怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.97 ぼっけぇ、もんげぇ~上ノ巻

2008年05月31日 23時08分49秒 | 怪道
岡山に行ってきました。

実は岡山、小豆島なら小学2年生の折、大石先生ごっこのために分教所まで自転車で行くとかしたことあるんですが(途中でコケて両足血みどろになったという微笑ましい思い出w)、本土はいつも通過点でしたスイマセン。というわけで、新調したばかりの黒ラパンで中国自動車道を飛ばし向かった先は・・・津山。風が吹き荒れる♪てな具合に楢井俊平ごっこをしようとか、夜啼きの森な事件の村を訪ねようとかそういうのではありません(後者なんて不謹慎すぎてようしません)。猿神サマのいらっしゃる、作州一宮・中山神社をお参りしようというわけです。

中山神社は城下町としてさかえた津山市街地の広がる吉井川沿いから支流である宮川を北上した盆地の奥の、さらに支流の鵜ノ羽川沿いにあります。美作・中参神社の猿神退治の話は『今昔物語集』でよく知られますように、人身御供を要求する猿神を通りすがりの猟師が倒すという、時間と空間をこえてくり返し語られるお話。今昔~では中山神社の祭神はその時たおされた猿神となっておりますものの、社名は「中山」だけに吉備津宮鎮座まします中山なわけで、すなわち美作国が備前国より分立した和銅6年(713)に勧請されたものだろうと(神社境内には明治45年/1912建立の美作創置1200年記念な碑が立っておりました)。そうだとしたら勧請のだいぶ古い例になるわけでス。

「中山」からの神の勧請だとするならば吉備津彦さんかいなというのが素直なところですが、神社の由緒書では鏡作神ということになっております。中国山地は何かと金気のある地域ですから一瞬納得しそうになりますけども、鏡作神といえば奈良は田原本に鎮座する神ですし、唐突になんだろうと思いますネ。ちなみに鳥居前には推定樹齢800年のケヤキがあり、その根元には大国主が祀られるという。そして中山神社の地主神は実はこの大国主で「中山神」にプチ国譲りみたいなことをしたんだそうで。何この「譲るのが属性」みたいな感じw とりあえず、さすがに「祭神は猿神です」てなわけにはいかなかったでしょうが、『延喜式』頭注では大己貴命としていたり、いろいろ錯綜するような事情があったんでしょう。国の分立にしろ勧請にしろ、この辺りの地域にとって大変な出来事だったことをうかがわせますネ。

そんなわけで猿神サマは境内最奥の岩屋の中にひっそりとご鎮座。神社の方にお話をうかがったところ、中山さんのお使いはおサルさんなんだそうです。かつての神は今や新来の神のパシリなんですね、お気の毒。この神社は現在は牛馬の守護神ともなっているとかで、確かに美作牛って聞きますネ。神社脇を流れる鵜ノ羽川の対岸には今も「市場」なる字が残っており、そこではかつて牛の市が立っていたとのこと。岡山とか牛とか言うと俄然聞きたくなるのがクダンの話ですが、聞いたことありませんとつれないお返事でした。


祠の下の小屋には猿守なる赤い布で作ったサルの人形が大量に納められる。


中山神社の狛犬。狛サルに見えますが、と言いますと「否定はしません」とのこと。


分けていただいた猿守。

津山は時間の都合でホンッとに猿神サマだけを見るつもりにしていて、実写版鬼太郎で琵琶牧々やる人だとか花組トップ娘役の桜乃彩音チャンの出身地ぐらいにしか思っていなかったんですが(←ヒドイw)、市街を縦貫していたらカワイイのに出くわしてしまいました。それが、この辺りでは「ごんご」と呼ばれる河童チャンです。津山・鶴山城下を流れる吉井川が湾曲する辺り、現在の作陽高校下付近に「覗き淵」という場所があって、「泳いでる人の足をひっぱるごんごがいる」と言われたんだそうです。

そのいたずら好きのごんごにちなみ、市街地一番の目抜き通りは「ごんご通り」と名づけられ、水木ロードさながらにごんごチャンのブロンズ像が数多立ち並ぶだけでなく、防火水桶にもごんごチャンのイラストが!市内を1時間に1本走る循環バスの名前は「ごんごバス」、テレビ津山は「ごんごネット」、8月には納涼ごんご祭り(ごんごコスチュームで身を飾る踊り連が街中を練り歩く総踊りがあるんですってョ)なるものが行われているなど、とにかくごんご尽くし。やぁ、がんばってマスネ、津山市。急遽ごんご探しの探索にでましたものの、結局どこが「覗き淵」なのか、よくわかりませんですた。

次回は岡山市内へ向かいます。



ごんごブロンズ像。


「覗き淵」は・・・この辺りになるんでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿