Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

新作国産SF描きおろしアンソロジー『NOVA1』感想

2009年12月20日 | SF・FT
奇想コレクションと『ハローサマー・グッドバイ』が好調らしい河出書房新社から、
文庫SFの超新星が突如出現しました。
日本作家の描きおろし作品を集めたSFアンソロジー『NOVA1』(ノヴァいち)です。



ここに収録された全てがいま一番イキのいいラインナップか、と問われれば、やや疑問符も
つきますが、現在のニッポンSFを支える書き手が揃ってるのは間違いないところ。
逆にこのメンツで水準以下の内容になると、純国産SFの明日は暗いということになります。
それでどうなの、そこんところは?と思いつつ、収録作をレビューしてみました。

●北野勇作「社員たち」
出張先から戻ってみたら、自分の会社が地中に沈んでいた。
失業保険をもらうために社長を掘り出そうとする社員の憂鬱な心象を、淡々と描く。

編者の紹介文どおり、昔の筒井康隆を思わせるナンセンス短編。
奇想を通じてサラリーマンの悲哀を巧みに描いているものの、先達の作品による既視感で
新鮮な驚きが感じられない点が惜しまれます。
タイトルも含めてスラデック作品も連想されますが、残念ながらもっと奔放さと残酷さを
散りばめてくれないと、あちらのテンションの高さには届かない感じ。
まあこのションボリした空気こそ、日本の「今」を表しているのかもしれません。

余談ですが、大森氏の編集スタイルには「冒頭には軽い作品を」という傾向が見られるけれど、
今回の配置にはやや疑問あり。
本格SFの、しかも(たぶん)本邦初となる描きおろしアンソロジーの門出を飾る作品として
「社員たち」ではやや弱いかなーという気がするもので・・・。

やはり冒頭に来る作品はその本の顔になりますから、特にSFに不慣れな人が本書を手に取ると、
いきなり「SF=ナンセンス=くだらねー」という先入観が植え付けられてしまうのが心配。
NOVA2以降に向けては、作品の配置についても一考の余地があると思います。

●小林泰三「忘却の侵略」
侵略者の攻撃は、既に我々の知らないところで着々と進行していた!
妄想癖と片思いを抱えた思春期の少年は、架空の助手と共に反撃を開始する。

片思いと見えない侵略者の脅威。一見するとかけ離れた二つの事象を同一のロジックによって
語りきるという強引な理屈っぽさも、またSFならではの妙味。
そしてくどいほどに周到な論証は、SFの枠を生かした新本格推理といった感じです。
それにしても序盤でのクラスメイトとのやり取りは、まるでアニメ『化物語』を見ているようでした。

●藤田雅矢「エンゼルフレンチ」
大学生の頃にドーナツを齧りながら、宇宙について語り合った二人。
唐突な別れを経て、物語は遥かくじら座タウへと続いていく。

宇宙SFと恋愛モノ(もしくは友情モノ)の親和性の高さは、昔から折り紙つき。
どちらもお互いの距離がテーマになるからでしょう。
こういう組み合わせが好きか嫌いかによっても、読み手の評価が分かれそうな作品です。
『宇宙のステルヴィア』『ふたつのスピカ』そして『トップをねらえ!』が好きな人には
大いに喜ばれそう(というか、もろに私の好みということですが)。
ただしオチの部分をちょっとはしょりすぎたところが、本格SFとしてはやや残念でした。

●山本弘「七歩跳んだ男」
その男は宇宙服も着ずに、エアロックから七歩分跳んだところで死んでいた。
これは月面基地で初の殺人事件か、それとも自殺なのか?

いかにもSF的な舞台で科学的な論証により犯罪を暴くという趣向は、まるでアシモフお得意の
SFミステリものを読んでいるみたいでした。
さすがヴィンテージSFを愛する作者の面目躍如・・・と言いたいところですが、事件の真相に
トンデモ陰謀論が絡んだ段階でトリックが読めちゃうのは、ミステリとして大きな欠点でしょう。

●田中啓文「ガラスの地球を救え!」
崩壊した日本国家の遺した置き土産は、宇宙からの侵略者に対する最後の武器だった。
それを人類に伝えようと、黄泉の国から“あの人”が還ってくる。

SFのふところの深さを示している点は好ましいのだけれど、さすがにこの内容は・・・。
あまりにパロディばかりで埋め尽くされていて、まるで同人誌かネット小説みたいです。
ノスタルジーもいいんだけど、ここまでくるとやや後ろ向きすぎやしませんかね?
少なくとも私には、2010年代を牽引しようとするアンソロジーの第1巻にふさわしい作品とは
ちょっと思えませんでした。
ただし作中で披露されるコスミック呪詛(勝手に命名)の部分は、なかなかの迫力あり。

●田中哲弥「隣人」
人間に見えない風体の不気味な隣人が、主人公の周囲を異様な世界へと歪めていく。

不快系ホラーの典型的な作品。生理的にイヤな描写がたっぷりねっとり続きます。
崩れた言語感覚と歪んだ人間関係が不気味に共鳴し、全てが加速度的に狂っていく描写が、
実に気持ち悪い。
視覚的な描写と言葉の使い方は圧巻ですが、個人的には苦手なタイプの作品です。
それに全編がスカトロ祭りなので、さすがに食事前は読めないなー。
あと物語に論理性が薄いので、SFというより完全なホラーに分類されるべきでしょう。
エログロかつペド風味なところは、かつて大森氏が訳した「野獣館」シリーズに似てるかも。

●斉藤直子「ゴルコンダ」
ある日職場の先輩の美人な奥さんが、28人に増えていた。

タイトルの「ゴルコンダ」は、マグリットの描いた同名の絵画にちなんだものでしょう。
冒頭で出てくる大きな家をバックにした青い空や白い雲は、どれもマグリット的なモチーフ
代表例とされるもの。
そしてマグリット自身も、自らの妻を題材にした不条理な絵画を多数残しています。

バカというほどゴリ押しではなく、いい感じに力の抜けた作風は、個人的に「アホSF」と呼びたいノリ。
話そのものは落語やアンジャッシュの勘違いコントを彷彿とさせますが、日常を舞台にした奇想に
ほのぼのしたキャラ造型、軽妙な会話と瞬時に笑いを取れるバカバカしいアイデアは、なんだか
星新一の書いた短編群を思わせます・・・と言ったら、ちょっと誉めすぎか。
本格SFを期待する人には嫌われそうですが、この手の話ばかりを集めて著者の作品集を編んだら、
意外とウケるような気もします。個人的には、かなり好きなタイプ。

あとこの作品をマンガかアニメにしたら、ひょっとして大ヒットするかもしれません。
「忘却の侵略」がシャフトなら、「ゴルコンダ」はOrdetに頼むべきでしょうね(笑)。
マンガ化の場合はぜひともふくやまけいこ氏を起用して「comicリュウ」への掲載を希望します。

●牧野修「黎明コンビニ血祭り実話SP」
夜明けのコンビニに現れた不気味な姿の戦隊は、常連客を巻き込んだ殺戮の宴を開始した。

超絶テクニックとギニョール趣味はよくわかったけど、あまりにも作品が自己完結しすぎ。
見世物として眺めるにはいいのだろうけど、読み物としては伝わるものがなさすぎます。
解体描写もテキスト改変も実に露悪的。これも作家の持ち味なんだろうけど、私には
もうちょっとエレガントかつ奥ゆかしい書き方のほうが向いてます。

●円城塔「Beaver Weaver」
無限大の次から始まる、恋のような宇宙戦争。
それはまるで、ビーカーの中で溶けていく石鹸のような物語だった。

語り手と物語が互いを参照しながら“収束と拡散”“緊張と弛緩”そして“読み込みと書き出し”を
無限に繰り返す、恋愛物語に艤装/偽装したスペースオペラ(もしくはその正反対)。

風呂入ってビール飲んだ後に布団にもぐりこんで読んだら、意外にすんなりと読めました。
語彙の明確化や記述による情景の定着をわざと避けつつ疾走(失踪?)を繰り返す円城作品には、
こちらも思考を流動化して臨むのが正しい姿なのかも。
表現不可能なものを記述してしまう言語の矛盾性を徹底して利用しつつ、肝心な所をするりとかわす
ステキなのらくら加減こそ、円城流の要訣であるような、ないような。

ただし、ビジービーバー理論とチューリングマシンとパイこね変換と選択公理が理解できれば
ちゃんとしたハードSFとして読めるのかもしれません。
残念ながら私には4つとも理解できませんでしたが・・・。
でもトップファンとして「石の海狸」の例えはちゃんとわかりましたよ(^^;。
(結局のところ、わかるのはそんなネタばかりです。)

それと前の繰り返しになりますが、またもや作品の配置についてひとこと。
後半3作に似た傾向の作品を持ってきて、ある種のテーマ性を示そうとした結果かもしれませんが、
やはり終盤にここまでテキスト系現実記述SFが連続するのもどうなのか・・・と。
全体の構成を見た感じでは、円城さんをトップに配するという選択もアリだったように思いました。
(それはそれで入り口のハードルが上がる、という気もしますけどね)。

●飛浩隆「自生の夢」
日常の中に蔓延した「記述」から生まれた怪物が、ある日人類に牙を剥いた。
これを斃すべく、人類最強のナチュラル・ボーン・キラーが死から呼び戻される。

今回のヒロインの名はアリス・ウォン。飛先生どんだけディレーニー好きなんだろうか。
そして最強の殺人者である作家・間宮潤堂の能力は、やっぱりヘブンズ・ドアーでした。

・・・といった小さいことは抜きにして、暴力と孤独の王に捕らえられた巨大な集団的無意識が、
絵画的なイメージとして「ミツバチのささやき」の一場面へ表出する光景は素晴らしい。
個人的には、かつてワイエス展で見た「火打ち石」の巨大版を想起しながら読みました。
そしてそれらを生み出すシステムが、GoogleやTwitter、それにケータイ小説といった
現在進行形の文化の先に生まれると示唆されているのが、なおさら興奮をかき立てます。

ちなみにいわずもがなの注釈ですが、GEBは「Godel Entangled Bookshelf」、そして
「黄金の縺れた本棚」の略であり、もちろん「Godel, Escher, Bach」をも指しています。
作中でバッハのゴルトベルク変奏曲が流れるのも、これに由来するものでしょう。

●伊藤計劃「屍者の帝国」
死体再生技術が確立した改変世界の英国ヴィクトリア朝時代。
東西の軍事的緊張が高まる中、医学生ジョン・H・ワトソンは国家スパイへの勧誘を受ける。

「自生の夢」とフランケンシュタインの怪物テーマで繋がる、伊藤計劃氏の遺作。
死の影に追われながら生のあり方を追い続けてきた伊藤氏が、本作で遂に死者そのものを
語ろうとしたことに、強く興味をひかれました。
それを書き終えないうちに作者自身が帰らぬ人となってしまったことを皮肉と捉えるべきか、
それとも作者自らを作品と融合させてしまった徹底ぶりを称えるべきなのか・・・。
ある意味で、伊藤さん自身も間宮潤堂と同じ領域に行ってしまったわけですから。

今回のテーマは“フランケンシュタインの怪物”がテクノロジーによって実現した世界。
オールディスがSFの元祖とした「フランケンシュタイン」を取り上げることによって、
“SFの起源を語りなおすことから、もうひとつの近代科学文明を派生させる”という意図も
見えるような気がしますが、今となってはその真意を知るすべもありません。
もしかすると日本発の本格的スチームパンクが生まれたかもしれない・・・と想像すると、
本作が完成に至らなかったことがつくづく惜しまれます。

ムード的には伊藤計劃版「リーグ・オブ・エクストラオーディナリージェントルメン」な感じなので、
アラン・ムーア好きにもオススメしたい一作。

●総括
全部を通読して思うのは、編者の好みがはっきりと出たアンソロジーであるということ。
たまたまかもしれませんが、いわゆる本格SFというよりは論理のアクロバットや言葉遊び、
さらに奇想やホラーに推理色といった傾向が顕著に見られます。
これが「コアなSF」であるのかと言われれば、やはり首を傾げるところもありますが、
逆に言うとこれが今の日本におけるSF市場の縮図であり、読み手による受容(需要)の
実態であるともいえるでしょう。
でもこのラインナップ、やはり「奇想コレクション別巻」と呼ぶほうがしっくりくるなぁ。
そして奇想コレが好きな私としては、あれこれ言いながらも十分楽しめるものでした。

とにかく発表の場は造られたので、あとはこれがどう成長して周囲に影響を及ぼすかです。
NOVAが軌道に乗れば、そのスタイルと違う指向を持つ編者による新たなSFアンソロジーが
どこかから現れるかもしれません。
それはそれで、SFの厚みと広がりを増すうえで好ましいことでしょう。
そんな時代が来るときを願いつつ、当面はNOVAの火が絶えないよう応援したいです。

余談ですが、NOVAというタイトルは「ハリイ・ハリスン編のアンソロジー」よりも、
むしろわが国最古のSFファンジンにして、多くのプロ作家を輩出した「宇宙塵」を
意識しているようにも思います。
なにしろ新星が爆発した後に大量に生まれるのが「宇宙塵」ですからね。

いや実は「Nozomi Ohmori's Valued Anthology」の略だという声も聞こえそうですが・・・。
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第30回日本SF大賞は『ハーモニー』が受賞

2009年12月07日 | SF・FT
日本SF作家クラブが主催する第30回日本SF大賞の選考会が6日に開かれ、
今年3月に逝去された伊藤計劃氏の『ハーモニー』が選ばれました。


『ハーモニー』は、今年の星雲賞に続いてのダブル受賞となります。

SFマガジンの創刊50周年、栗本薫氏の逝去、神林長平氏と谷甲州氏が共に
デビュー30周年を迎えるといった中で、今年は「伊藤計劃の年」でもありました。
その主役が今はもういないと思う時、改めて深い喪失感を覚えてしまいます

『虐殺器官』により“無冠の新鋭”としてデビューを飾ってからわずか2年、
未来の巨匠となるのを待たずに逝ってしまった伊藤氏。
今回の受賞によってSF界に不朽の名を留める事になったことが、せめてもの
慰めかもしれません。
できれば存命中に『虐殺器官』で受賞させてあげたかったのですが・・・。

闘病の真っ最中に発表された『虐殺器官』から、死の直前に出された『ハーモニー』まで、
伊藤氏の創作が常に内なる戦いを続けながらの活動であったことを考え合わせると、
SFが単なる絵空事ではなく“生と死と存在について語ることができる文学”であることを
まさに全身全霊をかけて証明してくれた作家だった、というふうに思えてなりません。

伊藤さん、改めて受賞おめでとうございます。そしてありがとうございました。
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『SyncFuture』続報~パルコでSF50展+グッズ販売もあり

2009年11月26日 | SF・FT
S-Fマガジン創刊50周年企画『SyncFuture』ですが、これに連動して
渋谷PARCOで特別展が開催されています。

土曜日は『東のエデン劇場版Ⅰ』を見に行く予定なので、ついでに寄ってみようかな。
加藤直之氏のイラストも楽しみですが、やはり今回一番見ておきたいのは

・50年を振り返る、『S-Fマガジン』表紙のデジタルサイネージ展示

だったりします。

ちなみに関連グッズも販売。その中から、これはあるTシャツのデザインです。



“早川書房『S-Fマガジン』50周年記念公式グッズ。
 日本を代表するSF小説のタイトルをモチーフにしたオリジナルTシャツです。”
(商品紹介より)

さて、いくつタイトルがわかりましたか?

でも「日本を代表する」ってところには、やや引っかかりますけどね。
これってほとんど最近の作品で、しかもハヤカワのばっかしじゃん。
あとこのTシャツとは違うデザインになるのですが、海外作品で選ばれたのが
イマドキ『ニューロマンサー』ってのもどうなのよ?

それに申し訳ないけど、デザインもあんまりカッコいいとは思えないです。
というかたぶんあんまりSF読んでないっぽいな、このデザイナーさんは。

本気で作るなら「あなたの人生の物語」の線形文法をデザイン化するとか
『Self-Reference ENGINE』のフロイト二十畳敷きをプリントすべきです。
SF者を唸らせるデザインなら、絶対こっちのほうが上でしょ(^^;。
でなきゃ素直に有名イラストレーターの絵でも使えばいいのに。

…ていうか、そもそもサイズMまでしかないってのはどういうこと?
これじゃ成人男子のSF者は、ほとんど着られないと思いますが…。

と不満を言いつつも、なにかしらのグッズは買ってしまいそうな気がします。
なんといっても限定モノに弱い性分なもので。
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『Sync Future』は12月10日の刊行らしい

2009年11月09日 | SF・FT
以前に記事にした早川書房の記念出版『Sync Future』ですが、今年の12月10日に刊行が決まったそうです。
まあこれを過ぎると「創刊51周年」になってしまうので、タイミング的には滑り込みセーフという感じですか。

以下、早川書房の公式サイトより転載。

“国内唯一のSF月刊誌・『S-Fマガジン』の 創刊50周年記念として、アートブック 『Sync Future』が2009年12月10日に刊行されます。
 磯光雄氏×飛浩隆氏『グラン・ヴァカンス』、森本晃司氏×伊藤 計劃氏『虐殺器官』など、興味深いコラボレーションが多数実現。
 表紙イラストは数々のアニメーション映画賞を受賞した加藤久仁生氏。
 さらに、各界著名人によるコラム/インタビュー、映画『パコと魔法の絵本』ヒロイン・パコ役を演じたアヤカ・ウィルソンさん主演の、
 360度実写映像+ARコンテンツなど、豪華企画が目白押しです!”

表紙は確かに著名クリエーターの仕事ですが、図案を見る限りではちょっと私のイメージと違いました。
なんかこの本を買いそうな客層とは、絵柄がちょっとズレてるんではなかろうか。
せっかくの記念出版なら、ここは表紙から最先端のとんがったSFっぽい絵でもよかったかなーと。
(そういえば『SF本の雑誌』も、なんだかよくわからない表紙絵ではありました。)

ちなみに気になるお値段は3,950円(税抜き)。
関係してるメンツを考えると万単位の値段も予想できただけに、この価格は意外です。
なんか期待するほど豪華な内容にはならないんじゃないだろうか…というマイナスの不安が。
まさかイメージイラストが1枚づつ、というような体たらくにはならないと思いますが…。

個人的には、最近の作品だけでなく昔のSFMやハヤカワSF文庫の表紙を飾ったイラストなどから
印象深い作品を掲載するとか、SFM創刊50周年らしい企画も見てみたいところです。
特に深井国、新井苑子、角田純男の各氏については、何らかの形で取り上げて欲しいなぁ。
…といっても、もう本の編集とか終わっちゃってるから何を言っても無駄っぽいですけどね。
せめてSFMの連動企画とかで、《SFイラストレーター列伝》といった特集が組まれないものでしょうか。
(内容的に大橋博之氏の「SF挿絵画家の系譜」と被りそうな気もしますけど。)

あと、根っからのSF者としては「各界著名人」にはあまり興味がないというか、そこはむしろ
純然たる「SF著名人」にいろいろ語って欲しいのですが、まあ商業的戦略もあるのでしょう。
特に池澤春菜嬢の起用は、セールス的にもよい効果を及ぼすだろうし(笑)。

鶴巻さんについては、たぶん出てくるだろうなーと予想してました。
トップ2などでの引用には手放しで誉められないところもあるけど、SFマニアであることは
その作品からも十分に感じられましたから。
この人にはもう庵野サンの後追いばかりでなく、オリジナル企画の本格SFアニメで
真っ向勝負してもらいたいと思うのですが、新エヴァで手一杯な今は難しいかな?

こんな調子で期待と不安が入り混じる『Sync Future』ですが、中でも一番の謎は新たに盛り込まれた
目玉企画(?)の「ARシネマ ミライリョコウ」でしょう。

“ARとは、現実空間の情報にCGやテキストなどを重ね、現実空間にさまざまな情報を与える=現実空間の持つ情報を
 より拡張/強化する技術です。
 実在しないキャラクターなどが現実空間に出現することにより、追加情報や“楽しみ”といった付加価値を与えることができます。
 『Sync Future』では、WEBカメラを通じて、モニターに映し出された現実風景の中に、存在しないはずの役者の方が出現して
 SFストーリーを演じる、という利用方法になります。”
(公式サイト内の説明より)

技術的には面白そうだけど、肝心の「SFストーリー」がしょっぱくならないかと心配ですね。

まあ、あと1ヶ月でその全貌が明らかになるわけですが…。
記念誌ということで、とりあえずご祝儀代わりに買ってみようとは思ってます。
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10月刊行予定『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 』(創元SF文庫)

2009年09月22日 | SF・FT
書店に貼り出されている<これから出る本>の文庫版を見たところ、10月の新刊として
創元推理文庫から『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』が発売されるそうです。


表紙イラストは『心霊探偵八雲』や『氷と炎の歌』(ハードカバー版)を手がけた鈴木康士氏。
個人的にも好きな作家さんです。

ちなみに、かつてコバルト文庫から出ていたシリーズは『海外ロマンチックSF傑作選』で
タイトルが似ているようでちょっと違ってる、というのもミソだったりします。
往年の名アンソロジーを視野に入れた編集方針は中村氏も常に意識しているところ、
今回も狙っての命名であることはまず確実でしょう。

創元推理文庫の中村アンソロジーは今のところ全部揃えているので、これも購入予定です。
ただし発売1ヶ月前を切ったというのに、いまだ収録作についての情報が全然出ないのが
ちょっと気がかりなところではありますが・・・。

収録9作品のうち、現時点で作家名が挙がっているのはJ・フィニイ、R・F・ヤング、
D・ナイト、C・ハーネスの4名だけ。
さらに作品名まで確定しているのは、表題作でもあるハーネスの「時の娘」だけですから
他の8作のタイトルが気になるのもやむを得ないというものでしょう。

中村氏といえば、アンソロジー巻末の編者あとがきでセールスポイントを列記するのが
お約束になった感がありますが、東京創元社の特集ページで先行公開されている本書の
編者あとがきでは、収録作のウリについてこう書いています。

“その1。収録作全9篇中3篇が本邦初訳。
 その2。残る6篇のうち3篇は、30年以上も前に雑誌に訳出されたきり埋もれていた作品。
 その3。残る3篇は、この手のアンソロジーには欠かせない定番だが、20年以上も
     入手困難だった作品。”

まあ世間的には、最後の3篇に『たんぽぽ娘』が入っているか否かが大問題でしょうね。
Amazonで『時の娘』の購入者が一緒に買った商品に『CLANNAD』関係がずらりと
並ぶあたりに、そんな期待が感じられる気が・・・(笑)。
この『たんぽぽ娘』ですが、『ラーゼフォン』のネタバレにして原点でもある作品なので
そちらのファンにぜひ読んでいただきたい作品でもあります。

ただしヤングといえば、河出の奇想コレクションでタイトルもそのまんま『たんぽぽ娘』
という作品集が予定されているので、今回のアンソロジーに収録されるかはやや不透明。
中村さんは奇想コレクションでも編者をやってるので、河出との関係がマズくなるのは
望ましくないはずですし・・・ヤングについては別作品の可能性も捨てきれないところです。

あるいはひょっとして伊藤訳ではなく、中村さん自身が『たんぽぽ娘』を訳したとか?
これだったら両方読み比べる価値はありそうだし、収録の可能性はぐっと高くなるかも
しれませんね~。
まあどっちにしろ、10月10日の刊行が楽しみです。
(10/2追記:収録リストを確認したところ、やはりヤングは別作品でした。)

ところで河出書房の件で思い出したけど、もう今年の夏が終わるというのにコーニイの
"I REMEMBER PALLAHAXI" が出ないのは、いったいどうしたわけでしょう?
たしか『SFが読みたい!2009年版』で今年の隠し球に挙がっていた気がしますけど・・・。
もしかして来年以降の夏までおあずけなんですか、山岸先生?
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ベイリーとグレンラガン、そして月岡芳年

2009年07月05日 | SF・FT
SF界屈指の奇想系作家、バリントン・J・ベイリーの追悼特集が組まれた
「SFマガジン」2009年5月号を、古本屋で見つけてきました。

カップリングはこれまた奇想系で鳴らした才人、T・M・ディッシュの追悼特集。
なんだか死んだあとまで「エース・ダブル」仕様っぽいのが、この二人らしいところかも。
(このネタがわかった人は、ここでちょっとだけ笑ってやってください~。)
BPさんの「究極映像研究所」でもすでに取り上げられてますが、この傑物二人を
同じ年に失うという損失は、特に奇想SFファンにとって大きな痛手でした。

さてベイリーといえば、本邦での代表作は衣装哲学系奇想SF『カエアンの聖衣』で
決まりなのですが、諸事情により最近復刊されたのは『禅銃』のほうでした。

衰退した銀河帝国、知性化された動物、そしてキメラの猿が手にした謎の超兵器
「禅銃」に、謎めいた戦士“小姓”(これはむしろ“古将”と表記すべきかも)・・・と、
ディテールだけ抜き書きしてもわかるとおり、この作品を元ネタのひとつにしてるのが
今も劇場版が上映されている『天元突破グレンラガン』なわけですね。

最終話タイトルと「人類とは天を目指すもの」というディテールだけを借りてきた
『天の光はすべて星』と比べれば、むしろ『禅銃』のほうが元ネタ色は濃厚です。
なにしろ螺旋王ロージェノムの乗る愛機が、ずばり「ラゼンガン」ですからねぇ。
(そのへんは『天の光はすべて星』新装文庫版のあとがきで、中島かずき氏も
自ら明かしているところですが。)

で、『禅銃』新装版の表紙について少々補足しておきます。
上のイラストは新しい文庫の表紙ですが、カバー見返しにはデザイナーとおぼしき
外人の名前しか書かれていません。
でもこの絵の元型はれっきとした日本の、それも明治時代に描かれた作品です。


下の絵は、月岡芳年「月百姿」より「玉兎 孫悟空」。
向きが逆になってる以外は、ほぼ同じ絵なのがわかると思います。

まさか芳年も、自分の絵が海外SFの表紙を飾るとは思わなかったでしょう。
でもこの人の作風は「マンガ・劇画の先駆」とも言われているようですから、
人気イラストレーターが表紙を飾る最近のSF作品と比べて遜色がないのも
むしろ当然のことかもしれません。
サイケな色調にアレンジしてみせたデザイナーのセンスも、芳年の絵だからこそ
うまくハマったのではないかとも思います。

ところで、ベイリーで『グレンラガン』の元ネタときたら、やっぱり外せないのは
短編の代表作「洞察鏡奇譚」でしょうね。
たしか、岩ばっかりの宇宙で穴を掘りまくるという話だったはずなので。
これが収録された傑作短編集『シティ5からの脱出』も、早期の復刊を希望します。

あと未読ですが、ベイリーは「地底戦艦インタースティス」ってのも書いてました。
これは単行本未収録なので、国書かどっかで短編集つくって入れて欲しいな。
翻訳SFは売れる芽があるうちに出しとくのが吉なので、担当の方はご一考を!
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闇狩り師シリーズ『黄石公の犬』

2009年06月22日 | SF・FT
九十九乱蔵と猫又シャモン、21年ぶりの復活!

というわけで、トクマノベルズ新刊『闇狩り師 黄石公の犬』が出ました。

表紙と挿絵を担当する絵師は「ラクガキング」(別名「フランクフルトの辰」)こと
寺田克也氏です。
内容は長編ではなく、中篇2本。いま表題作の途中まで読んでるところです。
(・・・と書いたあとで全部読み終わったら、短めの長編と短編だったと判明。)

正直なところ、中篇のほうはかなり小粒。長編に比べてボリューム不足気味だし、
短編ほどのキレや軽快さもなく、アイデアにも目新しいものは感じません。
個人的には短編の「媼」のほうが好き。寺田氏の描く媼が妙にカワイイし(笑)。
でもそれはさておき、まずは愛すべき巨漢(夢枕キャラの中で一番好き!)と
愛すべき猫又の復活を、素直に祝いたいものです。

愛読者にはおなじみ、旧式の箱型ランドクルーザーも健在。
エコカー減税対象車などものともしない、タフな走りっぷりを見せてくれます。
というか、相変わらず乱蔵の運転っぷりは容赦がないですなぁ。

さて、そんな新刊の発売を記念して、著者の夢枕獏氏と絵師の寺田克也氏による
サイン会が、6月26日に「リブロ池袋本店」で開催されます。

日時:6月26日(金) 午後6時30分~
場所:西武百貨店池袋本店イルムス館地下1階 リブロ児童書前

同店の文庫文芸書売り場にて『黄石公の犬』か『キマイラ青龍変』を購入すると、
先着100名に整理券がもらえます。
(他の売り場のカウンターでは配ってませんので、くれぐれもご注意を!)

私が6月21日の午後にもらった時には、まだ半分くらい残ってたようなので
参加希望の方はお早めにどうぞ。
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コニー・ウィリス著『ドゥームズデイ・ブック』

2009年06月03日 | SF・FT
最近になってようやく落ち着きを見せてきた新型インフルエンザ問題ですが、
これにちなんで今こそ読んでおきたい傑作SFを思い出しました。
作者はコニー・ウィリス。そして作品名は『ドゥームズデイ・ブック』です。


文庫上下2巻、あわせて1000ページ超という大作ですが、その中身も
分量に見合うだけの重量を備えた、波乱万丈の一大巨編。

といいつつも実はわたし、ウィリスってそれほど好きな作家ではありません。
特にコメディタッチの作品が苦手で、長編『犬は勘定に入れません』も、短編の
『リアルト・ホテルで』も、こちらと笑いのツボがズレまくり。
そのうえ、頭のいい作家が狙ってウケをとろうとする話づくりがあざとく見えて
どうも素直にノれないんですよねぇ。
『魂はみずからの社会を選ぶ―侵略と撃退:エミリー・ディキンスンの詩二篇の
執筆年代再考:ウェルズ的視点』なんてのは、その一番悪い例でしょう。

・・・とさんざんコキ下ろしてますが、『ドゥームズデイ・ブック』だけは完全に別格。
ウィリスの博覧強記とテクニシャンぶりがあますところなく発揮されながらも
妙にひねったり小ざかしさに流れることなく、真正面から読者の魂を揺さぶる
恐ろしくも力強い物語となっています。

さて物語の発端は二〇五四年のイギリス、オックスフォード大学。
この時代では過去へと遡るタイムトラベル技術が発明され、大学の歴史学部では
これを使った実地調査を行っています。
本作の主人公である女子大生キヴリンも歴史調査のために一四世紀へと遡りますが
その時代こそ悪名高き「黒死病」すなわちペストがヨーロッパで猛威を振るっていた、
歴史上でも最高レベルに危険とされる時代でした。

出発前にペストを含めた当時の流行病の予防接種を受けていたキヴリンでしたが、
なぜか現地に着いたとたん、謎の高熱を出していきなり失神。
近くの村人たちに救われて恢復に努めるうちに、彼女は少しずつこの村での生活に
溶け込んでいきます。
しかしそんな村のすぐ間近にも、黒死病の脅威が忍び寄りつつあるのでした・・・。

一方ではキヴリンを送り出したオックスフォード大学でも、謎の伝染病が発生。
タイムトラベルの技術者を手始めに次々と人が倒れていき、やがて高齢者を中心に
続々と死者が発生するというパンデミックが発生します。
大学も街も封鎖され、タイムマシンに近づくこともできないという非常事態の中で
歴史学教授のダンワージーたちはキヴリンを救うための奔走を続けます。
二つの時代で猛威を振るうパンデミック、そのつながりとは何か?
封鎖されてパニック状態のオックスフォードと、ついに到来した黒死病によって
地獄と化しつつある小さな村を救う手立てはあるのか?
そして過去に取り残されたキヴリンを待つのは、いかなる運命でしょうか?

容赦なく襲う感染症の恐怖、バタバタと倒れていく人々。
未来人としての知識でそれを食い止めようと奮闘するキヴリンですが、
結論を明かしてしまうと、彼女がその闘いに勝利することはありません。
いかに知識と技術があるとはいえ、キヴリンはあくまで一人の人間にすぎず、
自然と時代によってもたらされた黒死病という災厄を覆せるはずもないのです。
人間の英知が自然を克服できるという発想を完膚なきまでに打ち砕く物語は、
たしかにSFとしては「異質な物語」とも言えるでしょう。

ではあらゆる人智が敗北し、日常生活も正気も失われてしまった暗黒の中で
人間にとって最後に残るものとは、いったい何でしょうか?
まさにそれこそ、ウィリスが1000ページという枚数を積み重ねた結末で
示したかったものだと思うのです。
他の作品でもモラリストとしての側面を見せてきたウィリスですが、その特質は
この作品のクライマックスにおいて、最もはっきり表われていると思います。
それをなんと表現すべきかはすごく難しいのですが、ここはあえてコミックス版の
『風の谷のナウシカ』のラストから「いのちは闇の中のまたたく光だ」という
不朽の名言を引用させていただきます。

この作品について「確かに感動モノの大作だが、SFの感動ではない」との意見を
目にすることもありますが、はたしてそうでしょうか?
この作品の最もすばらしいところは「黒死病の脅威に苦しんだ人々と、現代の人々を
SFというギミックで繋ぐことにより、二つの時代の苦悩を共有させることに成功した」
という点にあると思います。
こういう感覚を得られるのが、私がSFというジャンルを選んで読み続けている
ひとつの理由かもしれません。

と書いてみてもうまく伝わらないでしょうから、またもや引用になりますが
文庫版解説で訳者の大森望氏が書いた見事な一文をどうぞ。

“言葉にすると陳腐だが、社会的にも文化的にもまったく異なるふたつの世界を
 重ね合わせることで、ウィリスは時代を超えた普遍的な人間性を鋭く描き出す。
 そのために動員される文学的技巧の数々は、おそらくサイエンス・フィクションの
 それとは異質なものだろうが、こういうかたちでふたつの時代を並置させること自体、
 SFの特権的な手法であるとすれば、『ドゥームズデイ・ブック』こそ、SFと文学の
 もっとも幸福な結婚かもしれない。”

ドキュメンタリーとして黒死病の事実を書くのではなく、シミュレーションとしての
パンデミック小説を書くのでもなく、その両者を併せ持った物語とすることによって
ウィリスは単に二つのジャンルについて二冊の本を書く以上に「力強くも悲劇的な
真に人の心を打つ物語」を書くことができたのではないでしょうか。
わたしはこれもまた立派な「SFとしての感動」であると考えています。

まあタイムトラベル理論はかなり御都合主義的だし、細部の整合性や論理性について
厳しく要求する人には、我慢ができないところもあるでしょう。
でもSFのスケールや感動って、そんなちゃっちい物差しでは測れないと思いますよ。
むしろ「SFに何ができるか」という可能性を拡張して、ひとつの結果を見せたのが
この『ドゥームズデイ・ブック』という作品の真価だと思います。

実際にこんな事態になったら困りますけど、この「ペストの時代の愛」の物語を読んで、
我々もパンデミック時代の到来に負けない心構えを持ちたいものです。

ちなみに訳者の大森氏も薦めてますが、ドロシー・セイヤーズによる古典ミステリの傑作
『ナイン・テイラーズ』(東京創元社)も、あわせて読むことをご推奨。
教会建築や鳴鐘法に関するウンチクも勉強になりますし、時代がかった設定と地方社会の
怪しさたっぷりの描写は、最近の伝奇ミステリよりずっと味があっておもしろいです。
英国執事のカガミともいうべきバンターの活躍も、真の執事好きには見逃せません(笑)。
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豹頭の戦士とBLの母、逝去

2009年05月27日 | SF・FT
本日の新聞に、作家の中島梓氏の訃報が載っていました。

享年56歳。ベテラン作家で著作も多いので、失礼ながらもっと高齢かと
思っていましたが、まだずいぶんお若かったんですね。
経歴の多彩さはWikipediaなどに詳しいですが、作家として幅広いジャンルに
書きまくったほか、舞台演出からバンド活動、そしてTVタレントに至るまで
メディアをまたにかけて活躍した方でした。

オタク文化的には、雑誌「JUNE」で現在のBL系に至る基礎を築いたことも
強く印象に残っています。
当ブログでも以前に武部本一郎展の記事で「ニーベルンゲンの歌」の所蔵者である
中島氏について触れましたが、その時のイメージはこれに由来するものです。

しかしSF読みには、むしろ「栗本薫」の名のほうが知られているのかも。
なんといっても『グイン・サーガ』は大ベストセラーだし、出版小説としては
実質的に世界最長の小説ですからね。

実はこの方の作品ってほとんど読んでないけど、ここ数年の間に『グイン』の
新作刊行が大幅にペースアップしたのはちょっと気になってました。
本人も病気のことを考えて、執筆ペースを上げていたのかな・・・。

物語も終盤に差し掛かったようだし、今年になってアニメ化もされた矢先に
作者が鬼籍に入ってしまうとは。
『グイン』も、結局は未完のままで終わってしまうのでしょうか。
年齢的にはまだまだ書けるはずだったのに、残念なことです。

訃報といえば、先月はニュー・ウェーブSFの「産みの父」であるJ.G.バラードも
ついに亡くなってしまいました。
国も世代も違えど、SFが熱かった時代の立役者が次々に退場していくのは
なんとも寂しいものです。
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SFM50周年企画“Sync Future”

2009年03月23日 | SF・FT
テレビ東京の『カンブリア宮殿』で、少年サンデーと少年マガジンの創刊50周年に
まつわる裏話を見つつ、ネットで「究極映像研究所」さんにアクセスしてみたところ、
SFマガジンの創刊50周年企画についての記事を発見しました。

へー、この3誌って同じ年に創刊されてたのか~と思いながら記事を読んでみると
どうやら50周年記念誌として、SF作家の小説と人気クリエイターを組み合わせた
アートブック『Sync Future』(仮題)を出すようです。
以前から表紙に気鋭のマンガ家やイラストレーターを起用し、かつてはその誌上で
イラストコンテストもやっていたSFMなので、企画自体は意外でもないのですが
ずらりと並んだ作家陣とクリエイターの豪華な組み合わせには、さすがにビックリ。

藤崎真悟×山本二三 『ハイドゥナン』
桜庭一樹×村田蓮爾 『ブルースカイ』
菅広江×福島敦子  『永遠の森 博物館惑星』
小川一水×田島昭宇 『時砂の王』
飛浩隆×前嶋重機  『象られた力』
林譲治×田中達之  『ウロボロスの波動』

と私がピンときた組み合わせだけ並べてみても、ジャンルを超えたゴージャスさ。
いったいどれだけの内容になるのか、そしてどれだけ値段が高いのか(笑)の2点が
すごく気になるところです。

ユニークな組み合わせとしては、大原まり子×KEIの『ハイブリッド・チャイルド』や
野阿梓×高河ゆんの『凶天使』など、旬のクリエイターがベテラン作家の代表作に
どうアプローチしてくるかが楽しみです。
他にも参加クリエイター募集中らしいので、今後も目が離せそうにありません。

でも円城塔の作品は入ってないのか・・・って、あの人の作品はビジュアル化不可能?

もし版権がクリアできれば、海外作家でもこういう企画ができないですかね。
イーガンとかチャンとかスターリングとかワトソンとか、ビジュアル化希望の作家は
いくらでもいるし、このメンツならうまく頼めば書きおろし作品も期待できそうです。
末弥純氏がイラスト描くって言えば、マーティンが「タフ・シリーズ」の新作短編を
書いてくれるかもしれませんし。
その折にはぜひコードウェイナー・スミスも入れて欲しいなぁ・・・と、脳内企画だけで
アドレナリンがバンバン出まくってます。

ちなみに究極映像研のBPさんご推奨の銘柄は、こちらの3作。

磯光雄×飛浩隆 『グラン・ヴァカンス―廃園の天使』
菅原芳人×山田正紀 『神狩り』
森本晃司×伊藤 計劃 『虐殺器官』

菅原さんの仕事はよく知らないけど、あとの2組はたしかにスゴそうですね。
私は森本さんの描く『虐殺器官』が、特に気になります。

その『虐殺器官』で衝撃のデビューを果たし、今後の日本SFを牽引すると期待された
伊藤計劃氏ですが、同じ記事につけられたコメントで最近ご逝去されたと判明。
『Sync Future』(未来との同期)というタイトルが最も似合う作家の一人だったので
この訃報は衝撃的でした。

森本さんとのコラボ作品がせめてもの手向けとなりますように。ご冥福をお祈りします。
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終わりなき『エンジン・サマー』

2008年12月12日 | SF・FT
ワンス・ア・デイ、冬なんかないといってくれ。

冬なんか来ないといってくれ。

そうしたらきみを信じるから。

(本文291頁より)



扶桑社海外文庫版『エンジン・サマー』読了しました。
伝説となった青春SFの超傑作が、丸18年を経てようやく復刊。
灯心草の探求の日々を読みつつ、むかし古本屋で福武書店版の古書を探してまわった事を
懐かしく思い出したりしたものです。
そういう意味では、私にとって二重に忘れられない作品となりました。

「嵐」という名で伝えられる大破壊によって、栄華を極めた人類の文明が崩壊してから
既に数世紀が経ち、「インディアン・サマー」(小春日和)が変形した「エンジン・サマー」
という慣用句が使われる時代。
かつてアメリカと呼ばれた土地の片隅では、生き残った人々が独自の文化を作り出し、
それにすがりながら細々と生を繋いでいます。

そんな集落のひとつ、ネイティブ・アメリカンの文化を思わせる習俗を持つ
「リトルベレア」で生まれた少年「しゃべる灯心草」(Rush that Speaks)は、
古代の遺物とかつての「聖人」たちの物語に触れながら成長していくうちに、
やがてそれらの驚異を自らの手で取り戻し、リトルベレアに持ち帰りたいという
強い思いを抱くようになります。

やがて彼が出会ったのは、黒髪と青い眼が印象的な「一日一度」(Once a Day)という名の
謎めいた美少女。
幼なじみからやがて恋人となった二人ですが、ある春の日、彼女はべレアを訪問した
交易者のグループ「ドクター・ブーツのリスト」と共に旅立ってしまいます。
置き去りにされた「灯心草」は、「一日一度」と、そして今は人類が失ったものを
再び見つけるために、自らもリトルベレアを後にします。

聖人「まばたき」との出会い、ドクター・ブーツからの手紙、そして復収者としての生活。
過去を伝える者、忘れようとする者、見つけようとする者との暮らしの中で、「灯心草」は
多くの物語と出会い、それらはやがて彼を「全ての失われたものが辿りつく」といわれる
究極の地、「空の都市」へと導いていきます。
そこで彼は何を見出し、そして何を語るのでしょうか・・・。

「エンジン・サマー」、すなわち「機械の夏」。
これは人類が栄えた「偽りの夏」の比喩であり、かつての「夏」を思い出す人類と、
そしてその季節を追い求める「灯心草」自身の比喩ともなっています。
その「灯心草」が語るこの『エンジン・サマー』自体も、そのタイトルにふさわしい
ひとときの幻のような物語だといえるでしょう。
ネイティブ・アメリカンを勝手に「アメリカ・インディアン」と呼んできた人々の末裔が
いまや自ら「ネイティブ・アメリカン」と化している皮肉など、アメリカ文化や社会への
鋭い風刺も見せながら、物語全体はあくまで美しく、そして不思議な輝きを失わず、
読み手を夢のような旅へと誘います。

「灯心草」が語るひとつの物語を透かして見え隠れする、無数の物語と無数の人生の幻影。
それらは失われた過去の木霊ですが、一方では様々な物語に姿を変えて、今を生きる人類の
精神的な支柱にもなっています。
そして「灯心草」の物語もまた多彩な切子面を持つと同時に、さらに大きな物語の「切子面」の
ひとつでもあることが、全てを語り終えられたときに初めて明かされます。

「透明な存在」である語り手と、それに耳を傾けて涙する聞き手が最後に交わす会話には、
限りない喪失の痛みと共に、時を越えた癒しと労わりの心も込められているのでしょう。
悲しさだけでなく優しさも感じさせるラストの深い余韻には、言葉もなく打ちのめされました。

SFという形式を最大限に生かして、「物語」の可能性を極限まで探ったこの作品こそ、
まさしくSFでなければ書けなかった、ジャンルを超える名作だと思います。
もう絶版にされないためにも、今度こそ多くの人に読まれることを願います。

さて、旧版と同じ表紙絵は、マイケル・パークスの描く“Magician's Daughter” 。
絵のイメージもぴったりですが、他に物語の中に出てくる“薬の娘”、つまり
Medicine's Daughterにも掛けてあるのでしょう。
(パークスの他作品は彼のサイト“Swan King Editions”で見られます。)

これにちなんで、こちらは先日見てきたワイエス展のおみやげから。

タイトルはもちろん“Indian Summer”。
ただし絵ハガキのみで、本物が会場になかったのは残念でした。

ところで、「一日一度」(ワンス・ア・デイ)の気性は、この手のヒロインが好きな
私から見ても、さすがにキツすぎるなぁと思うところが。


「春になったら」とぼくはいった。「もどってくるね」

「いまが春よ」

 ワンス・ア・デイはふりかえりもせずにいい、そして彼女は行ってしまった。

(本文132頁より)


ここまで来るともはや“ツンデレ”や“ツンツン”を通り越して、むしろ“グッサリ”もしくは
“バッサリ”という致命傷レベルです(^^;。
時に優しすぎるほどの「しゃべる灯心草」には、やはり手に余るヒロインではないかと。
まあそういう娘だからこそ、何度でも追いかけたくなるんでしょうけどね。

ただいま訳者の大森望氏のサイト内には『エンジン・サマー』特設ページあり。
原書の表紙写真では、“グッサリ系ヒロイン”(笑)「一日一度」の姿も見られます。

文庫版の訳者あとがきでは、これまた幻のクロウリー作品『エヂプト』も、
ついに来年の邦訳刊行が決まったとのビッグニュースもありました。
ひょっとして、来年はいよいよクロウリーブームが来ちゃうかも!
・・・と期待を込めて書いておきます。これがホントになるといいんだけど。
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ハローサマー、グッドバイ

2008年10月14日 | SF・FT
河出文庫の新訳版『ハローサマー、グッドバイ』読みました。
しかしこのタイトルは響きがすばらしい。文学史上でも屈指の名タイトルでは。

そして内容は・・・甘~い、とにかく甘すぎる青春小説!
けど、その甘さの裏にはきつい毒もあるのです。
コーニイってホントずるい作家だなぁ。

SFとして、また小説としてはすごく巧みに組み立てられているけど
逆に言えばおそろしく計算高い作品だという感じも受けました。
この点について、「SFの本第4号」でコーニイを論じた福本直美氏は
彼の作風を「お小説さま」と評していますが、まさにそのとおりかと。

なんというか、ドローヴとブラウンアイズのためだけに書かれた物語なんですよ。
両親との対立、大人たちとのふれあい、そして世界を巡る謀略までが、ドローヴの
若さと純粋さを引き立たせ、ブラウンアイズの愛らしさと一途さを強調するための
お膳立てに見えてしまうのです。

そんな扱いの極めつけは主人公と同年代の友人、リボンとウルフの描かれ方。
清く正しく成長していくドローヴと、いい意味で変わらないブラウンアイズに対し
ドローヴと対比されるウルフは「自分の身分に固執して成長のない子供」であり、
ブラウンアイズの姉貴分のリボンは、ブラウンアイズよりも一足先に「女」として
成熟し、そして身を持ち崩していきます。
この二人に限らず、メインとなるカップル二人以外に対する作者のあまりともいえる
厳しい仕打ちには、ちょっと引いてしまいました。まさに、世界はふたりのために。

前年の夏に惹かれあい、再び出会った今年の夏は既に両想い確定のドローヴと
ブラウンアイズ。
面倒なところはすっ飛ばしていきなり「フラグ成立済み」なのは安心感があるけど、
恋愛小説としてはなんだか物足りない感じ。(純愛小説としては正解ですが)
少年少女の恋に理由なんか必要ないのかもしれないけど、読む側にとっては
そこが省略されてると、イマイチ思い入れがしにくいものです。
フラグが立つまでが大事だと「落とし神」様も言っておられますし・・・(^^;。

ドローヴの青臭さもイヤだけど、「ツン」がない「デレ」だけのブラウンアイズは
面白みがないだけでなく、ヒロインとしてあまりにも理想化されすぎでしょう。
もし70年代のアメリカSFでこんな女性を書いたら、周囲から相当叩かれそう。
当時はル・グィンやティプトリーらの女性SF作家が大活躍の頃ですからね。

さて、世界が大きく変わっていっても、ドローヴとブラウンアイズの愛は揺るぎません。
刻一刻と苛酷さを増す環境は全ての人々を追い詰める一方、少年と少女の絆を深め、
やがては二人の愛に障害となる存在を次々と取り除いてくれる要因となります。
このあたりが、「ずるくてうまい」コーニイ先生の真骨頂。
かくして雪に閉ざされていくパラークシは、二人の少年少女がその純真と愛情を
ひと夏の思い出と共に凍結し、再びの夏を夢見るためのゆりかごとなるのです。
あ~、書いててむずがゆくてしょうがない(笑)。

ラストの大どんでんがえしには「おー、そういうことか!」と驚かされたものの
これをやるために序文から延々と書かれてきた伏線(もしくはいいわけ)に気づくと
その仕掛けに感心する反面で、なんだか気分が冷めてしまうところもあります。
ま、手のこんだSFミステリと考えれば、実によくできてるんですけど。

自らが到達したヴィジョンに一人酔いしれ、閉ざされていく意識の中で勝利を叫ぶ
ドローヴの近視眼的な視野は、惑星的スケールの世界観から導かれたものにしては
あまりにも狭すぎると感じました。
そしてその狭さは、「セカイ系」と呼ばれる作品の手触りにも似ています。
その感触を心地よく感じるか、独善的な法悦と切り捨てるかは人それぞれですが、
私はどちらかというと後者の感想を持ちました。
リアルな屈折ぶりもいいんだけど、ラストまでそれを押し通すのもどうなのよ?
無力感と表裏一体のドローヴの自己肯定ぶりには、ちょっと怒りさえ覚えました。

海を舞台にした少年少女の物語とくれば『未来少年コナン』が連想されますが、
ドローヴのほうはコナンと違って世界を変えることもなく、変わり行く世界に
自ら立ち向かうこともありません。
むしろその変化を受け入れることで、自分が大きなシステムに救われる姿は
コナンと正反対だとしか思えないんですよ。
世界に反抗しているようで、実は何もしていないという小狡さがイヤらしい。
「少年が大人になる物語」って、こういうところにも当てはまるのかな(^^;。

こんな感じで読後感は爽やかとかけ離れたものでしたが、巧妙に作られた異世界感や
階級性の強い社会、そして急変する環境がもたらす混乱などには、イギリスSFの
伝統的なテーマが踏襲されていて、なかなか楽しめました。
主役の視野の狭さは残念ですが、作者の自伝的青春小説と考えれば仕方ないかも。

それにしても、「愛は世界を救わない」ってところがつくづくイギリスSF的だと
変なところで感心してしまいました。
結局この微妙なネガティヴさが、アメリカSFとは違う味なのかもしれません。
いろいろ文句をいいつつ、そのネガティヴさになぜか惹かれてしまうところも
確かにあるんですけどね。
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立川オリオンでスラデックまつり!

2008年02月26日 | SF・FT
奇想コレクション『蒸気駆動の少年』発売記念のトークショーを聞きに、
立川のオリオン書房ノルテ店まで行ってきました。

作者のスラデックはSF界でも指折りの異色派として鳴らした人。
そして今回この短編集を編んだのは、「特殊翻訳家」として活躍中の
柳下毅一郎氏です。異色×特殊、これこそ(悪)夢の組み合わせ。
トークショーではさらに『文学賞メッタ斬り!』で文学界を震撼させた
大森望氏(『立喰師列伝』にもモブで出演)と、京都からの来訪者にして
新本格ミステリの雄・法月綸太郎氏が加わり、実に奇妙でゴージャスな
異色の顔合わせが実現しました。(さらに終盤では飛び入りゲストも)
客席には(大森氏に「作風がちょっとスラデック」と言われた)円城塔氏、
(ギャグと残虐風味がこれまたスラデック風味な)伊藤計劃氏らの姿も。
う~ん、これはまさしく「立川スラデックまつり」じゃありませんか?

まずは京都からのビッグなゲスト・法月氏によるスラデック評から。
スラデックといえばSF界では怪作家として知られた人物ですが、
ミステリ方面からは『黒い霊気』や『見えないグリーン』といった
ガチガチの本格ミステリを書く人として評価されていた方。
法月氏はスラデックをデアンドリアやラヴゼイといった本格ミステリの
代表格たちと並べて、「結局はキャラものか歴史ものへと走りがちな
本格ミステリが多い中、スラデックはガチの本格を、現代を舞台にして
書いていた。これは当時本格ミステリを志向していた日本の作家達にも、
大きな励ましになったと思う」と高く評価してました。

でも「SF界ですごく有名な作家が余技でミステリを書いて、しかも結構
デキがよい。このスラデックという人はさぞ立派なSF作家なのだろうと…」
という法月発言には、場内のSF者たちが思わず悶絶。
うわぁ、こんなところに思いっきり勘違いしてる人を発見するとは…。
日本の著名作家までたぶらかすとは、さすがスラデックです。

それはさておき、法月氏からは「ミステリ作家・スラデック」について
斬新な指摘がいくつもありました。
「不在の友に」というSFミステリ短編に登場する“宇宙船ヴァン・ダイン”
(作家名のS.S.とスペースシップの略であるS.S.を引っ掛けたネタ)から
究極の密室犯罪短編である「密室」を「ヴァン・ダインのパロディ」と看破!
おかげであの不思議なオチが、私にも理解できるようになりました。
「スラデックのミステリからは、ネオ・ハードボイルドに似た雰囲気を感じる」
との発言では、ロジャー・L・サイモンの『大いなる賭け』の書名も登場。
おお、モウゼス・ワインですな!確かにヒッピー崩れ的なやさぐれ感には
どこか共通するところがあるかもしれません。
『見えないグリーン』と『黒い霊気』の比較では、デキがいいのは前者だけど
ノリがいいのは後者といった話もされてました。

この後はいよいよ編訳者の柳下氏と翻訳者の大森氏によるSF話。
(ちなみにここでのSFとは「スラデックファン」の略と思ってください)
柳下氏も大森氏も根っからのスラデッカーですが、大森氏の弁によれば
「僕のいた頃の京大SF研では一番人気のあった作家だった」とのこと。
まあ当時のメンバーは5人しかいなかったと言ってましたが。
(ちなみに当時のメンバーは大森さんのこちらの文章から伺えそうです)
柳下氏のほうは奥さんにナイショ?で買った『血とショウガパン』豪華版を
見せてくれました。赤いビロードの箱にモミの樹皮でできたブックカバーで
版画のイラストがたくさん入ってたような。日本円でウン万円だそうです。
他にカサンドラ・ナイ名義のゴシックロマンスとか、スラデックがでっち上げた
エセオカルト本(ムアコックの蔵書票つき!)やらUNIXの解説書、はては
「頭の体操」モドキのパズル本など、スラデックが書いた珍書奇書の数々が
披露されました。(そういえば高橋源一郎氏に貸したTor版の「Roderick」は
いまだに返してもらってないとか。)

スラデックの異色さについては「普通なら適当なところで書くのを止める所を、、
徹底的に突き詰めていってしまうので、結局は小説自体を解体するところまで
いってしまう、そこらへんがバカだけどイイところ」などと話してました。
ここらでスラデックのパズル好きで証明好きな性分が見えてきた感じ。
短編ミステリの代表作「見えざる手によって」でも、トリックがまず先に来て
それにあわせて人物と筋書きを組み立てた雰囲気があるもんなぁ。

そして終盤、この「見えざる手によって」を訳された風見潤氏が客席より登場。
『黒い霊気』の有名な一文について「あれは原文と違うかも…」との爆弾発言を
ぶちかますなど、終始サプライズだらけのトークショーでした。
(このへんの真偽については、柳下氏のブログに答えがあります)
サプライズといえば、最後までテーブルに置かれていた謎のネズミ人形。
なんとこれは電報で、送り主はベトナムにいる山形浩生氏というオチでした。

レジュメで配られたのは、法月氏がスラデックについて書いたアンソロジーの解説、
と学会会報にかつて柳下氏が書いたスラデックのオカルト本レビューなど。
でも一番のお宝は、レイアウトの都合で『蒸気駆動の少年』から漏れたという作品
「Alien Territory」の翻訳「敵性地域」じゃないかと思います。
小説として傑作かどうか…というか、小説かどうかも疑わしい作品だけど、とにかく
珍品であることは確実です。柳下氏がスラデックをウリポになぞらえたのも納得。

柳下氏によれば、『蒸気駆動の少年』には比較的読みやすい作品が集められており、
スラデック初体験の人でも大丈夫(だろうと思う)とのこと。
以前にサンリオSF文庫から出ていた作品集との重複もありますが、訳文については
今回のほうが全然いいそうです。(そもそもサンリオの本自体がレア本だけど)
これが売れると、日本ならすごくウケそうな第一長編「The Reproductive System」
(美少女科学者vs世界征服を企むマッドサイエンティストの物語らしい)とか、著者の
代表作とされるロボット少年の成長物語「Roderick」2部作が出る可能性もあるので、
興味がある方はぜひご購入をお願いします。

ちなみに河出の「奇想コレクション」は「『たんぽぽ娘』が出るまでは終わらない」と
柳下氏が言ってました。
ということは『たんぽぽ娘』、まだ当分出ないんだろうな…。
『CLANNAD』のアニメもフルボイス版も出ている今が、最高の売り時だと思うんですが。
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奇跡の降臨が連発!『ゴーレム100』トークショー

2007年07月07日 | SF・FT
三省堂書店で行われたトークショー「ゴーレム降臨!アルフレッド・ベスターに学ぶSF史」に
行ってきました。
SF作家アルフレッド・ベスターの最強/最狂作と名高い『ゴーレム100』の出版を記念して、
特殊翻訳家・柳下穀一郎氏と、「日本のデビッド・リンチ王」こと評論家の滝本誠氏による
ベスター談義が行われるという企画です。
(ちなみに『ゴーレム100』と書いて「ゴーレム百乗」と読みます。念のため付記。)

受付で本を受け取って会場に入ると、客席はおよそ八分どおりの入りといった感じでしたが、
翻訳者の某氏や評論家の某氏など業界人の顔がちらほら。
他にもいっぱい関係者が来てたんでしょうけど、素人の私にはわかりません。
やがて柳下氏と滝本氏が入場し、柳下氏の司会でトークショーがスタート。
冒頭で滝本氏からリンチの『ロスト・ハイウェイ』とベスター『ゴーレム100』の共通項として
「性的な遁走(フーガ)」というキーワードが提示されましたが、他は翌週に控えた別イベント
『インランド・エンパイア』トークショーに回すということで、リンチネタはこれで終了。
続いて滝本氏のプロフィールとSFとの関わりが、氏が雑誌『クロワッサン』の草創期に書いた
コラムの写し(内容が日本でブレイクする直前のディックにル・グィンのゲド戦記、さらには
ディレーニィという濃すぎるラインナップ)や、代表的著書『きれいな猟奇』からの引用により
説明され、滝本氏がかつてマイナー誌でディックの翻訳連載をやっていた(残念ながら未完)
というエピソードまで披露されました。
ちなみに滝本氏はディック・ブームが終わったあたりでSFを読まなくなってしまったそうです。

その後は滝本氏のSF読書歴を巡る逸話(きっかけはブラッドベリの短編だったとか、喫茶店で
ディック作品やゲド戦記を読んでいると女性に逆ナンパされる時代があった(!)とか・・・)や、
今は亡き黒丸尚氏との交流(喫茶店で『ダールグレン』の原書を読んでいると、黒丸氏が来て
「そんなモノ読んでるのか」と言われたらしい)、現在絶版中のベスターの名作『虎よ!虎よ!』
(アニメ『巌窟王』の元ネタですな)の魅力へと話題が移り、これが今読めないのはどう考えても
おかしいだろう、という話から未訳作品の紹介も絡めたベスター分析と『ゴーレム100』の感想へ。
ベスターの良さは会話文の巧みさであるとか、突き詰めてみるとどの作品も実はラブコメだとか、
しかし『ゴーレム100』の場合はそんな枠組みを食い破ってくるようなすごさを感じるなどの話が
次々と語られました。
編集者出身の滝本氏は、タイポグラフィ等も含めたベスターの「編集センスのよさ」を指摘され、
これにはメジャー誌の編集者同士ならではの共感覚めいたものを感じさせられました。

柳下氏によれば、ベスター作品は未訳SFの『The Decievers』もおもしろいし、芸能界の裏側を
ベスター流のしゃれた会話文で書いた普通小説の『The Rat Race』や『Tender Loving Rage』も
傑作なので、ぜひ訳されて欲しいとのこと。
滝本氏は『ゴーレム100』の翻訳について、訳者の渡辺佐智江氏の文章を賞賛し、そのついでに

「どの作品かは忘れたけれど、むかし渡辺さんのエロ語満載の翻訳を誉めた書評を書いたら、
編集長に激怒されて他の仕事まで下ろされた。あの記事は自信があったのに」

という秘話まで明かし、場内は大爆笑でした。

これを機に『ゴーレム100』翻訳者の渡辺氏が登場、続けて翻訳に協力した若島正氏、さらには
熱い解説を書いた山形浩生氏まで参加し、出版界の先端を担う顔ぶれが一同にそろうことに。
若島氏は自分をSFに引き込んだ原体験は20歳の頃に『虎よ!虎よ!』を読んだことだと語り、
ベスターは自分にとって非常に大事な作家だということを強調されてました。
渡辺氏は翻訳中に頭の中で「とっとこハム太郎」の曲が延々と鳴りつづけて辛かった話や、
ラストの文体がジョイスだと気づいて「これならやれるんじゃないか」と感じたこと、脱稿までに
なんと45日しかかからなかったという逸話などを披露し、客席の爆笑と驚愕を誘っていました。
山形氏は自分でも『ゴーレム100』を訳しかけたものの、最終章を読んで「今の俺には無理だ」と
あきらめたそうで、客席に配られた原文のコピーを見て一同納得。
なるほど、こりゃ英語が読めない人でも気づくくらいの異常っぷりです。
その異常な作品を手がけた渡辺氏の訳文については、トーク参加者の全員が異口同音に
「見事な訳文で、しかも原文にこのうえなく忠実」と手放しで絶賛していました。

最後に各出演者からひとことずつコメントがあり、皆さん口々に『ゴーレム100』が訳出された事への
感慨を述べておられました。
この偉業を達成した渡辺氏本人からは
「今まで人に待たれる作品というのを訳したことがなかった(場内爆笑)けれど、今回『ゴーレム100』を
訳してみて、人に待たれる本というのがあるのだと初めて実感しました。」
という、いろんな意味で泣かせるコメントが。
最後に柳下氏が
「この本が売れないと『未来の文学』に未来はありません。ぜひ他の人にも薦めてあげてください。」
と締め括りました。
後半に人が増えたせいで滝本氏の発言が減ってしまったのは残念でしたが、今後この顔ぶれで
しかもベスター絡みのトークショー(おまけに無料)が見られることは、多分ないだろうと思います。
これもゴーレムのご利益ということでしょうか。まさに奇跡の体験でした。

トーク終了後に、渡辺氏と滝本氏からサインをいただきました。
渡辺氏はこの日のためにわざわざ手づくりの「愛のGスタンプ」を持参、ひとりひとりに押した上で
丁寧にサインをしておられました。
(しかもこのスタンプ、本の表紙のGマークとおそろいなのです!)





滝本氏からは最新著書の『コーヒーブレイク、デビッド・リンチをいかが』にサインをいただきました。
次は未完だったディックの翻訳を・・・などと期待したりして(笑)。




サインの最中には少しお話もさせていただきました。
お二人とも親切に応じていただき、本当に感謝しております。ありがとうございました。
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『火星夜想曲』は大傑作!

2006年01月24日 | SF・FT
このところ読んでいたイアン・マクドナルドのSF小説『火星夜想曲』を、ようやく読了。
これはすごい傑作ですよ。SF的ヴィジョンがその世界に生きてる人と一体になって、
ものすごい迫力で読者に迫ってきます。

全部で69章の断片に、火星に生まれたひとつの街とその住民にまつわる
様々なエピソード、街の誕生から消滅までの歴史が綴られていくこの作品。
69という数字は、作品全体がひとつの円環を成していることを暗示してます。

物語の舞台は、テクノロジーの進歩によって人が住めるようになった未来の火星。
惑星改造の手違いから生まれた人知れぬ砂漠の緑地に、一人の天才科学者が
旅の途中で取り残されてしまいます。
彼によって入植地として整備されたこの土地に、数人の超人と多くの凡庸な人々が
流れ着き、やがて彼らによってひとつの街が形成されていきます。

その街の名は「デソレイション・ロード」、つまり荒涼街道。
それは手違いで生まれた街の、これもまた手違いから命名された呼び名でした。
そしてこの『Desolation Road』が、実は本書の原題でもあります。

やがてこの街に子供が生まれ、列車が停まるようになり、様々な人が次々に
この地を訪れるようになります。
バイオキャラバンがフラスコに入った胎児を授け、魔法のような科学サーカスが
世界創生の秘密を語り、火曜日の夜に彗星がレーザーで打ち砕かれる日々。
そして流しのギター弾きがやってきて、15万年の間雨の降らなかった土地に、
音楽で雨を降らせるのです。なかなかカッコいいでしょ?

ここまでが本書の前半で、その叙情的で美しい描写の数々はまさにブラッドベリ。
その背後に隠された数々のシンボルと凝りまくった文章、そしてSFガジェットを
まるで魔法のごとく取り扱う手際は、ジーン・ウルフを彷彿とさせます。
(でもマクドナルドはウルフほど意地悪ではないので、決してわかりにくくはない)

街の礎である超人たちはみな隠者で流れ者であり、彼らは決して表舞台には立ちません。
本当に世界と歴史を動かすのは彼らではなく、他の凡庸な人々とその子供たちです。
この凡庸なはずの人々が自分らしい生き方を求めてそれぞれにもがき苦しみ、いつしか
機械たちの預言者、宇宙一のハスラー、革命家、政治家、労働運動家、企業人となって
火星各地に愛と戦い、謀略と虐殺の詩を紡いでいくというのが、本書の中盤部分。

やがて全ての運命は物語の始まりの地、デソレイション・ロードへと還っていきます。
そして街は戦いの渦に飲まれ、人々は街を去り、デソレイション・ロードはいつしか
時間と砂漠の中へと消えていくのです。まるで始まりの時へと還るように。

ひとつの街の歴史にして住民の記憶であり、大いなる叙事詩であるこの『火星夜想曲』。
時として文章がくどく、辛らつで毒のある描写も少なくありませんが、読み終えた後では
それさえもこの作品を引き立てるスパイスのように思えてきます。

かつてル・グィンがティプトリーの短編集の序文に寄せた言葉として
「この本には、本当の物語が収められています」というのがありますが
これをそのまま『火星夜想曲』への賛辞とさせていただきたい。
美しくて残酷、悲しくて滑稽、そして幻想的なのにどうしようもなくリアルな物語。
SFを読むことの楽しさと奥深さを存分に味わわせてくれる作品でした。

前述の文章への補足ですが、私にとってSF小説が持つ「リアル」というのは、
科学的・技術的な厳密さを必ずしも意味しません。
その世界の中に根付いた科学・技術・社会といったものをみずみずしく描き、
そこに生きている人々を我々と同じくらいに本物らしく描くことができるか。
それができる作品こそ、本物のSFというものだと思ってます。

これをアニメで例えるなら、たとえば『オネアミスの翼』とか。
もちろん『トップをねらえ!』も入りますよ。あそこに描かれた宇宙へのあこがれと
人の想いの力に賭ける気持ちは、間違いなく本物です。

それにしても、この『火星夜想曲』に出てきたアイデア、他で見たことがあるような気が・・・。
この小説の元ネタが古今の有名SFや文学作品からの引用=リミックスだというのは
作者のイアン・マクドナルド自身も述べてますが、これはそういう話じゃありません。
確か『ジョジョの奇妙な冒険』の第6部『ストーンオーシャン』の中に出てきたスタンド能力で、
この作品のシーンを思わせるのがいくつかあったなぁと思ったんですよ。

あとサンデーの『からくりサーカス』で今やってる話も、機械天使vs蒸気機関車という
本書の1エピソードに似てる気がします。やっぱり影響うけてるのかな。
だとしたら、面白い小説は別のジャンルの面白い作品に「リミックス」されていくということの
好例になるのかも知れませんね。

どうせならこれらのマンガの読者にも本書を読んでもらって、ぜひとも売り上げに
貢献して欲しいです。
こんなに面白い本があまり売れてないってのは、やっぱり悲しいですから。
もっとマクドナルド作品が訳されることを願いつつ、お勧めしておきます。

参考までに、英語版の紹介ページ。各国版のカバー写真がイケてます。
日本版の表紙は好きなんだけど、やっぱり表題はそのまま『デソレイション・ロード』が
よかったよなぁ・・・理由は読めばわかります。
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