ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ

レバノンを拠点に、アラブ諸国を股にかけた過去を持つベリーダンサーASYA(アシア)の今と昔の奮闘日記

Ramadan Kareem ラマダンカリームからの集団的自衛権行使に断固反対の件

2014-07-01 03:44:05 | Weblog
まずは、ラマダンカリーム(ラマダンおめでとう)。


(観覧車でごめん!でもイスラムでは緑は神聖な色だそう。)

2014年は6月28日から始まったラマダン(ここでは1ヶ月の断食)、貧しい人たちが食べたくても食べられないという事を、自分たちも身を持って体験、気持ちや状況を共有しようという趣旨で行われる断食月ラマダン。

弱者の立場を理解する、サポート出来る人がサポートをする。
人間的にとても優しくそして寛大で、何だか安心します。

私は、大多数の日本人にみられる「あんまり宗教関係ないし」という人間ですが、イスラムの教えは、共感できるものも多々あります。(ないものもあるけど)

宗教や政治の話はタブーとされているのは分かっているけど、どうしても伝えたいことがあり、夜中の3時にキーボードをマニューバしています。
(ちなみにブラジルでは加えてサッカーの話もタブーらしい。笑)

数日前に、集団的自衛権の行使容認に抗議するため、新宿駅近くで焼身自殺未遂をした男性の話が、なぜか私の中ではジャスミン革命(アラブの春)の始まりとなったチュニジアの青年の焼身自殺と重なるものがありました。

<記事>
http://www.afpbb.com/articles/-/3019134

かたや一人は命を落とし、かたや一人は体中に火傷を負おうという命がけの抗議であったことは言わずもがな、そのことに対する日本での反応がどことなく他人事以外の何物でもないのは、やはり豊かさや平和ボケが生みだした結果なのでしょうか。。。

(はっと @HAT0406 さん ツイッターから引用)
正直に言って、焼身自殺の話及び画像がTLに流れてきても、ふーん、っていうそれだけで僕の中では終わってしまって、後からこれはやばい、と思って「戦争に慣れるため 明日戦争に行く」みたいな詩があったな、、、

これがその詩。


明日戦争がはじまる  
          
             宮尾節子

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる


<新宿の焼身自殺事件を知って何も感じなかった私へ(コメントなどもあり)>
http://togetter.com/li/686538


<集団的自衛権の行使はなぜいけないのか。~村上誠一郎衆議院議員が外国人記者クラブで会見~>

とても分かりやすい記事。
絶対読んでください。

http://blogos.com/article/89413/

集団的自衛権が行使されると、自分の子供が、家族が、友人が、恋人が、人を殺すための戦争に駆り出されることになるんですよ。

そんなこと、本当は誰も望んでないと思います。

これは決して他人事ではなく、日本国民全員に降りかかってくること。

このブログ、一度アップすると200人前後の方が読んで下さいます。
その皆さんが、一人一人家族でこのことについて話したり、友達と考えてみたり、広げてください。
決して大きな数字ではないけれど、人と人が繋がって、そこからまた広がるもの。

今、声をあげてください。


それ以前に、臨時閣議を強行しようとしている安倍政権は、「閣議決定で憲法解釈を変え、それに基づいて法律を作ろうとしているが、これは下位の法律によって上位の憲法を変える禁じ手であり、権力者が暴走しないように憲法によって権力を拘束するという立憲主義に反している。つまり安倍政権の手法は憲法違反である。

 似たような例として1930年代、ヒトラーが全権委任法を可決させ、ワイマール憲法が効力を失ったことが挙げられる。憲法が有名無実化した時、立憲主義は終わる。私は主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の三原則はどんなことをしてでも守らなければならないと思っている。」(上記リンク記事より一部抜粋)

安倍さん(本当は「さん」もつけたくないくらいですわ)、これはもはや、独裁政治ですよ。分かってらっしゃいますよね?


今日に引き続き、明日(7/1)、臨時閣議を前に17:00から総理官邸前で抗議デモがあります。
(7/1の詳細は少し下。その下には英語もあります。)


http://got.angry.jp/0630/


ベリーダンスとは程遠い、政治と宗教というタブーだらけのエントリーでした。

でも、私たちが楽しみながらベリーダンスに愛や情熱を注げるのは他でもない、ここに(少なくとも戦争がない)平和があるからだと私は思います。

皆さんはいかがお考えですか?