一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「バガヴァッド・ギーター」シャンカラ註 序章(1)

2005年11月24日 12時54分12秒 | インド哲学&仏教
以下に本サイト「Hinduism & Vedanta」用に準備している「バガヴァッド・ギーター」シャンカラ註の序章(1)を試みにアップいたします。


オーム、ナーラーヤナ神{*1}は未開展者(avyakta){*2}を超えている。
宇宙卵(aNDa){*3}は未開展者より生まれ、7つの島(dviipa){*4}と大地からなるこれらの世界は、まさに宇宙卵の中に存在するのである。


{*1}尊敬される注釈者(シャンカラ)は伝統に則って、自らの信仰する神格(iSTa-devataa)、すなわちナーラーヤナ神に対して祈りを捧げて、この仕事を開始する。(aanandagiriの復註による:以下Aと略す。)
{*2}未開展者は、当ギーター13章5節のシャンカラ註に次のように述べられている。――分化されていない主宰神の力、マーヤーとも呼ばれ、宇宙の進行を支える種子の形の力である。
{*3}宇宙卵はヒラニヤガルヴァ(ブリハッド・アーラーニヤカ・ウパニシャッドでは、比ゆ的に「死」と呼ばれる)を表す。ヒラニヤガルヴァは、地・水・火・風・空の5要素からなる。
{*4}ジャンブー、プラクシャ、シャールマリ、クシャ、クラウンチャ、シャーカ、そしてプシュカラの7つ。


彼、主はこの世界を創造し、この世界の維持を確かなものにすることを望んで、初めにマリーチと他のプラジャーパティ達{*5}を創造した。そして、ヴェーダ聖典に述べられた、行為(pravRtti:外に向かう傾向、活動性)によって特徴付けられた宗教(dharma)の道(=儀式や義務)を彼らに歩ませたのである。次に、彼は、サナカやサナンダナを初めとする他の人々(=サナータナとサナットクマーラ)を創造した。そして彼らには、知識と無執着によって特徴付けられた放棄(nivRitti:内に戻る傾向、非活動性)の宗教を進ませたのである。ヴェーダ聖典によって指示されているこの二種の宗教、すなわち行為の特徴を持つものと、放棄の特徴を持つものは、まさにこの世界が存続するための第一原因なのである。そしてこの宗教は、生命を持つ存在にとって、繁栄はもちろんのこと解放の直接的な原因であり、カースト(varNa)や生活期(4住期)にかかわらず、バラモンを初めとして幸福を求める人々によって実践されている。

{*5}プラジャーパティは生物の主である。諸聖典によって様々に数え挙げられるが、バーガヴァタ・プラーナ(Ⅱ-xii-21-22)に従えば、マリーチ以外は、アトリ、アンギラス、プラスティヤ、プラハ、クラトゥ、ブリグ、ヴァシシュタ、ダクシャ、そしてナーラダである。

長い年月を経て{*6}、この道を歩んでいた人々の欲望(kaama){*7}が高まり、識別知が減少した結果、正法(darma)が非法(adharma)に圧倒されて、非法が増大した。そこで彼、すなわち原初の創造者であり、ナーラーヤナ神と呼ばれるヴィシュヌ神は、この地上のブラフマン{*8}の、ブラフマンたる性質(braahmaNtva)を守護するために、そして、この世界の安定を維持するために、あたかも〔母である〕デーヴァキと〔父である〕ヴァスデーヴァの息子であるかのように(kila)、彼御自身の部分であるクリシュナとしてお生まれになったのである。なぜならば、ヴェーダに関する正法(dharma)は、ブラフマンたる性質を守護することによってのみ守られるのであり、カーストや生活期の相違も、その基盤の上に成り立つからである。

{*6}クリタ・ユガ、トレーター・ユガはすでに過去となり、ドゥヴァーパラ・ユガは終末を迎えつつある。(A)(ユガに関しては当ブログ「カルパ」参照)
{*7}カーマとは、達成されない対象への渇きであり、特に性欲について語られる。
{*8}「地上のブラフマン」とは、「バガヴァッド・ギーター」(17章23節)に従えば、ヴェーダ聖典とバラモンと祭祀をさす。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「山茶花(さざんか)」 | トップ | 「宇宙戦争」――ラジー賞決定か? »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
むじゅい・・・ (吟遊詩人)
2005-11-24 20:13:07
とても難しいざんす。

私には、何が何だか・・・って感じです。



もう少し、分かりやすいと良いのになぁ。

分からない言葉が多すぎて、注釈読んでも、注釈自体、理解できなくて・・・。



子どもでも読めるようなの書いてくださいよぉ。

そしたら、私にもきっと理解できると思うんだけど・・・^^;
返信する
Re:むじゅい・・・ (便造)
2005-11-24 23:34:07
吟遊詩人さん、こんばんは。

やっぱり難しかったですか?

ちょとやそっとでは読めないよね。



シャンカラが書いた序章のこの前半は、端折られた創造神話的な部分なので、異文化で育ち生活する日本人にはとても分かりにくいところだよね。さらにそこに哲学的意義も付加していこうとするから、困難は倍加するかも。



でも、慣れるとなんとなく分かってくると思うので、後半もお楽しみに(^.^)



分からないところは無視してもいいと思いますよ。



脚注の部分は、もっと書き込むか、ばっさり捨ててしまうか、どちらかの方がいいのだろうね。

そういうことも検討するためにブログにアップしてみました。

貴重なご意見をありがとう!



そうそう、「子どもでも読めるようなの」への書き換えは、吟遊詩人さんにお願いしよう。
返信する
こんばんわ! (正史ナンダ)
2005-11-26 18:01:10
ああ、難しい!

法学部にちょいと籍を置いただけなので、インド思想は全くド素人なんです



英語すら読めないとなると、中村元、渡辺照宏、玉城康四郎あたりから学ぶしかなかったです



中村さんの「初期ヴェーダンタ哲学史」を高いなぁと思いながら古本屋で眺めていました

ビックリしたのは、20年以上も前に大正時代に編集された大蔵経を古本屋で見た時でした

85巻でしたっけ?

20万だか40万だか忘れましたけど、なにかしら感動しつつ眺めていると、横にいたマルクス主義かぶれの友人が「こんなもん、金持ちのヒマ人しか読めんやんけ」と一言

妙に考えさせられた一言でした



古代インドの文献の山!

いずれにせよ、すごい分野を専攻されたんですね



関係のないコメントですみません

素人なりに手探りで、進んできたもので



ところで、空海なんかは、専門の学者よりユング派の湯浅泰雄さんのが理解しやすかったです



返信する
正史ナンダさんへ (便造)
2005-11-27 16:29:55
正史ナンダさん、こんにちは。



やはり難しいですよね。

私も最初に読んだときには、いったい何のことやら分からず、ずいぶん困りました。



もともとシャンカラは、バラモン階級という特殊な教育と訓練を受けた人々に向けて語っているので、日本人にはかなり分かりにくいものだと思います。特に、この出だしの部分が一番分かりにくいと思います。

「序章」も後半になると、とても分かりやすくなってきます。後半部分は、近々アップいたしますので、忌憚の無いご意見をお聞かせください。



実は、中村先生は最寄り駅が同じだったので、何度かお会い致しました。素晴らしい先生でしたね。

「初期ヴェーダーンタ哲学史」は、中村先生が20代で書き上げた博士論文ですね。ほんとにすごいです!



玉城康四郎先生には、若かりし頃、「盲蛇に怖じず」で、学会で質問したことがあります。かわされてしまいましたが・・・・・・。

でも、著作は、あまり読んでいないのです。



渡辺照宏先生もすごいですよね。

一言書くときにも、どれほどのことを調べ上げてから書いているのだろう、と思うこことがしばしばです!



ユング派の湯浅泰雄先生の著作はとても読みやすく、魅力がありますね。「空海」に関する著書は存じませんでしたので、これはぜひ探してみます。

正史ナンダさん、貴重な情報をありがとうございました。

返信する
仏教 (mugi)
2005-11-27 20:58:39
シャンカラは確か仏教の問題点を徹底論破した人ですよね。既に衰退気味だった仏教からは対抗する学者は現れなかったのは残念です。ジャイナ教は生き残ったのに・・・

現代インドの仏教というと、アンベートカルを思い浮かべますが、新仏教徒の前途は多難そうです。
返信する
RE:仏教 (便造)
2005-11-27 23:13:00
mugiさん今晩は。



シャンカラ自身、仏教の影響を強く受けているといわれています。仏教を吸収し、一元論的変容をもたらしたシャンカラですが、「仮面の仏教徒」と非難されてもいるようです。



インドで仏教が滅び、ジャイナ教が生き延びたのは、「結局は、アートマンを認めたか否か、である」と、おっしゃっていた先生もいらっしゃいました。



どこか忘れてしまったのですが、アンベートカルの生地に銅像が建っていたので、道行く人に、誰の銅像か尋ねてみたところ、「誰の銅像か分からない」という答えが返ってきました。もう少し認知度が高いと思っていたのですが・・・・・・。



いずれにせよ、カースト制度を払拭するのは並大抵ではないし、すさまじく長い時間を必要とするのでしょうね。



返信する

コメントを投稿

インド哲学&仏教」カテゴリの最新記事