「オールウエイズ3丁目の夕日」をDVDできちんとみてみました。この映画の舞台は、1958年の東京。東京タワーが建設中で、高度経済成長がまた緒についたばかりの時代です。この時代の日本では家々を隔てる壁は薄く、夫婦喧嘩も何も外に筒抜けでした。夏にはランニングシャツ一枚の貧相なみなりをした子どもたちは、土管の置かれた原っぱ拠点にして、常に群れ集って遊んでいます。
この映画のなかでは、そうした当時の庶民の暮らしぶりの描写に力点が置かれています。作家志望で駄菓子屋を営む青年がひょんなことから親に捨てられた子どもを育てることになりました。その子どもを喜ばせるために、戦争で妻子を亡くしたお医者さんが、サンタクロースに扮してプレゼントを届けにあらわれます。中学を終えてすぐ、集団就職で青森から出てきて住み込みで働く少女を、自動車修理工場を営む夫婦が温かく見守っています。
「夕日」は「プロジェクトX」のような、高度経済成長期の成功物語ではありません。むしろ高度経済成長以前の「われら失いし世界」へのオマージュとしての性格を色濃くもっています。当時のことなどまるで知るはずもない学生たちまでもが、この映画をみて「懐かしい気持ちになった」といっていたのが印象に残っています。
しかし「夕日」もまた、高度経済成長を賛美する風潮から免れていたわけではありません。舞台となった自動車修理工場(「鈴木オート」)の「社長」(個人経営の町工場)宅には、冷蔵庫が、そしてテレビが入っていきます。「社長」は、零細な町工場に就職したことに不平をいう少女に対して、いまは一介の町工場でも、自動車は成長産業だから世界に打って出ることも夢ではないと諭しています。このセリフは「プロジェクトX」を彷彿とさせるものです。夕日に照らされる、完成したばかりの東京タワーを登場人物たちが様々な場所から仰ぎみる場面で、この映画は終わっています。世界一の高さを誇る東京タワーは高度経済成長のシンボルといえます。東京タワーを否定的なまなざしで見上げている登場人物はありませんでした。
この映画のなかでは、そうした当時の庶民の暮らしぶりの描写に力点が置かれています。作家志望で駄菓子屋を営む青年がひょんなことから親に捨てられた子どもを育てることになりました。その子どもを喜ばせるために、戦争で妻子を亡くしたお医者さんが、サンタクロースに扮してプレゼントを届けにあらわれます。中学を終えてすぐ、集団就職で青森から出てきて住み込みで働く少女を、自動車修理工場を営む夫婦が温かく見守っています。
「夕日」は「プロジェクトX」のような、高度経済成長期の成功物語ではありません。むしろ高度経済成長以前の「われら失いし世界」へのオマージュとしての性格を色濃くもっています。当時のことなどまるで知るはずもない学生たちまでもが、この映画をみて「懐かしい気持ちになった」といっていたのが印象に残っています。
しかし「夕日」もまた、高度経済成長を賛美する風潮から免れていたわけではありません。舞台となった自動車修理工場(「鈴木オート」)の「社長」(個人経営の町工場)宅には、冷蔵庫が、そしてテレビが入っていきます。「社長」は、零細な町工場に就職したことに不平をいう少女に対して、いまは一介の町工場でも、自動車は成長産業だから世界に打って出ることも夢ではないと諭しています。このセリフは「プロジェクトX」を彷彿とさせるものです。夕日に照らされる、完成したばかりの東京タワーを登場人物たちが様々な場所から仰ぎみる場面で、この映画は終わっています。世界一の高さを誇る東京タワーは高度経済成長のシンボルといえます。東京タワーを否定的なまなざしで見上げている登場人物はありませんでした。
1964年を境に、日本中から「乞食」が消えましたが、オリンピック控えた中国でも、同じことが進行中のようです。
「街中でのマナー向上」も、国家的目標に掲げられてるとか。
昔の映画など見ると、邦画でも洋画でも、男も女も、皆さん、煙草をスパスパ吸っては、その辺の路上に投げ捨てております。
現実にも、70年代にはまだ、駅のホーム下の線路など、煙草の吸殻でバラスが見えないほど真っ白だったのを、覚えてるんですが……
あれが、「マナー違反」になったのは、いったい、いつごろからなんでしょうね?
からすさん。たしかにあの頃の街はいまとは比べようもないほど不潔でした。あと臭いですね。どぶと汲み取り便所がいっしょになったようなあの臭い。あれを嗅げば、今日日のお嬢様方は、あの時代への憧憬など絶対に語らないでせう。東京オリンピックを境にして、街から不潔さや独特のにおいが急速に消えていった印象があります。そうした変化が、中国でもおきるのでしょうか。
「東京」は知らないけど、同時代の神戸や大阪の街も、確かに、埃っぽかったし、汚れてました。
道路には、ゴミがいっぱい落ちてたし、川や港の海は「ドロドロ」だったし……ガード下には「傷痍軍人」とか「乞食」が列を成してたし……
そういう「負」の面も描けたら、あの映画、もっと深くなると思うのだけど……
でも、「スタンド・バイ・ミー」が公開されたころのアメリカと、「三丁目」のただいまの日本……
なんだか似てるような……
1962年に製作された、小津安二郎の「秋刀魚の味」を、最近見ました。
元・海軍士官で、今はどこかの会社の役員らしい笠智衆が、偶然街で逢った元・部下(加東大介)と飲みに行きます。
「艦長、なんで、日本は、負けたんですかね?」
と、酔ってクダまく加東大介に、
「負けて、良かったんですよ。」
と、穏やかに諭す笠智衆が、印象的でした。