残照日記

晩節を孤芳に生きる。

一方の得は他方の損

2010-11-13 10:30:30 | 日記
“一方の得は他方の損になる”と喝破したのはフランスの思想家でモラリストのモンテーニュである。曰く、<商人は若者たちが浪費するからこそ商売がうまくいく。農夫は麦類が高騰するため、建築家は家屋が倒壊するため、裁判官は訴訟やもめごとがあるため、聖職者でさえ我々の死と不徳のお陰を蒙っている。医者は不健康な人を喜び、兵士は平和になると職を失う。>(「エセー」岩波文庫)と。……

∇TPP(環太平洋経済連携協定)に参加する国が、来年にも9カ国に拡大する見通しである。政府は積極的に参加する方向で検討している。日本が参加した場合、内閣府では、実質国内総生産(GDP)を約3兆円押し上げるとし、経産省は10兆円もの経済効果があると試算している。産業界は大いに潤う計算だ。他方、苦境に立たされるのが農業分野。関税が撤廃されると、輸入で米778%、小麦252%などの関税をかけている農業への影響は大きい。農林水産省は、国内農業生産が約4兆円減少、農業分野で実質GDPが8兆円弱減少すると主張している。まさに、<彼方(あちら)立てれば此方(こちら)が立たぬ>の“増減ルール”が厳然と横たわっている。

∇結局、中長期的に鑑みて真の「国益」はどちらにあるか、が最終的な判断になるだろう。「ビデオ流出」事件も、可能な限り早い時期に、日中両国が円満妥結することが真の「国益」であることは明らかだ。だが、こゝにも“増減ルール”がそれを疎外するだろう。早期円満終結を希求するのは民主党側で、「国民のため」という偽りの看板を掲げて、内心は事件がもっと/\紛糾して菅政権の足を引っ張ってくれるのを願っているのは自民党や野党であり、マスコミである。“戦略的互恵関係”だとか、“win-win”などというのは、言葉上の美辞麗句で、実質はありにくい。モンテーニュが、<めいめいの心の奥を探ってみれば、内心の願いはたいてい、他人の損失において生まれ、育っていることに気がつくであろう>と言っているのは真髄を突いている。

「水をさす」視点の重要性

2010-11-12 15:52:28 | 日記
<孔子が言うには、「色々な意見を聞いて疑わしいとことはせず、それ以外のそうだと確信が持てることを慎重に口にしていけば、過ちは少なくなる。多くの事柄を見て納得できないことはせず、確信できることを慎重に実行していけば、後悔は少なくなる。>((為政第二 )

∇「ビデオ流出」事件が、軽薄なマスコミ報道や野党側の御都合主義的解釈によって、政争道具に利用されたり、将来の対中外交をさらに悪化させかねない趨勢である。そして、問題の責任をすべて菅政権の責任だとする、短絡的かつ偏頗な主張が世間を席捲し始めている。12日付朝日新聞「耕論─流出」は、そんな空気に「水をさす」良識者の意見で満載されていた。熟読する価値が十分あると思う。

∇賛同する幾つかの点を抜粋列挙しておこう。<「弱腰外交だ」とあおり、対中強硬路線や日米同盟強化を声高に主張する勢力がいる。日中関係は日米関係に匹敵する外交の柱。中長期的視野に立ち、様様なトラブルを冷静に忍耐強く乗り越えて共存し、相互依存を確立することは日本にとって死活問題だ。><(自民党が)重大な外交交渉結果の密約を否定し、国民をだまし続けておきながら、情報をめぐる危機管理のありかたを糾弾する姿勢は矛盾もはなはだしい。>(西山太吉氏)

∇<歴史の教訓に学べ──武器を持っている官庁には特別なモラルが求められる。五・一五事件の時に刑の減免を求める運動が起こり、軽処分で収束したことが、二・二六事件を誘発した。>(佐藤優氏)<情報は政策決定と実施のプロセスが終わった時点で出せばいい。現在進行形の事柄について、「丸裸で情報を示すべきだ。それが知る権利だ」というのは極端な話だ。……知る権利を(むやみに)振りかざすべきではない>(長谷部恭男氏)


働くこと

2010-11-10 09:24:32 | 日記
<早すぎる就活、経済界で見直し議論 大学側から悲鳴──新卒者の採用活動の時期を見直す議論が経済界で本格化してきた。就職活動の早期化と長期化で、大学3年生後半から授業が成り立たないという教育現場の声が強まっているためだ。……>(11/10朝日新聞)

∇これじゃあ、大学に通う意味はない。大学を就活の目的手段に置くというのなら、学校側もいっそのこと、従来の文学・経済学部、理工学部等々とは別に「就職活動部」というのを設けてはどうか。例えば、千葉大学・就職活動部。更に分科させて、理工系就職活動部、メーカー系就職活動部、商社専門就活部、マスコミ専科学部等々としてもよい。専門学校と異なるのは4年制。2年生(2回生)までは、従来の教養課程をより充実させた形で「進路選択予備過程」と称し、就職活動に必須の文系・理工系の最低重要事項を徹底的に仕込む。3、4年生は、自分の決めた就職先に直接応用可能な専門知識を修得できるゼミを専攻させる。企業に就職してからすぐ役立つ即効性を狙うのだ。そして従来の学部は、真の学問を追及する学生のみに絞る。……

∇人は遊んでばかりいてはダメ、食べていくために働かねばならない。イソップ物語の「アリとキリギリス」の指摘するところである。夏に食料を集めなかったキリギリス(セミ)に、アリは「夏を歌ってすごしたのなら、せいぜい、冬を踊ってすごすことですね」とあざ笑った。(「新書館」版) この寓話は一般的に、所謂「転ばぬ先の杖」「働かざる者は食うべからず」を訓えていると解釈される。あざ笑われたキリギリスはその後どうなるのか。某書によれば、世界中の殆どの国(146カ国)では、“奢者必衰”の譬え通り、アリは餓死したキリギリスを食べたと教えているそうだ。自分の老後の用意をしておかなかったキリギリスを助けるには及ばぬ、自業自得だ、と子供にキチンとそこを教えよということらしい。(厳しい~!)

∇尚、イソップ物語の解釈は時代により、或いは国により、随分と異なっている。その一つが、冬になって親切なアリは、結局キリギリスを哀れんで食べ物を与えた。(福祉政策を重視する政府やボランティア団体等があるから大丈夫だよ!) 他に、<アリは働き過ぎで過労死した>、といういかにも現代的な解釈を勧説する向きもある。(ホームレスそれも又良しではないか!) 又又、竹内靖雄著「イソップ寓話の経済倫理学」(PHP研究所)は、市場社会の「交換」の原理に従って、<歌が得意なキリギリス(セミ)はそれを商売にしてカネを稼ぐことを考えればよいし、消費者であるアリは働いて稼いだカネをその歌を楽しむことに使えばよい、これで話はめでたしめでたしとなる>と言っている。上記寓話をどう解釈するかは、その人の人生哲学次第による。若者たちよ、「働くことと大学生活」の意味をよく考えよう。


民は気まぐれ

2010-11-09 09:53:57 | 日記
日の下(もと)では、
すべてに時期があり、すべての出来事に時がある。
生むに時があり、死ぬに時がある。
植えるに時があり、抜くに時がある。……
崩すに時があり、建てるに時がある。……
裂くに時があり、縫うに時がある。
黙るに時があり、語るに時がある。……
  (「旧約聖書」・コーヘレト書 第3章)

∇TVワイドショーや週刊誌、国会審議の場で、相変わらず「尖閣ビデオ流出犯の正体──菅外交が日本を滅ぼす」(週刊朝日)とか、「ビデオの全面公開で国益を失するデメリットは何か」(石破氏)などと、さも国民の代弁者気取りの批判・追求が花盛りである。だがもう「政治ショー」は十分見た。流出してしまったビデオからほゞ全容が推測できた。もういい。<語るに時がある>役目は終わり、<黙るに時>へ移行する時である。たゞ、機密情報漏洩問題については、今後の対策上からも「犯人探し」は不可欠だ。検察の徹底的捜査を望む。又、北方領土問題では、日ロ首脳会談が横浜市で開かれるAPEC首脳会議に合わせて行われる見通しだ。関係者に善処を望むのみ。

∇昨日の中国・広州市でのアジア大会・サッカー会場の様子をテレビでみた。警備はピリピリ、試合中時折ブーイングは起きたものゝ、危惧された大きな問題は発生しなかった。現在、中国の若者たちから、尖閣諸島沖事件への関心は薄れはじめている。又、多くのロシア国民にとって北方領土問題はもともと関心薄の事件であった。“民は気まぐれ”なもの。我々日本人などもその典型だ。日常生活が第一で、直接自分たちの生活を脅かす危険のない事件は、一度は関心を寄せるが、鮮度が落ちてしまえば興味が失せてしまう。今更ビデオが全面公開されたからといって、新奇な事実が「見られる」わけではない。そろそろ<黙るに時があり>のタイミングだ。韓非子曰く、<事は世に従い、備えは事に適応させよ>と。彼は、君主の寵愛の気まぐれなことの譬えに、「余桃(よとう)の罪」という故事を引いた。現代の「民」こそ当時の君主以上に気まぐれであることを銘記すべし。

▼昔、衛の国の霊公に彌子瑕(びしか)という寵臣がいた。彌子瑕は母親が病気になると、君主の許しを得たと偽って、夜中に君主の車に乗って母親のもとに見舞いに行った。君主の許可なくしてその車に乗った者は、本来なら足斬りの刑に処されるのだが、霊公は「親孝行なものだ」と感心して、その罪を不問に付した。また彌子瑕がある日、果樹園で桃を食べると美味かったので、自分が半分食べた桃を霊公にすすめた。霊公は「なんと可愛いやつよ」と感動した。やがて彌子瑕の容色に衰えが見えてくると、霊公の寵愛も日に日に薄れた。そしてついには罪を着せられ、「かつて彌子瑕は、偽ってわしの車に乗り、食いかけの桃をわしに食わせたのだ」と罪状非難される始末になってしまった。(「韓非子」説難篇)

よく考えよう

2010-11-08 08:30:13 | 日記

○小春日や湯の町エレジーおでんの香  楽翁

▼老子曰く、<天下の難事は、必ず易きに作(起)り、天下の大事は、必ず細に作る>と。又、「史記」に曰く、<之を毫釐(ごうり=ほんの一寸で些細なこと)に失すれば、差(違)うに千里を以てす>と。──元々は些事であった事柄が、思いがけない大事件を誘発するというのが世の習いである。8年間にわたった日中戦争も、1937年、盧溝橋付近に於ける七夕の闇夜の偶然の“第一発”が事件の引き金になった。日本軍側は中国軍が発砲したと主張し、中国側はそもそも中国兵営近くで示威的夜間訓練を行うこと自体が不当で、又、発砲の事実はないと反論し、互いに譲らず、やがて大戦争へ発展した……。“ビデオ流出問題”&“北方領土問題”も、今後の日中・日露の対応次第だ。それを失すれば、「千丈の堤も蟻穴より崩る」(韓非子)こと必定である。

▼<日本外交の破綻─危機管理能力なき民主党政権>(潮)<菅、小沢、鳩山、仙石…日本で一番ダメな奴ら。中国、ロシアにナメられる>(文春)<漁船一隻で夜も寝られず。やっぱりド素人に外交は無理だって!>(ポスト)<なんてマヌケな外交、歴史に残る大敗北>(週間現代)云々。最近の幾つかの雑誌の見出しだ。大東亜戦争の発端を作った柳状湖事件のときも、盧溝橋事件そして太平洋戦争に突入してからも、多くの有識者や文人、そしてマスコミの殆どが戦争を自衛戦だとして軍に追随し世間を煽った。国民も踊った。“戦争責任”は軍部だけのせいではない。同じ徹を踏むな! パスカル曰く、<すべてが一様に動くときには、船の中のように、見たところ何もうごかない。みなが放縦のほうへ向かっていくときには、だれもそちらに向かっていくようには見えない。立ち止まった者が、固定点の役割をして、他の人たちの行き過ぎを認めさせる。>(「パンセ」中公文庫)──

▼<日本国の人心は、ややもすれば一方に凝るの弊ありというて可ならんか。その好む所に劇しく偏頗し、その嫌う所に劇しく反対し、熱心の熱度甚だ高くして、久しきに絶えず>と福沢諭吉が喝破したごとく、我々日本人は、ワーッとこっちの方へいったかと思うと急に方向を変えて、今度はこっちへワーッといく。情報に流されやすく、自分の頭でものを考えた立脚点でものごとを判断したり、臨在感的な雰囲気に「水を差す」ことをしない。社会を変えるのは衆愚としての世論ではなく、不断の変説しない一人ひとりの節操の積分にあると思うがどうだろう。パスカル 曰く、<人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。…だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。…よく考えることを努めよう。>と。