怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.49 博物館とかスポットとか(in和歌山)

2006年11月17日 23時55分42秒 | 怪道
大津の天台密教か和歌山の熊野信仰か(ネタの仕入先はご存知の通り恠異学会掲示板)・・・でさんざん迷って、でも今のワタシにホットなのはやっぱり熊野よねということで、和歌山県立博物館に行って参りました、特別展「熊野・那智山の歴史と文化」。両方行けばいいのに、てそんなことを言う方はワタシの赤貧イモを洗う状態をご存じないからです(間違った日本語は『動物のお医者さん』より)。来週失業保険がいただけるまで耐えがたきを耐えます、ハイ。

前評判どおり、かなりよかったです。飛瀧権現の「ひろう」ちゃんと千手観音サンがわかりやすい解説をしてくれておりましたので実にわかりよかったですし(笑)、展示スペース的には京博(特別展の方)の半分かそれより狭いぐらいだったんですが、これだけのスペースになんとゆうボリュームだと目をまわすほどの密度で、2時間かかった・・・最後の方はちょっと字に酔いました。

なかでも秀逸だったのがですね。補陀落山寺所蔵の千手観音と那智大社所蔵の女神坐像の展示の仕方。千手観音像わきの案内板の「ひろう」ちゃんが「後ろをふりむいてみて」と。それにつられてひょい、と振り向くと、千手観音の真正面に女神坐像がガラスケースにおさまっている。真正面にあるもんですから、女神像のガラスケースにちょうど千手観音が映りこんで、女神坐像と一体化しているように見えるのです。神仏習合の有様が、見事にビジュアル化されているわけです。思わず・・・う、うまい!と叫びましたよワタシは。

埋納されていたと言う立体曼荼羅檀の復元された有様も、実際に見たのは初めてでした。合計4幅の熊野参詣曼荼羅(室町と江戸)が一堂に会する有様も圧巻でした。数々の文書類、写経類を見ていると、最近字の練習をかねて写経もどきなことをやったりしているので思うんですが、このボリューム、一字たりとも間違えずに書き上げるって、すごいことですよ、できませんよ、恐ろしい集中力ですよ。

久しぶりの充実感です、ハイ。で、グッタリ疲れながらもついでにちょびっと、和歌山城の南数百mほどにある寺町通の、二つの寺院にある異界をのぞいてきました。ひとつは無量光寺の首大仏、もう一つは、窓誉寺にある、番町皿屋敷のヒロイン、お菊ちゃんの供養塔。

無量光寺の首大仏は別に異界でもなんでもないんです、ただ単に首だけの大仏です。燃えてしまった丈六仏を再建しようとひとまず首だけ作ったものの、後が続かなかったと言うただそれだけです。見た目はちょっと異様ですけどね。霊験譚としましてはどちらかというとこの首大仏の前に立ってた丈六仏にまつわる話の方ですな。もっともそれも、蓮心さんという熱心なお坊さんが修行中に一丈六尺の仏様に出会ったんだそうで。それを聞いた檀那の方が蓮心さんのために、というので丈六仏を作ったというお話。

楽しかったのはなんといっても窓誉寺のお菊さん方。皿屋敷の怪談話は全国に50近くその伝説の地がちらばっておりますが、こちらのお菊さん、別に和歌山城下でいわゆる「皿屋敷」騒動が起きたわけではございません。お江戸はかの番町皿屋敷・青山邸で非業の死を遂げたお菊さんを供養するために立てられた碑でございました。ご住職のお話によると、和歌山には別口で「皿屋敷」的伝説がないこともなく、和歌山城内にそういった由来を持つ井戸があるようだともおっしゃってましたが、それとは違うと力説しておられました(ちなみにその和歌山城の井戸とやらは、わからずじまいです)。

なんでもお菊さんの亡霊にさいなまれた青山主膳の伯母(エイさんとおっしゃるそうで)が紀州にいらっしゃったらしく、その方がこの窓誉寺の当時の住職に供養を依頼されたそうなのですね。さらに、その時の9枚のお皿が、青山主膳からエイさんに渡り、エイさんがこちらに納められたそうで、今もこのお寺に残されております。まぁ、全国の皿屋敷伝説の地の中にお皿が残されている場所は多いんですけども。ちなみに元は9枚あったというお皿、現存しているのは7枚のみ。

見せていただくことはできますか、とお願いしましたが、かつて和歌山城に展示された時やら皿を見せろと訪れた方々による数々の無礼な振舞かつ皿に対してもぞんざいな扱いをされたことがたび重なったそうで、それに懲りてよほどでもない限りは表に出さないことにされたようです。パンフレットに載ってますのでそれで勘弁してくださいと。

説明書きによれば中国の南蛮焼きのようです。「お菊皿」の収納ケースが9枚用な所らへんはちょっと気になる所ですけどもね。窓誉寺に納められて以降作ったケースならそれもありですが、元からそうだったら9枚1セットの皿になってしまいます。うん、きっとこっちに来てから保管用に作ったんですよね。そういうことにしておきましょう。

この窓誉寺、実はお菊さんの供養塔以前は「猫寺」として有名なお寺だったんだそうです。和尚が長年かわいがっていた猫が、死に及んで和尚の夢枕に立ち、明日葬式があるがその時に怪異が起こると告げる。翌日、猫が言ったとおりに檀家で死者が出、その通夜の時、突如雷雲が立ち込め、空に火炎車が現れお棺を奪おうとした。猫から怪異があることを聞いていた和尚は、顔色も変えず空に向かって一喝、空中より「禅師の徳には敵わぬ」と、嵐はおさまって棺も戻った、ということです。話を聞いたお殿様は和尚の徳に感心し、寺名・窓養寺の養を「誉」と変えられたのでした、めでたしめでたし。・・・猫が火車の訪れを告げにくるとは、なんともおもしろいお話ですね。ちゅーか猫によるヘタなやらせ芝居だったりしてと勘ぐってはいけないものでしょうか(笑)。

「火しゃ(ケモノヘンに由、たけた猫の意)」より恩があったこととお菊の皿のある寺、ということは「紀伊風土記にも記されている」とパンフレットにありましたが続風土記のことでしょうね。ご住職曰く、そういうイワレのある寺だからこそ、青山家の伯母という人も当寺にお菊さんの供養を願いに来たのではないかとおっしゃっておられました。

ちなみに、パンフレット掲載用の「お菊皿」の撮影時には、それなりのいわゆる怪異現象が起きたそうですよ。・・・そんな驚くほどの内容ではなかったですが、公言は避けるべきと判断し、ここではオフレコとさせていただきます。

当ブログもようやく本調子に戻ってきつつありますね。
この調子で、四国遍路の方もボチボチ、まとめて行きたいと思います。


逆光だったのでうまくとれませんでしたが、無量光寺の首大仏。高さは約3m弱と言ったところ。覆い屋は近年作られたばかりのようで、以前は雨ざらしだったみたい。


お菊さんの供養塔。