Keep on smiling ... 明日も笑顔で

波乱万丈の歳月を経て
尚、落ち着けないシニアの日々

ご無沙汰してしまいました

2019-11-19 09:26:16 | ワンコたち

1年以上も更新がなかったのは

パソコンの不具合でした。

 

今、試行錯誤しながらスマホから更新を試みています。

 

久しぶりの記事は悲報となりました。

 

去年のマイロの誕生日から2ヶ月経った12月3日

バギーに乗ったり降りたりの朝の散歩を終えて一休みしたあと

マイロの後ろの右足が全く動かなくなりました。

それにより立てなくなりました。

用意してあったオムツの生活

きれい好きでプライドの高いマイロは生きる気力を無くしました。

 

慌てて

『ふうりんしゃ』さんに車椅子を作っていただきました。

採寸、製図から僅か2週間で仕上げてくれたのですが

正直、出来上がる前に死んでしまうのではないかと思ってました。          

これによりマイロのQOLは向上し

再び歩ける生活を送っていました。

 

しかし

既に17歳を越えていたマイロは

夏頃から徐々に弱ってきて

車椅子は立つための道具となりました。

それでも寝たきりにせずに済んだので

食欲も衰えず元気に暮らしていました。

 

超高齢わんこの宿命の鼻水、鼻づまりの処置

オムツ交換

寝ているときの体位交換で

私の日常は昼夜を問わず

30分サイクル位の細切れになり

長期にわたる睡眠不足で

私の可動力は大幅に落ちました。

 

通院は月1回から2~3回になり

獣医さん、スタッフさんたちに

可愛がっていただいて

18歳の誕生日も

無事に迎えることができました

 

11月に入った頃からは

車椅子で立つことを嫌がるようになり

食事や水飲み

ベッドの清掃等の時だけになりました。

 

それでもバギーに乗っての

朝晩の散歩は

ディディエ、アロハと共に

楽しんでいました。

途中で飽きて

騒ぐこともあったけど

おおむね気持ち良さそうにしていました

 

マイロが急変したのは15日の金曜日

それまでも食欲に変動はあったものの

全く食べないということは皆無でした。

が、金曜日の夜からは

どんなに好きなものを与えても

全く食べなくなりました

 

ビーグルは亡くなる前日まで

ちゃんと食べるよ!

そう聞いていたので

お別れの近いことを悟りました

土曜日は朝に水を飲んだきり

何も食べず

水分すら摂らず

ずっと寝ていました

水分だけは摂らせたくて

夕方に、

食パンを細く切って

先を水に浸して与えたら

それは僅かですが食べました

それが

食いしん坊のマイロが口にした

最後の食べ物となりました

 

翌朝

一応、病院へ連れていくことは決めていたので

いつもよりは少し短いコースで

マイロもバギーにのせて

40分位の散歩をしました。

途中で出会った人が

バギーを覗きこんで

気持ち良さそうですね…と。

思わず涙がこぼれました

 

病院へ連れて行き、

食べられない状態で

延命はしたくないことを告げると

最期が楽なように

補液だけはしておきましょうと。

 

帰宅してからは

ずっとウトウトしていました

お昼過ぎに鼻水の処置をしてほしくて

少しワンワンした他は

とても気持ち良さそうに

スヤスヤと寝ては

時々目を開けて

そのタイミングでオムツ交換と

体位を変えてあげてました

 

夕方になり

最後の排泄を自力でして

鼻水の処置をして

気持ち良さそうな顔が

何ともいとおしくて

少し抱っこさせてね

と、抱き上げたら

大量のシッコ

私のズボンまで濡れたので

娘に託して

私が着替えをしていると

娘が

え?

え?

慌てて飛び出ると

マイロが数回突っ張ったと。

それから浅い息を数回吸って

吐き出すことなく

静かに虹の橋を渡っていきました

この間、僅か20秒位の出来事でした

 

18年1ヶ月13日

呆気なくという年数ではありませんでしたが

最期の瞬間は本当に呆気なくて・・・

 

初夏の頃からは

早朝勤務の娘とあわせて

早朝からたっぷりの散歩をしていて

その途中にある霊園の

観音像に

毎朝、手を合わせていました

マイロの体調が良ければ

バギーから出して

マイロだよ

頑張って長く生きてくれたから

いつ連れていっても良いから

苦しまずにお願いします

そう祈ると共に

 

どうか私がイベントに参加する日と

被ることのないように

お願いします!!

そんな無茶を祈っていました

 

次の日曜日

これまでで一番大きな

一番本格的な

ハワイからクム(フラ指導者)たちも

参加するステージがあるのです。

立ち位置はほぼ中央

フォーメーション練習も積んできました

抜けるわけにはいかない

でもこんな状態のマイロを置いて

笑顔でなんか踊れない

 

そんな私の思いを

マイロは知っていた

マイロと私は

阿吽の呼吸の相棒でしたから

 

マイロは応援していてくれる

だって

これまでずっと

フラレッスンの日は

出かける直前まで騒いでいても

そろそろ行かなくちゃ

でもマイロ、どうしよう

そう思いながら支度をしていると

ギリギリの時間で寝てくれた

そしてフラのレッスン日は

帰宅しても騒いでいることはなかったです

 

遡って、

まだマイロが自由に歩けた頃

私が自宅で練習を始めると

決まって足元にきて

一緒にウロウロ

ぶつかりそうで気を使ったけど

マイロなりに参加していたのでしょう

 

だから

次のステージ

本当に辛いけど

マイロに向ける気持ちで

最高の笑顔で踊ります

 

マイロは今日の夕方

観音像の近くで火葬になります

もうマイロに触れられないと思うと

悲しいとか

寂しいとかを越えて

苦しくて仕方ありません

 

マイロの最期の日だから

必死に記事を書いていても

涙が止まりません

 

18年

その間には

祖母の死

離婚して引っ越し

母の死

その後も数回の引っ越し

 

いつも寄り添ってくれた

誰よりもいとおしいヤツ

一生 忘れない

寂しさも

痛みも

全て受け止めて

再びマイロに会える日まで

生きるしかないようです

 

マイロと仲良しだった

ディディエとアロハ

また長生きしてもらえるよう

悔いのないように

暮らしていくから

お空から見守っていてね

 

マイロ

優しくできなかったときもあったこと

ごめんね

一緒に生きることができて

本当に楽しかった

ありがとね

大好きだよ、相棒!

 

 

 

 

追記

写真が上手く添付出来ません

後日、付け加えることにします

 

マイロの為に可愛いアレンジフラワーを贈って下さったみなさま、

 心より感謝いたします。

華やかなマイロの祭壇の写真も

後日、アップ出来たらと考えています。

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (くりくり2)
2019-11-21 22:39:25
ずっと気になっていました
マイロくんの年齢で記事が更新されていないけど元気にしてるのかな~
更新してないから元気なんだろうな~って。。。
あらためてマイロくんのご冥福をお祈りいたします

幸せな一生でしたね
本当に頑張ったね
凄く親孝行な息子ですね
ちゃんと自分の立場をわかって
旅立つ時を決めていたんですね

マイロくんと会うことが出来なかったけど
故郷は同じで繋がってる友達です

そして介護、お疲れさまでした
ゆっくりゆっくり 我慢しないで向き合ってくださいね
マイロくんに出会えて幸せをわけてもらえました
ありがとう!
           合掌

返信する
Unknown (くりくり2さま)
2019-11-22 20:48:18
心癒される優しいメッセージをありがとうございます。
愛犬を失う辛さ、初めてではないけれど
マイロとは阿吽の呼吸で、何しろ長生きだったし
子供たちの巣立ち、離婚して引っ越し、母の死など辛いときにはいつも寄り添ってくれた存在でした。
それだけに今は苦しいほど寂しいです。

苦しそうな様子は見せない最期だったこと、
大好きなねえねえと私に看取らせてくれたこと、
本当に親孝行だったと感謝しかありません。それだけにマイロの痛みにキチンと向き合えたか、
介護に手がかかったとはいえ晩年の記録を残せなかったことが悔やまれます。
写真は沢山残してあるので、追々
マイロの思いでとして載せていきたいと思います。

メッセージ、ありがとうございました!
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Unknown (yasuko)
2019-11-24 17:41:12
久し振りに開いたらとても悲しいニュースが目に飛び込んできました。18年も共に暮らしたマイロに先立たれどんなにつらい日々を送っているかと思うとなんて言って慰めていいか言葉が見つかりません。一つ言えるのはマイロはあなたと幸せな日々を送ったということ。そしてあなたは最後まで彼に寄り添ったということ。出会いがあれば必ず別れがあります。それはとても自然なこと。生きていれば何度か訪れる悲しいできごと。しばらくは悲しみに暮れる日々が続くかと思いますがディディエたちがあなたを癒してくれると信じます。
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Unknown (yasukoへ)
2019-11-25 13:06:43
メッセージをありがとう!
ワンコを迎え入れる時はいつも
最期まで責任をもって
可愛がろうって覚悟をします。
(それが出来ない悲しい人も多いけど)
ワンコがいることで規制されることもあるけど
そういう不便を差し引いても余りあるほど
喜びをくれました。
マイロは特に私の辛いときに、
いつも側に居てくれた。
マイロの顔が白くなり
歩くのが遅くなった頃から
私はお別れの辛さを考えていました。
11ヵ月も介護をしてきて
肉体的にはきつかったけど
晩年のマイロはひたすら可愛くて
まるで赤ちゃんを扱っているようないとおしさでした。
拘束されていた暮らしから
俄に時間にゆとりができて
家にいるとじっとしていられないくらい
苦しいです。

今はディディエやアロハの世話と
フラが救いになっています。
マイロと暮らした18年は
生涯忘れないと思います。
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