Keep on smiling ... 明日も笑顔で

波乱万丈の歳月を経て
尚、落ち着けないシニアの日々

初秋の津久井湖

2015-08-29 15:54:34 | お出かけ

まだ8月だというのに

肌寒い東京です

暑いよりは寒い方を好みますが

夏は夏だっていうだけで

テンションが上がるところもあるので

いきなり10月の気温はないでしょう・・・

 

とは言え

暑くてお出かけできずに

ストレスが溜まっている様子だったマイロさま

ディディエのトイレをグチャグチャにして発散したり

暑い日にわざわざ二つ折りの布団の中で寝て見たり

イヤミったらしいことをしておりました

獣医さん曰く

ワンコも歳を取ると賢くなって

ちゃんと自己主張をするようになるんです…って。

 

マイロの『どこか連れてけ』モードもマックスだったので

雨上がりの曇天の日に

津久井湖まで小一時間のドライブ~♪

       

ここは緑も多く湖もあるので

やはり涼しかったです

バーベキューを楽しめるエリアもあり

そこのテーブルにはワンコ係留用のフックもついているし

場所を借りて炭を買って後片付までやってもらって¥3,000

涼しくなって蚊が飛ばなくなるころに

コストコ経由でお肉や野菜をたくさん用意して

遊びに来なくっちゃね 

ちなみに観光センターでお肉も売り始めました

場所の予約も可能です

 

    

向かい側の小山に登ったら

秋の気配が色濃かったです

 

 

 

 

 


お盆も過ぎて・・・

2015-08-19 20:32:34 | 季節

8月も半ばを過ぎました

暑さも和らいだように感じます

都心に住んでいた頃と比べると

圧倒的に緑が多いせいか

朝夕は3~5℃は涼しい気がします

 

春先に露地植えしたトマトもキュウリも終盤です

代わりに水栽培していたトマトが大きくなりました

ペットボトルで育てるトマトはペットマトと言うそうです

       

キットに付いていたカバーでは支えきれなくなって

カレンダーを丸めて添えました

花芽がついたのは2週間くらい前の事です

イッチョ前に脇芽も出たので摘心しました

これらの写真を撮った後 更にトマトは成長し、

500ccの水が入ったペットボトルなどでは

とても支えきれなくなったので

鉢植えにして外に出してあげました

 

お散歩に出ても

大きくなった柿の実などに秋が近いのを感じます

       

栗の木は どれも沢山実をつけています

道路に落ちているのは食べてもいいのかな… by マイロ

それも拾得物横領になっちゃうのだろうか

市民農園エリアに転がっていた小玉スイカ

       

こちらは根性もののヒルガオ?

 

で、 まだ決して涼しいとは言えない季節なのに

このヒトは・・・・・

ゲージの中の二つ折りの布団の中に

挟まって寝ていました

暑くないんだろうか?

 

私は家事、 ジム、 洋裁、 読書に

涼しい時間帯のワンズ散歩と

何とも贅沢な日々を送っています

働き詰めできたのだから

こんな日々があってもバチは当たらないね

 

 


暑さを逆手に取ってみた!

2015-08-11 20:45:35 | パン

昨日は久しぶりに雨が降りました

少しは気温が下がりましたが

湿度は高いので熱中症は要注意です

 

冬に生まれて

暑い所よりは寒い所を好む私ですが

再び関東地方に住むようになって4年目の夏

暑さ対策も上手くなったように感じます

高齢ワンコたちの負担を考えて

この夏はお出かけは控えています

涼しくなってから旅行する予定です

 

食生活を通して

家族の健康を守る立場ですが

さすがに食欲不振で

冷たいものか刺激物を求める傾向は否めず

とは言うものの

ちびこの栄養バランスはトップ プライオリティなので

気乗りのしない食事支度ながら頑張っています

きっと一人暮らしだったら

素麺かお蕎麦ばかり食べていることでしょう

家族の存在に感謝です

 

猛烈に暑い日々

とっても上手くいっているのはパン作り

一番暑い階段の踊り場に置いておくと

面白いように醗酵してくれます

自宅で作るパンは

採算度返しですからね~

いつも富沢商店で美瑛産の強力粉を買っています

手前のパンの中にはクーベルチュールチョコレート

セミスイートチョコとホワイトチョコを入れてみました

ちびこは自家製パンの食べっぷりが一番良いです

パン・ドゥ・ミでも何もつけずにパクパク

3歳児とはいえ素材の良さは分かる様子です

今朝は久しぶりにパン屋さんのチョコパンだったのですが

しぶしぶ食べる様子に娘と笑っちゃいました

バアバとしては 逆でなくて良かったと…(笑)

 

北海道のお土産に

従妹が美瑛の特選品の小麦粉を届けてくれました

ずっしり重い貴重な食材、

そろそろ出番かな~   楽しみです

 

食育担当って

すごく重い責任であります

暑くて気が乗らないなんて言っている場合じゃないので

バアバ料理ファンのちびこのためにも

まずは私が健康寿命を延ばして頑張らなくちゃね!

 

 

 

 


暑中お見舞い申し上げます

2015-08-08 21:13:36 | 季節

今朝も6時前から散歩をしましたが

ここ一週間よりは涼しかった気がします

体温に近い気温に慣れたから

普通の夏日では驚かなくなったのでしょうね

人間の順応性は凄いモノです(笑)

 

お散歩は早朝と夜だけ

日中はエアコンの効いた涼しい部屋で寝て暮らす

我が家の贅沢なワンコたちは

外が猛暑とはつゆ知らず

どこか連れて行け~とウルチャイ

あと一月は遠出はムリです

避暑地も暑い今年の夏ですから・・・

 

なので

いつもの日陰の多い散歩道でガマンね

       

暑くても元気な花々

先日 新宿のサザンテラスの

クリスピークリームドーナッツの2階から

街行く人たちを眺めていたのですけど

夏は原色のお洋服が映えますね~

 

暑い暑いといっても

着実に実りの秋に向かっていますから~

 

毎朝の散歩コース

最後は家に向かうケヤキ並木の上り坂

       

ここはランナーも多いけど

競輪選手の練習コースにもなっているようです

何の木なのか

赤い実がいっぱい実っていました

ユリの花も清楚に咲いています

暫く雨の降らないマイロ地方ですが

私の背丈よりも背の高いユリの花も咲いていました

『ユリの花は毎年一つずつ増えるんだよ』と

幼かった私に教えてくれた母の言葉によると

このユリは5年ものみたいです

 

    

今日はスポクラでプールのスペシャルイベントがありました~

時間を間違えて早過ぎちゃったので

たっぷり泳いで、 水中で走って、 踊って

2時間近くプールに入っていました

3面がガラス張りで UVカットしているとは思えないので

屋内とはいえ日焼けしそうで怖いです

新しいスポクラでもお馴染みさんが増えて

楽しくなってきました 

やっぱり体を動かしていると気持ちいいです

 

 

 

 

 

 


八月六日

2015-08-06 20:02:56 | 祈り

原爆の日です

この日が巡ってくると

必ず思い出す人がいます

 

私は若い頃 アメリカの大学に留学しました

オクラホマ州というアメリカのど真ん中の田舎町にある

小さな大学で日本人の受け入れは初めてということでした

当時はインターネットどころかファックスもなく

通信手段は電話か手紙という時代

留学にこぎつけるだけでも大変なことでした

 

その大学に決めたわけは

日本でお世話になっていた先生のご実家が

近くの街にあったからです

一応 形だけでもスポンサーが必要で

スポンサーと言っても金銭的な援助ではなく

いわば身許引き受け人的な存在です

先生のお父様がスポンサーになってくれました

 

当時 先生のお母さまは大学院に通っていました

53歳から4年間かけて法律家になったスゴイ人でした

遠い街の大きな大学院だったので寮生活で

隔週の週末しか家には戻って来なくて

お父様と先生の妹さんだけが大きな家に暮らしていました

フレッドさん(お父様)は毎週木曜日の晩に

私がいた大学の寮に電話をくれて

週末に予定がないのなら家においでといって

金曜日の夕方に迎えに来てくれました

とても寡黙な優しい人で

多分 趣味ではなかったのだろうけど

私が行くとサイクリングに連れて行ってくれたり

冬ならば近くの池でスケートをしたり

図書館に行って本を借りてきて

広いリビングでそれぞれ静かに読書したり・・・

私がページをなかなかめくらないと

『どこか分からない文章があるのかい?』って声をかけてくれたり。

 

そんなこんなで2年間の滞在のうち

1/4位はスポンサーファミリーのお家で過ごしました

私が英語に不自由を感じなくなった頃

お父様は職場に私を連れて行ってくれました

彼は科学者でした

マクロの世界の研究者でした

 

たまに帰ってくるお母さまは

本当に素敵な女性で

でもとってもストイックな人で

"I can't." (出来ません)なんて言おうものなら

"Yes, you can!  You just don't want to."

(いいえ、できます。 ただやりたくないだけでしょ)

あれから40年経った今も

この言葉は深く私の心に残っています

 

そのお母さまが私に

戦争に関するとても深い話をしてくれました

第二次世界大戦の時

アメリカでは科学者たちは戦地に送られず

ニューメキシコにある大きな研究所に缶詰めにされたそうです

フレッドさんも家族を残してそのプラントで

『何か』の研究を日々させられたそうです

それぞれのチームは本当に狭いエリアの研究をし

それぞれの情報を共有することは許されず

何を作っているのか質問は許されなかったそうです

それでもフレッドさんたちは

自分たちがしている作業は

とてつもなく怖ろしいことだろうと察していたそうです

 

そして広島と長崎に原爆が投下されました

やっぱり・・・という気持ちと共に

フレッドさんは生きる希望を失うほど落ち込んだそうです

虫も殺せないような穏やかな優しい人でしたから・・・

 

戦後に生まれたフレッドさんのお嬢様が私の先生です

フレッドさんも

まさか自分の娘が日本で仕事をするとは思わなかったでしょう

でも、 娘を通して日本と繋がりが出来て

せめて自分が出来ることで

日本人に償いがしたいと思うようになったそうです

それが私だったのでしょう

自己満足でしかないけれど

フレッドの気持ちだから恩義に感じずに

私たちに甘えてほしい

お母さまのマリーさんの言葉でした

今はもうフレッドさんもマリーさんも

私の先生も天国にいます

 

私は後に英語教師になって

中学2年生の教科書では

被爆者・佐々木貞子さんの千羽鶴の話を通して

不定詞と動名詞を教え

いろんな形で原爆の日を思いますが

フレッドさんのことも

原爆の別の側面として思い出します

お元気なうちに

もう一度会いたかったです