・。
あまりにパロディばかりで埋め尽くされていて、まるで同人誌かネット小説みたいです。
ノスタルジーもいいんだけど、ここまでくるとやや後ろ向きすぎやしませんかね?
少なくとも私には、2010年代を牽引しようとするアンソロジーの第1巻にふさわしい作品とは
ちょっと思えませんでした。
ただし作中で披露されるコスミック呪詛(勝手に命名)の部分は、なかなかの迫力あり。
●田中哲弥「隣人」
人間に見えない風体の不気味な隣人が、主人公の周囲を異様な世界へと歪めていく。
不快系ホラーの典型的な作品。生理的にイヤな描写がたっぷりねっとり続きます。
崩れた言語感覚と歪んだ人間関係が不気味に共鳴し、全てが加速度的に狂っていく描写が、
実に気持ち悪い。
視覚的な描写と言葉の使い方は圧巻ですが、個人的には苦手なタイプの作品です。
それに全編がスカトロ祭りなので、さすがに食事前は読めないなー。
あと物語に論理性が薄いので、SFというより完全なホラーに分類されるべきでしょう。
エログロかつペド風味なところは、かつて大森氏が訳した「野獣館」シリーズに似てるかも。
●斉藤直子「ゴルコンダ」
ある日職場の先輩の美人な奥さんが、28人に増えていた。
タイトルの「ゴルコンダ」は、マグリットの描いた同名の絵画にちなんだものでしょう。
冒頭で出てくる大きな家をバックにした青い空や白い雲は、どれもマグリット的なモチーフの
代表例とされるもの。
そしてマグリット自身も、自らの妻を題材にした不条理な絵画を多数残しています。
バカというほどゴリ押しではなく、いい感じに力の抜けた作風は、個人的に「アホSF」と呼びたいノリ。
話そのものは落語やアンジャッシュの勘違いコントを彷彿とさせますが、日常を舞台にした奇想に
ほのぼのしたキャラ造型、軽妙な会話と瞬時に笑いを取れるバカバカしいアイデアは、なんだか
星新一の書いた短編群を思わせます・・・と言ったら、ちょっと誉めすぎか。
本格SFを期待する人には嫌われそうですが、この手の話ばかりを集めて著者の作品集を編んだら、
意外とウケるような気もします。個人的には、かなり好きなタイプ。
あとこの作品をマンガかアニメにしたら、ひょっとして大ヒットするかもしれません。
「忘却の侵略」がシャフトなら、「ゴルコンダ」はOrdetに頼むべきでしょうね(笑)。
マンガ化の場合はぜひともふくやまけいこ氏を起用して「comicリュウ」への掲載を希望します。
●牧野修「黎明コンビニ血祭り実話SP」
夜明けのコンビニに現れた不気味な姿の戦隊は、常連客を巻き込んだ殺戮の宴を開始した。
超絶テクニックとギニョール趣味はよくわかったけど、あまりにも作品が自己完結しすぎ。
見世物として眺めるにはいいのだろうけど、読み物としては伝わるものがなさすぎます。
解体描写もテキスト改変も実に露悪的。これも作家の持ち味なんだろうけど、私には
もうちょっとエレガントかつ奥ゆかしい書き方のほうが向いてます。
●円城塔「Beaver Weaver」
無限大の次から始まる、恋のような宇宙戦争。
それはまるで、ビーカーの中で溶けていく石鹸のような物語だった。
語り手と物語が互いを参照しながら“収束と拡散”“緊張と弛緩”そして“読み込みと書き出し”を
無限に繰り返す、恋愛物語に艤装/偽装したスペースオペラ(もしくはその正反対)。
風呂入ってビール飲んだ後に布団にもぐりこんで読んだら、意外にすんなりと読めました。
語彙の明確化や記述による情景の定着をわざと避けつつ疾走(失踪?)を繰り返す円城作品には、
こちらも思考を流動化して臨むのが正しい姿なのかも。
表現不可能なものを記述してしまう言語の矛盾性を徹底して利用しつつ、肝心な所をするりとかわす
ステキなのらくら加減こそ、円城流の要訣であるような、ないような。
ただし、ビジービーバー理論とチューリングマシンとパイこね変換と選択公理が理解できれば
ちゃんとしたハードSFとして読めるのかもしれません。
残念ながら私には4つとも理解できませんでしたが・・・。
でもトップファンとして「石の海狸」の例えはちゃんとわかりましたよ(^^;。
(結局のところ、わかるのはそんなネタばかりです。)
それと前の繰り返しになりますが、またもや作品の配置についてひとこと。
後半3作に似た傾向の作品を持ってきて、ある種のテーマ性を示そうとした結果かもしれませんが、
やはり終盤にここまでテキスト系現実記述SFが連続するのもどうなのか・・・と。
全体の構成を見た感じでは、円城さんをトップに配するという選択もアリだったように思いました。
(それはそれで入り口のハードルが上がる、という気もしますけどね)。
●飛浩隆「自生の夢」
日常の中に蔓延した「記述」から生まれた怪物が、ある日人類に牙を剥いた。
これを斃すべく、人類最強のナチュラル・ボーン・キラーが死から呼び戻される。
今回のヒロインの名はアリス・ウォン。飛先生どんだけディレーニー好きなんだろうか。
そして最強の殺人者である作家・間宮潤堂の能力は、やっぱりヘブンズ・ドアーでした。
・・・といった小さいことは抜きにして、暴力と孤独の王に捕らえられた巨大な集団的無意識が、
絵画的なイメージとして「ミツバチのささやき」の一場面へ表出する光景は素晴らしい。
個人的には、かつてワイエス展で見た「火打ち石」の巨大版を想起しながら読みました。
そしてそれらを生み出すシステムが、GoogleやTwitter、それにケータイ小説といった
現在進行形の文化の先に生まれると示唆されているのが、なおさら興奮をかき立てます。
ちなみにいわずもがなの注釈ですが、GEBは「Godel Entangled Bookshelf」、そして
「黄金の縺れた本棚」の略であり、もちろん「Godel, Escher, Bach」をも指しています。
作中でバッハのゴルトベルク変奏曲が流れるのも、これに由来するものでしょう。
●伊藤計劃「屍者の帝国」
死体再生技術が確立した改変世界の英国ヴィクトリア朝時代。
東西の軍事的緊張が高まる中、医学生ジョン・H・ワトソンは国家スパイへの勧誘を受ける。
「自生の夢」とフランケンシュタインの怪物テーマで繋がる、伊藤計劃氏の遺作。
死の影に追われながら生のあり方を追い続けてきた伊藤氏が、本作で遂に死者そのものを
語ろうとしたことに、強く興味をひかれました。
それを書き終えないうちに作者自身が帰らぬ人となってしまったことを皮肉と捉えるべきか、
それとも作者自らを作品と融合させてしまった徹底ぶりを称えるべきなのか・・・。
ある意味で、伊藤さん自身も間宮潤堂と同じ領域に行ってしまったわけですから。
今回のテーマは“フランケンシュタインの怪物”がテクノロジーによって実現した世界。
オールディスがSFの元祖とした「フランケンシュタイン」を取り上げることによって、
“SFの起源を語りなおすことから、もうひとつの近代科学文明を派生させる”という意図も
見えるような気がしますが、今となってはその真意を知るすべもありません。
もしかすると日本発の本格的スチームパンクが生まれたかもしれない・・・と想像すると、
本作が完成に至らなかったことがつくづく惜しまれます。
ムード的には伊藤計劃版「リーグ・オブ・エクストラオーディナリージェントルメン」な感じなので、
アラン・ムーア好きにもオススメしたい一作。
●総括
全部を通読して思うのは、編者の好みがはっきりと出たアンソロジーであるということ。
たまたまかもしれませんが、いわゆる本格SFというよりは論理のアクロバットや言葉遊び、
さらに奇想やホラーに推理色といった傾向が顕著に見られます。
これが「コアなSF」であるのかと言われれば、やはり首を傾げるところもありますが、
逆に言うとこれが今の日本におけるSF市場の縮図であり、読み手による受容(需要)の
実態であるともいえるでしょう。
でもこのラインナップ、やはり「奇想コレクション別巻」と呼ぶほうがしっくりくるなぁ。
そして奇想コレが好きな私としては、あれこれ言いながらも十分楽しめるものでした。
とにかく発表の場は造られたので、あとはこれがどう成長して周囲に影響を及ぼすかです。
NOVAが軌道に乗れば、そのスタイルと違う指向を持つ編者による新たなSFアンソロジーが
どこかから現れるかもしれません。
それはそれで、SFの厚みと広がりを増すうえで好ましいことでしょう。
そんな時代が来るときを願いつつ、当面はNOVAの火が絶えないよう応援したいです。
余談ですが、NOVAというタイトルは「ハリイ・ハリスン編のアンソロジー」よりも、
むしろわが国最古のSFファンジンにして、多くのプロ作家を輩出した「宇宙塵」を
意識しているようにも思います。
なにしろ新星が爆発した後に大量に生まれるのが「宇宙塵」ですからね。
いや実は「Nozomi Ohmori's Valued Anthology」の略だという声も聞こえそうですが・・・。
文庫SFの超新星が突如出現しました。
日本作家の描きおろし作品を集めたSFアンソロジー『NOVA1』(ノヴァいち)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/4c/1dfbc3f4341b6e50d800fe9e28b8d53e.jpg)
ここに収録された全てがいま一番イキのいいラインナップか、と問われれば、やや疑問符も
つきますが、現在のニッポンSFを支える書き手が揃ってるのは間違いないところ。
逆にこのメンツで水準以下の内容になると、純国産SFの明日は暗いということになります。
それでどうなの、そこんところは?と思いつつ、収録作をレビューしてみました。
●北野勇作「社員たち」
出張先から戻ってみたら、自分の会社が地中に沈んでいた。
失業保険をもらうために社長を掘り出そうとする社員の憂鬱な心象を、淡々と描く。
編者の紹介文どおり、昔の筒井康隆を思わせるナンセンス短編。
奇想を通じてサラリーマンの悲哀を巧みに描いているものの、先達の作品による既視感で
新鮮な驚きが感じられない点が惜しまれます。
タイトルも含めてスラデック作品も連想されますが、残念ながらもっと奔放さと残酷さを
散りばめてくれないと、あちらのテンションの高さには届かない感じ。
まあこのションボリした空気こそ、日本の「今」を表しているのかもしれません。
余談ですが、大森氏の編集スタイルには「冒頭には軽い作品を」という傾向が見られるけれど、
今回の配置にはやや疑問あり。
本格SFの、しかも(たぶん)本邦初となる描きおろしアンソロジーの門出を飾る作品として
「社員たち」ではやや弱いかなーという気がするもので・・・。
やはり冒頭に来る作品はその本の顔になりますから、特にSFに不慣れな人が本書を手に取ると、
いきなり「SF=ナンセンス=くだらねー」という先入観が植え付けられてしまうのが心配。
NOVA2以降に向けては、作品の配置についても一考の余地があると思います。
●小林泰三「忘却の侵略」
侵略者の攻撃は、既に我々の知らないところで着々と進行していた!
妄想癖と片思いを抱えた思春期の少年は、架空の助手と共に反撃を開始する。
片思いと見えない侵略者の脅威。一見するとかけ離れた二つの事象を同一のロジックによって
語りきるという強引な理屈っぽさも、またSFならではの妙味。
そしてくどいほどに周到な論証は、SFの枠を生かした新本格推理といった感じです。
それにしても序盤でのクラスメイトとのやり取りは、まるでアニメ『化物語』を見ているようでした。
●藤田雅矢「エンゼルフレンチ」
大学生の頃にドーナツを齧りながら、宇宙について語り合った二人。
唐突な別れを経て、物語は遥かくじら座タウへと続いていく。
宇宙SFと恋愛モノ(もしくは友情モノ)の親和性の高さは、昔から折り紙つき。
どちらもお互いの距離がテーマになるからでしょう。
こういう組み合わせが好きか嫌いかによっても、読み手の評価が分かれそうな作品です。
『宇宙のステルヴィア』『ふたつのスピカ』そして『トップをねらえ!』が好きな人には
大いに喜ばれそう(というか、もろに私の好みということですが)。
ただしオチの部分をちょっとはしょりすぎたところが、本格SFとしてはやや残念でした。
●山本弘「七歩跳んだ男」
その男は宇宙服も着ずに、エアロックから七歩分跳んだところで死んでいた。
これは月面基地で初の殺人事件か、それとも自殺なのか?
いかにもSF的な舞台で科学的な論証により犯罪を暴くという趣向は、まるでアシモフお得意の
SFミステリものを読んでいるみたいでした。
さすがヴィンテージSFを愛する作者の面目躍如・・・と言いたいところですが、事件の真相に
トンデモ陰謀論が絡んだ段階でトリックが読めちゃうのは、ミステリとして大きな欠点でしょう。
●田中啓文「ガラスの地球を救え!」
崩壊した日本国家の遺した置き土産は、宇宙からの侵略者に対する最後の武器だった。
それを人類に伝えようと、黄泉の国から“あの人”が還ってくる。
SFのふところの深さを示している点は好ましいのだけれど、さすがにこの内容は・・・。
あまりにパロディばかりで埋め尽くされていて、まるで同人誌かネット小説みたいです。
ノスタルジーもいいんだけど、ここまでくるとやや後ろ向きすぎやしませんかね?
少なくとも私には、2010年代を牽引しようとするアンソロジーの第1巻にふさわしい作品とは
ちょっと思えませんでした。
ただし作中で披露されるコスミック呪詛(勝手に命名)の部分は、なかなかの迫力あり。
●田中哲弥「隣人」
人間に見えない風体の不気味な隣人が、主人公の周囲を異様な世界へと歪めていく。
不快系ホラーの典型的な作品。生理的にイヤな描写がたっぷりねっとり続きます。
崩れた言語感覚と歪んだ人間関係が不気味に共鳴し、全てが加速度的に狂っていく描写が、
実に気持ち悪い。
視覚的な描写と言葉の使い方は圧巻ですが、個人的には苦手なタイプの作品です。
それに全編がスカトロ祭りなので、さすがに食事前は読めないなー。
あと物語に論理性が薄いので、SFというより完全なホラーに分類されるべきでしょう。
エログロかつペド風味なところは、かつて大森氏が訳した「野獣館」シリーズに似てるかも。
●斉藤直子「ゴルコンダ」
ある日職場の先輩の美人な奥さんが、28人に増えていた。
タイトルの「ゴルコンダ」は、マグリットの描いた同名の絵画にちなんだものでしょう。
冒頭で出てくる大きな家をバックにした青い空や白い雲は、どれもマグリット的なモチーフの
代表例とされるもの。
そしてマグリット自身も、自らの妻を題材にした不条理な絵画を多数残しています。
バカというほどゴリ押しではなく、いい感じに力の抜けた作風は、個人的に「アホSF」と呼びたいノリ。
話そのものは落語やアンジャッシュの勘違いコントを彷彿とさせますが、日常を舞台にした奇想に
ほのぼのしたキャラ造型、軽妙な会話と瞬時に笑いを取れるバカバカしいアイデアは、なんだか
星新一の書いた短編群を思わせます・・・と言ったら、ちょっと誉めすぎか。
本格SFを期待する人には嫌われそうですが、この手の話ばかりを集めて著者の作品集を編んだら、
意外とウケるような気もします。個人的には、かなり好きなタイプ。
あとこの作品をマンガかアニメにしたら、ひょっとして大ヒットするかもしれません。
「忘却の侵略」がシャフトなら、「ゴルコンダ」はOrdetに頼むべきでしょうね(笑)。
マンガ化の場合はぜひともふくやまけいこ氏を起用して「comicリュウ」への掲載を希望します。
●牧野修「黎明コンビニ血祭り実話SP」
夜明けのコンビニに現れた不気味な姿の戦隊は、常連客を巻き込んだ殺戮の宴を開始した。
超絶テクニックとギニョール趣味はよくわかったけど、あまりにも作品が自己完結しすぎ。
見世物として眺めるにはいいのだろうけど、読み物としては伝わるものがなさすぎます。
解体描写もテキスト改変も実に露悪的。これも作家の持ち味なんだろうけど、私には
もうちょっとエレガントかつ奥ゆかしい書き方のほうが向いてます。
●円城塔「Beaver Weaver」
無限大の次から始まる、恋のような宇宙戦争。
それはまるで、ビーカーの中で溶けていく石鹸のような物語だった。
語り手と物語が互いを参照しながら“収束と拡散”“緊張と弛緩”そして“読み込みと書き出し”を
無限に繰り返す、恋愛物語に艤装/偽装したスペースオペラ(もしくはその正反対)。
風呂入ってビール飲んだ後に布団にもぐりこんで読んだら、意外にすんなりと読めました。
語彙の明確化や記述による情景の定着をわざと避けつつ疾走(失踪?)を繰り返す円城作品には、
こちらも思考を流動化して臨むのが正しい姿なのかも。
表現不可能なものを記述してしまう言語の矛盾性を徹底して利用しつつ、肝心な所をするりとかわす
ステキなのらくら加減こそ、円城流の要訣であるような、ないような。
ただし、ビジービーバー理論とチューリングマシンとパイこね変換と選択公理が理解できれば
ちゃんとしたハードSFとして読めるのかもしれません。
残念ながら私には4つとも理解できませんでしたが・・・。
でもトップファンとして「石の海狸」の例えはちゃんとわかりましたよ(^^;。
(結局のところ、わかるのはそんなネタばかりです。)
それと前の繰り返しになりますが、またもや作品の配置についてひとこと。
後半3作に似た傾向の作品を持ってきて、ある種のテーマ性を示そうとした結果かもしれませんが、
やはり終盤にここまでテキスト系現実記述SFが連続するのもどうなのか・・・と。
全体の構成を見た感じでは、円城さんをトップに配するという選択もアリだったように思いました。
(それはそれで入り口のハードルが上がる、という気もしますけどね)。
●飛浩隆「自生の夢」
日常の中に蔓延した「記述」から生まれた怪物が、ある日人類に牙を剥いた。
これを斃すべく、人類最強のナチュラル・ボーン・キラーが死から呼び戻される。
今回のヒロインの名はアリス・ウォン。飛先生どんだけディレーニー好きなんだろうか。
そして最強の殺人者である作家・間宮潤堂の能力は、やっぱりヘブンズ・ドアーでした。
・・・といった小さいことは抜きにして、暴力と孤独の王に捕らえられた巨大な集団的無意識が、
絵画的なイメージとして「ミツバチのささやき」の一場面へ表出する光景は素晴らしい。
個人的には、かつてワイエス展で見た「火打ち石」の巨大版を想起しながら読みました。
そしてそれらを生み出すシステムが、GoogleやTwitter、それにケータイ小説といった
現在進行形の文化の先に生まれると示唆されているのが、なおさら興奮をかき立てます。
ちなみにいわずもがなの注釈ですが、GEBは「Godel Entangled Bookshelf」、そして
「黄金の縺れた本棚」の略であり、もちろん「Godel, Escher, Bach」をも指しています。
作中でバッハのゴルトベルク変奏曲が流れるのも、これに由来するものでしょう。
●伊藤計劃「屍者の帝国」
死体再生技術が確立した改変世界の英国ヴィクトリア朝時代。
東西の軍事的緊張が高まる中、医学生ジョン・H・ワトソンは国家スパイへの勧誘を受ける。
「自生の夢」とフランケンシュタインの怪物テーマで繋がる、伊藤計劃氏の遺作。
死の影に追われながら生のあり方を追い続けてきた伊藤氏が、本作で遂に死者そのものを
語ろうとしたことに、強く興味をひかれました。
それを書き終えないうちに作者自身が帰らぬ人となってしまったことを皮肉と捉えるべきか、
それとも作者自らを作品と融合させてしまった徹底ぶりを称えるべきなのか・・・。
ある意味で、伊藤さん自身も間宮潤堂と同じ領域に行ってしまったわけですから。
今回のテーマは“フランケンシュタインの怪物”がテクノロジーによって実現した世界。
オールディスがSFの元祖とした「フランケンシュタイン」を取り上げることによって、
“SFの起源を語りなおすことから、もうひとつの近代科学文明を派生させる”という意図も
見えるような気がしますが、今となってはその真意を知るすべもありません。
もしかすると日本発の本格的スチームパンクが生まれたかもしれない・・・と想像すると、
本作が完成に至らなかったことがつくづく惜しまれます。
ムード的には伊藤計劃版「リーグ・オブ・エクストラオーディナリージェントルメン」な感じなので、
アラン・ムーア好きにもオススメしたい一作。
●総括
全部を通読して思うのは、編者の好みがはっきりと出たアンソロジーであるということ。
たまたまかもしれませんが、いわゆる本格SFというよりは論理のアクロバットや言葉遊び、
さらに奇想やホラーに推理色といった傾向が顕著に見られます。
これが「コアなSF」であるのかと言われれば、やはり首を傾げるところもありますが、
逆に言うとこれが今の日本におけるSF市場の縮図であり、読み手による受容(需要)の
実態であるともいえるでしょう。
でもこのラインナップ、やはり「奇想コレクション別巻」と呼ぶほうがしっくりくるなぁ。
そして奇想コレが好きな私としては、あれこれ言いながらも十分楽しめるものでした。
とにかく発表の場は造られたので、あとはこれがどう成長して周囲に影響を及ぼすかです。
NOVAが軌道に乗れば、そのスタイルと違う指向を持つ編者による新たなSFアンソロジーが
どこかから現れるかもしれません。
それはそれで、SFの厚みと広がりを増すうえで好ましいことでしょう。
そんな時代が来るときを願いつつ、当面はNOVAの火が絶えないよう応援したいです。
余談ですが、NOVAというタイトルは「ハリイ・ハリスン編のアンソロジー」よりも、
むしろわが国最古のSFファンジンにして、多くのプロ作家を輩出した「宇宙塵」を
意識しているようにも思います。
なにしろ新星が爆発した後に大量に生まれるのが「宇宙塵」ですからね。
いや実は「Nozomi Ohmori's Valued Anthology」の略だという声も聞こえそうですが・・・。