「子どもとインテリア」 2005/01/16
先日、ノンちゃんは3歳になった。
1人遊びができる時間も増え、お姉ちゃんとも上手に遊べるようになり随分楽になった。のんびり屋さんは相変わらずで、くまちゃん相手に1時間お話していたり、独りひっそりと遠くを眺めていたりと、今でも私たちの「癒し」である。
さて一番下の子が3歳にもなると、大人向けインテリアが徐々にできるようになる。
「これは大事だから触らないでね」と言っておけば、壊れそうなものを置いておいてもよっぽど大丈夫。
こうして子どもたちの成長に合わせてインテリアってどんどん変化していくものなのよね
…でも、そうなると困ることが多くなる。
子連れの友だちを気易く呼べなくなるのだ。
私たち夫婦は「子無し」期間が長く、家を建てた時も子どものことなど何も配慮せずに建てたので、大事なソファはあるし、階段にはベビーフェンスがつけられないetc、子どもに優しい家とは程遠い。
うちの娘たちは比較的大人しくて聞き分けが良かったから何も破損せず&怪我もせずに済んだけど、もしやんちゃな男の子が生まれていたら大変なことになっていたかもしれない。
以前、友だちの家(4歳の女の子、1人っ子)に遊びに行った時、トレーニング(布)パンツをしているノンちゃんを見て「おしっこ失敗しない?もらされたら嫌だから紙オムツにしといてよ」と言われた。
「ヒドいなぁ。同じ経験してるはずなのに…」と不満に思いつつも、紙オムツを嫌がって履いてくれないノンちゃんに、30分おきに「おしっこは?」と聞き、モゾモゾする度に「出るんでしょ!おしっこもらしたら帰るから」と脅して泣かせてはトイレに連れて行き、友だち宅にいる間中、気が休まらなかったの。
でも今になってその友だちの気持ち、ちょっと分かる気がする。
「紙おむつ履かせて」とまでは思わなくとも、もし「おしっこ用雑巾」が我が家に存在しなくなった時におもらしされたら「ちょっと嫌だな」って思ってしまうかもしれない。
悲しいかな、人間は忘却する生き物なのである。
大好きなママ友の息子くんたちはかなりのやんちゃ坊主で、玄関で立ち話をしているものの数秒で2階に駆け上がる。
放っておくと絵本棚から絵本をぶちまけたり、その絵本を踏んでスケートしたりする。
おもちゃを2階から1階に投げ捨てたり、お人形の羊毛をスッポリ抜いてしまったりやりたい放題。
友だちの子と言えど「こら~!ソファでピョンピョンしちゃダメって言ってるでしょー!」「それは大事。やめて~!」といつもいつも絶叫している私。
以前は、じじばば世帯のクローゼットの中でおしっこをしてしまったり、網戸を破壊した前科もあるので気が抜けない。そして帰宅後は散乱している部屋の片付けに大わらわ…。
「触られたくないものは高いところに置いておく」「壊れたら困るものは隠しておく」のが原則ということは重々承知でも、大事なものばかりで構成されている我が家ではどうにもならないのが現状。
この先、娘たちが大きくなって、各々に宝物ができるようになれば、なおさら幼い子を家に呼ぶことはできなくなるだろうな。
本当は「人が集まる家」を目指したかったんだけどなぁ…結局のところ、壊れても平気な安物のおもちゃが散在しているような家じゃないと「いつでも誰にでも」門戸を開いておくことはできないのかなぁ。
……………
「冬でも外遊び」2005/01/19
「私って子どもと遊ぶの苦手だぁ」と気付いたのは、夫に指摘されてからだった。
膝に子どもを入れて絵本を読むことならどれだけでもできるけれど、おままごとには30分とつきあえない。
特に5歳児とのごっこ遊びは、高度な演技力を要し、生半可な返事をしていたら怒られるので「ママも一緒に『家族ごっこ』しよ」と誘われると逃げ出したくなる。
「私って偉そうなこと言ってるけど、ダメ母だよなぁ」…と消沈していた時、静岡のプレーパークでプレーリーダーをしているぶんちゃに「子どもと遊ぶのが好きって人よりも『子どもが遊んでる姿を見るのが好き』って人の方がプレーパーク向き」と言ってもらえて気が楽になった。
そう、私は、子どもが子ども同士で切磋琢磨しながら遊んでいる姿を見るのが、寒ボロが立つほど好きなのだ。
そんなわけで「子どもと遊ぶのが苦手」な私は、とにかく子ども同士で遊ばせたくて、仕事の休みの日には、ウサコの友だちを道連れに屋外に繰り出す。
園にお迎えに行く定休日には(いつもはバス)帰り道で出会う子を数人スカウトして、そのまま公園に直行することもある。
「お外連れって」と言われたら「よっしゃ!」と即答できるよう、この冬にはどんな極寒にも耐えうるダウンジャケットを購入。
寒い日には「走れば暖かくなるさ」とボールを持参し、四方八方に蹴って取りに走らせる「鬼コーチ風」だったりする。
私がもっとも幸せなのは、ウサコが親友のさおちゃんと遊んでいる姿を見る時。
友だちと喧嘩しても「自分たちで解決せぇ」と突き放されて育ったウサコと、放任(?)で育ったさおちゃんは、大人に「○○してもいい?」などと許可も得ずに自分達で相談しながらどんどん遊びを展開していく。
木があれば登るし、雪が降れば斜面を使ってソリ遊び。
足も早く、うんていも木登りも得意で小学生の男の子をも「すげー!」と驚かせるさおちゃんは遊びのリーダー(ガキ大将)であり、その後ろをウサコが、そしてその後に2人の弟とノンちゃんがついて行く。
もともとは泣き虫だったウサコも「弱っちーなー」と言われるのが悔しくて、最近は少々のことでは泣かなくなった。
でもそんなたくましさの一方でさおちゃんは絵本も積み木も大好きなので、2人で遊ぶとワクブロック5箱分を全て使ってリビングいっぱいの大作を仕上げてくれる大人から見てもカッコ良く頼もしいさおちゃん、小学校は別々だけど、ずっとこのまま仲良しでいてね。
『子どもたちが生き生きとしているまちは、きっと誰もが楽しく暮らせるまち』 冬になるとよく言われた言葉を思い出します「子どもは風の子」。かつて、寒くたって、子どもたちは外で元気に遊び回っていました。「♪もぉいーくつねると おしょうがーつ おしょうがつには たこあげて こまをまわしてあそびましょ♪」今、子どもたちのそんなワクワクはどこにいったのでしょう? 子どもたちが外で元気に遊ぶ。子どもたちが時間に追われることなくのんびり遊ぶ。子どもたちが大笑いしている。子どもたちの歓声が夕暮れどきまで聞こえる。いったい、いつから、子どもたちのそんなごくごく当たり前だった姿が見られなくなってしまったのでしょう? (富士「ゆめ・まち・ねっと」のメルマガの一部より抜粋) |
今、ウサコには毎日チャレンジしているお目当ての木があり、自力で登れるようになるまであと一歩。
今日は「カッコイイとこ見せよう」と実演してみたら、何と落ちて捻挫した私…(あまりの激痛に絶句&しばらく立ち直れず)。
必死で四葉のクローバーを探して元気づけようとしてくれたウサコと、「チューしてあげるからもう大丈夫」と慰めてくれるノンちゃんに感動しつつ、「木登りって難しい」と身を持って体感したのだった。
(それにしても、足痛いよ~、トホホ)。
……………
「暖かい幸せ」2005/02/16
私が冬好きになったのは、家を新築してからだ。
それまでも嫌いではなかったが、我が家に「薪ストーブ」が出現したことが、冬好きになった理由の最も大きいところ。
薪焚きは夫担当なので、夫の休みの日にしか使われないが、まだ子どもがいない時は、夫婦二人、薪ストーブの前でオレンジに輝く火をただ見ているだけでとても幸せだった。
あぁ、「火」ってどうしてこんなに癒されるんだろうね。
今は夫の休日には「パパ、お休み?暖炉焚いてね」と子どもたちがリクエストする。
子どもにとっては短い夜だから(夜8時に寝ちゃう私にとってもね)、そういう日のパチパチと木の焼ける音を聞きながらの絵本の読み聞かせは夫にお願いしている。
パパと過ごすとっておきの夜だもの。
囲炉裏もまた心癒される場である。
茅葺屋敷に遊びに行った時、囲炉裏の灰をつついていたおじいさんが「昔、こうやって囲炉裏の灰で親父に字、教えてもらったなぁ」と懐かしんでいたそうだ。
思い起こせば、私の「幸せ」な記憶も冬場の景色が多い。
お正月に家族みんなでコタツを囲んだこと。
布団の中で、私の冷えた足をいつも母が温めてくれたこと。
小学生の頃、朝の着替えが進まず、ボーっとストーブの光を見ていたこと。
妊娠中、いつもは料理をしない夫がホットココアを作ってくれたことetc…全てを鮮明に覚えている。
その時の匂いも、温かさも。
今は娘たちと湯たんぽで足を温めながらくっついて眠るのが幸せ。
読み聞かせをする時にホカホカした娘を膝に入れるのが幸せ。
それもいつかは、私にとっても娘にとっても切ない切ない思い出となることだろう。
………………
「子どもの社会性」2005/02/25
先日、幼稚園最後の個人面談があった。
気が強く、家庭では手こずることの多い長女。
さぞ幼稚園でも…とドキドキしてこの日を迎えたのだが、そこでのウサコの評価は「感性豊か、協調性もあり、社会性、積極性、全てにおいて問題はありません。」とのこと。
うっそ!「あのぅ、家では妹にもいじわるですし、親にもものすごく反発してきます」と言ってみたが
「幼稚園ではとても穏やか。我慢しているというよりも情緒が安定しているというように感じます」とのこと。家ではなかなかタイヘンなんだけどな…確か年中さんの時もそう言われたっけ。
そんな中で何よりも嬉しかったのは「お友達の輪の中に『入ーれーて』と自然に入っていける」ことと「いじわるされたら『どうしていじわるするの?』と自ら解決しようとする」ところ。
これから先は親が守ってやれることばかりではないから、自分で解決する術を身に付けて欲しいと願っている私にとって一番嬉しい言葉だった。
アトピーによる睡眠不足で半分ノイローゼ気味だった頃や、悪阻が大変な4ヶ月間、思い出したくもないようなヒドイことをいっぱい言って来たと思う。
それに私と性格が似ているために今でも衝突することも多いから、母としての自信はあまりないけれど…少なくとも、たっぷり寝ていることと、好き嫌いなく何でも食べることで「睡眠不足&食生活の歪み」によるウサコのイライラはないだろうと思う。
実は私もウサコの社会性の芽生えを感じることが多々ある。
友だちのご一家に山登り(標高200メートルの!)に連れていってもらった時、ばーちゃんが持たせてくれたおかずの卵焼きが一切れ足りなかったらしい。
帰ってくるなり「ばーちゃん!今日はみんなで5人いたんだよ。それなのに4切れしか入ってなかったの!だからうーちゃんは食べなかった」と言ったのだ(連れて行ってくれた友だちいわく、ウサコは「たくさんあるからどうぞ」と勧めていたらしい)。
家庭では「私が一番!」「一番大きいのがいい」と全くもって自己中なのにねぇ、外に出れば気配りができるお年頃になったのね。
それから、障害についても興味があるようで、サンタさんが届けてくれた絵本の中にあった「見えないってどんなこと?(星川 ひろ子/写真・文)」「さっちゃんのまほうのて(たばたせいいち、先天性四肢障害児父母の会 他共同制作)」を何度も何度も読み、電車に乗った時には「体の不自由な人に座って欲しいから」と座席に座ろうとしない。
もうじき6歳を迎えるウサコ。私たちが思っているよりも年長児って相当、大人なのかもしれない。
……………
「我が家の食育」2005/03/13
以前、手仕事をしながらBGMのごとくつけていたテレビ番組で「食育」が取り上げられていた。
私の周囲には似通ったママさんが多いからだろうか、日々の生活で驚くようなことはそうそうないのだが、世間一般での食の乱れに驚き、いつしか手仕事の手を止めて夢中で画面に食い入っていた。
ご飯にマヨネーズやチョコレートをかけて食べる若者(ゲゲッ~!)、塾帰りに毎晩ファーストフードを食べている小学生。
朝食抜きの家庭が少なくないのはもちろん、学校に「朝食の給食」を導入して欲しいと訴える親も多いそうだ。
実際、海外では朝食を給食制にしている国(地方)もあるとか。
更には、子どもの偏食がすごいために、家族全員に違うメニュー(ご主人には焼肉、長男にはハンバーグ、長女にはカレーライスetc…)を作っている家庭もあるのだそう。
先日、話をした幼ママさんも3兄弟全員の好みが違うために、毎日それぞれにおかずを作っているのだという。そんな手間がかかること、私にはできないよぉ…(ある意味、尊敬しちゃうわ)。
うちの娘は2人とも、苦手なものはないようで、長女は給食も毎日完食。担任の先生に「今の時代、貴重」と言われている。
「焼き魚、煮豆、ごぼうサラダ、蓮根のきんぴら、酢の物」が夕飯の時ですら「今日は私の好きなのばっかり!」とニンマリする長女。
生まれ持った何かがあるのかもしれないが、一緒に住む大人全員に苦手なものがないこと、ばーちゃんが畑で野菜を作ってくれていること、食材(主に生活クラブで購入)が美味しいことも「偏食無し」の理由の一つであろう。
そして「おやつの意味」を小さい頃から教え、おやつの量を少なくし、「ご飯を残すならおやつは無し」を徹底したことで、食わず嫌いはなくなったと思う。
人に話すと「厳し~~~い」と言われるが、結果的に何でも美味しいと思えるようになったんだし、風邪知らずの健康体だもん「幸せな子たち!」って私たち夫婦は自負してるよ。
当然、おやつもシンプル。
子どもに出先で「好きなおやつを選んでいいよ」的な買い方をしたことがないから、買い物へ行ってもおやつをねだられることもないし(これ、楽!)、オーガニックのお菓子や、あごを鍛える固いもの、手作りおやつなどが基本だから、化学調味料の味を知らない。
ただ、目前に控えた小学生。
そうなったら、私のこだわりは半分にすると決めているから、親の価値観を押し付けるよりも、子ども自身に考えて選ばせる目を養った方が良いと思っている。
そんなわけで最近の買い物は「食育」できる絶好のチャンスだと思っている。
先日の買い物先での会話。
私 | 「このベーコン、こっちがピンクでこっちが茶色。どっちが美味しそうに見える?」 |
娘 | 「茶色」 |
私 | 「え!?どうして茶色の方が美味しそうだと思った?」 |
娘 | 「だってうちにあるベーコンはいつも茶色だから」 |
私 | 「そうだね。ピンク色のベーコンは美味しく見せるためにお化粧をしているの。食べ物がお化粧するってどう思う?」 |
娘 | 「あたし、お化粧したベーコンなんて食べたくない」 |
ウサコが幼稚園で食育に関する絵本を借りて来た(それを選ぶ幼児もどうかと思うが…)。
それには、合成添加物を「テンカちゃん」と名付けて、テンカちゃんは子どもの体を蝕むこと、一旦体に入ったらなかなか外に出てくれないこと、他のテンカちゃんと手を結びもっともっと悪さをすることなどが分かりやすく書いてあった。
それを読み聞かせていた夫が「うーちゃんたちの体にはテンカちゃんいないよ。ママの作るご飯にはテンカちゃんは入ってないから、お家でご飯を食べていればずっと元気でいられるよ」と話してくれた(涙)ことでも、ウサコ自身が食に関すること、添加物のことに興味を持ち始めたように思う。
小学生にもなれば、話せばきっと分かってくれる。 家庭での食事においては引き続き私が選択していくけれど、一歩外に出た時は、メリットとデメリットをきちんと説明した上で自分で選択させたいと思っている。
但し、それをするからには、どちらを選択しても親は否定しちゃいけないのよね。一時的にファーストフードやスナック菓子に魅了されたとしても、いつかきっと「母の味」に戻ってくれると信じて、これからはウサコに任せてみようと思うのだった。
………………
「CAPあるふぁのワークショップ」2005/05/01
子どもが小学生にもなると親は随分楽になる。
が、その反面心配ごとも増える。
自立と甘えの両面を持つ今の時期は、甘えたいだろう時にはしっかりと受け止め、自立したがっている時にはできるだけ過干渉、過保護にはしまいと気をつけている。
本当のところ、平気な顔をしてる(つもりの)私も内心ハラハラなのだけど。
携帯電話なんて当分持たせるつもりはなかったけれど、今、「ぴぴっとフォン」という携帯電話(PHS?)の存在を知って気持ちが揺らいでいる。
月額1,029円(税込み)で、登録してある2~3軒にしか電話ができないから、友だちに使われることもないし、乱用することもなかろう。
しかも防犯ブザーを押せば母親の携帯に自動に連絡が入り(「防犯ブザーが押されました」とアナウンス)、現在地が画像として送られるらしい。
でも本当はこういうメカに頼るよりも、自分自身で防犯対策をすることが理想なのよね。
去る3月12日にCAPあるふぁの「大人ワークショップ」に参加してきた。
「CAP」とは1978年にアメリカで始まった「傍観者、加害者、被害者を作らない」ための暴力予防教育である。子どもに対してだけでなく、大人を含む全ての人に対しての。ワークショップに参加して意外だった事は…
[DVの例]
DV(ドメスティックバイオレンス)で、例えば夫から暴行を受ける母親は「自分さえ我慢すれば、子どもたちから父親を無くさずに済むことができる」と耐えているケースが多いのだが、実はそういう家庭で育つ子どもこそが「忘れられた被害者」であり、子どもが「自分が家庭を明るくせねば」と無理をし続けてしまう。そのままの状態を維持するよりも、離婚の道を選んだ方が子どもの精神状態は良い。
[虐待のサイクル]
虐待されて育った子が我が子へ虐待する確率は33%。つまり3分の2は反面教師となるらしい。何がその違いを生むのか…信頼して話せる人がいたか、生き方のモデルとなる大人がいたかによる。
[いじめ]
いじめられる側にとって、傍観者と加害者は同じ。むしろ傍観者の存在が子どもの心に傷を作る。
私たちにできることは、子どもに「誰にでも『安心・自信・自由」』の権利がある」ことを伝え、それが脅かされそうになった時には、「いや!と言ってもいい」「逃げていい」「信頼できる人に話していい」ということ、どの子も「かけがえのない大切な存在」なのだと伝えること。
これを全ての子どもが認識できれば「いじめ」なんて起こらないだろうな。
今、1年間で交通死亡事故者が1万人なのに対し、自殺者は3万人なのだそう。
「自己否定感」の強い人はリストカットなどの自傷行為に走ったり、「このくらいしてもいいのよ」と相手を傷つける「暴力の連鎖」となるようだ。
子どもを他者と比較したり、大人から見た「良い子」に仕立てようとすることにより、知らず知らずのうちに「自分はダメな人間なのだ」と自己否定感を植え付けさせていることもある。
目の前の子どもをありのままに認めて愛する(これ、難しいけど…)と同時に、どの子どもたちに対しても、私たち大人が良きモデルとなり、信頼される存在となることが大切だと思う。
虐待などで傷付いた子どもを癒し、正しい背中を見せることができるならば、結果的に我が子にとって住みやすい社会を作ることになるのよね。
……………
「佐々木正美さん講演会」2005/05/15
ウサコは時々「あたし、一度でいいからママになってみたいなぁ」とつぶやいている。
「だっていつも幸せそうだもん」「何でもできてすごいもん」が理由らしく、これを聞くと「1人の大人として評価してもらっているのかなぁ」と嬉しくなる。
が、将来の夢の話になると「私、赤ちゃんは産まないの」と言う長女。
もう3人目は産まないと決めたあたりから、孫を抱くのを楽しみにしてるというのに(気ぃ、早っ)それは哀しすぎるぞ。
「ママはいつの時代も幸せだけど、うーちゃんとノンちゃんのいる今がいっちばん幸せだよ」といつも話してはいるのだが…。
「赤ちゃん産まない」と言われると、自分が「母親」として評価されてないという気がして複雑な心境になるの。
先日、佐々木正美さんの講演会に参加した。
佐々木さんの著書「子どもへのまなざし」は、長女を妊娠中に読んで感銘を受けた本であり、育児に行き詰まる度にちょくちょく図書館で借りては読んでいる。
その講演会で、ドキリとした話…
今時の子どもたちは母親に憧れていないそうだ。
昔のごっこ遊びと言えば「お母さんになりたい」子が圧倒的に多かったのに、今の子はお母さん役を引き受けない。
順番でしぶしぶ引き受けたとしても「ダメでしょ」「早くやりなさい」の叱責か命令口調。
お父さん役はもっと悲惨で、ゴロリと横になり「お母さん、ビール」と言ったり、「ゴルフに行って来る」と出かけてしまうそう。
一番人気なのはペット役。
昔のペットと言えば雑種がほとんどで、今のように溺愛されてはいなかったから、「ペットになりたい」なんて子はいなかったのに、今の子たちは「無条件で愛される」ペットを羨ましく思っているのだろうという話だった。
佐々木さんは育児をする上で「母性性と父性性」が大事だとおっしゃっていた。
佐々木さんの言うところの母性性とは「ありのままを受容してもらえる、包み込まれている安心感」であり、父性性とは「義務や責任を教えたりルールや違反をしたら罰する」ということ。
信頼していない人からの叱責を私たちでも素直に受け入れられないのと同じように、母性性なくしては父性性は効力を発揮しないのだそう。
それなのに、最近の家庭は母性性を失ってしまったそうだ。
子どもは親に許容されないまま幼稚園や保育園に入り、欠如した母性性を担任の先生に期待する(だから、先生にかまってもらいたくてするイタズラを、父性性によって叱っては何も解決しない)。
小学校で唯一、受容してもらえる保健室に子どもが入り浸るのもそういった事情からなのだそう。
また家庭から父親がなくなるということは(離婚問題だけでなく、母親が期待しているような父親がいない場合も同じ)父なる力がなくなるということではなく、母親が母性力を失うことであるそう。
うん、確かにそのとおり!
夫の育児参加は母親に優しさをもたらすものね。
子どもを許容せずに叱責して育児をしていたら、そのうち生まれるのは反発心だけだろう。
ついつい感情的になって罵ってしまうこともあるけれど、「ママはうーちゃんのこと一番好きでしょ?でもノンちゃんには言っちゃダメよ!悲しむから」と自信満々ウサコには、私の愛情は十分伝わっていると信じている。
今は子どもたちに「パパとママの大事な娘たち。あなたたちがいてくれるだけで幸せ」と毎日話しているが、子どもたちがどんなに大きくなっても、照れずににそう言える関係を築いていけたら…いいなぁ。
…………
「『忙しい』のツケ」2005/07/15
夫の給料明細を見て「趣味の店などやってないで、私も会社勤めすべきだろうか」と先行き不安になる。
買い物のほとんどはヤフオク利益でまかなっているし、夫のお小遣いはごく僅か(ごめんよ)、贅沢も外食もほとんどしないのに余裕ゼロ。
これは増税と各種手当ての廃止によるものだし、税金の不正流用、不祥事がまかり通っている現状で、増税は納得できない。
国は専業主婦を「働き手」としたいのだろうか。
もちろん、共働き家庭や、働くママを否定しているつもりは全くなく、自分にとってやり甲斐のある仕事をイキイキこなしている女性は素敵だと思っているし、数時間、家庭から離れることでリフレッシュできるのならば働くことは有益であって、問題なのは「本当は家で子どもと過ごしたいけれど、働かざるをえない」状況に追い込まれることだと思う。
先日、園からもらってきた園長先生のお手紙に「忙しいの『忙』は『心を忘れる』と書く」とあった。
大好きなことを仕事としている私ですら、宅配便の集配時間真際やクリスマスシーズンには子どもたちに「話しかけないで」「お店に入って来ないで」状態(血相が変わっているのであろう。娘たちは「は、はい」と素直に退去する)。
こんな私が核家族で「家計のためにフルタイムで働かざるをえない」状況だったらどうなるか…シュミレーションしてみた。
まず、朝から自分の準備で忙しいので「早く早く」と子どもをせかし、帰宅後は子どもの「あのね」も聞けないままマッハで家事をこなす。
子どもはテレビに子守りしてもらい、絵本の読み聞かせもできず、早く寝かせることもできないイライラで自己嫌悪。
子どもの「あれ買って」にじっくり向き合う余裕はないから、頭ごなしに「ダメ」と一蹴するか、面倒になって買い与えてしまう。
週末くらいは外遊びにつきあいたいのに、疲労と溜まった家事でそれすらままならない。
共同購入の食材を取りに行くことも役割をこなすのも無理だから、生活クラブでは購入できなくなる。
できあいのものにもお世話になり「電子レンジ」は必須アイテム。
突然の雨で洗濯物が濡れてはたまらないから洗濯物を乾燥機に頼る日も多々有り。
頻繁にお茶を湧かす暇もないからペットボトルのお茶をストック。
移動はもっぱら車。更には、ノンちゃんの「まったりペース」が(今は「癒される」と言ってられるけど)イライラの根源となる。
…とまぁ、これは一般論ではなく「忙しいと途端に余裕がなくなってしまう」私に想定するケース。
「保育所の数を増やして、女性が働きやすい社会をつくる」ことを(それを自分が選択したならまだしも)国益のためにそうさせられるとしたら、一番のしわ寄せは「子ども」に来るのではなかろうか。「子どもは国の宝」と言うならば、母親が安心して家庭で育児できる手助けがされると良いな。
「忙しい」ということは「心を忘れる」こと。忙しければ「効率重視」となるのは当然のこと。
余裕なくして「エコライフ」「理想の育児」などできない。
このツケは大きいと私は思っている。
……
「『もったいない』を伝えよう」2005/08/05
今年の夏はここ数年の猛暑と比べて比較的涼しい気がする。
時折入ってくる風に小さな幸せを感じることが度々あるのだ。
いや、今まではクーラーをつけない代わりに扇風機をガンガンに浴びていたから気付かなかっただけで、例年通りなのかもしれないけれど…。
とにかく、「暑いの苦手」な実父ですら、今年は一度もクーラーをつけていない。
私の父は戦争体験をしており、極貧時代を過ごしてきたはずなのに、高度経済成長を機に私よりずっと「今時な人」になってしまった。
ペットボトルものを躊躇なく購入するし、エアコンに頼って快適に過ごしたいと思っているし、リサイクルも面倒な人。
ただ、私がいつも目を光らせていたり「孫の代のことまで考えて」と口うるさく言っているので「ケーコ(私)が一番怖~い」と嘆き、ガマンしている様子(笑)。
少し前に話題になった、ケニアの環境副大臣マータイさんの発言が、私はとても嬉しかった。
かつての日本人がよく口にした「もったいない」という言葉は、消費削減(リデュース)、再利用(リユース)資源再利用(リサイクル)修理(リペア)という「4つのR」を一言であらわしている、と「もったいない」(の言葉)を賛美した。
大量消費と飽食で「もったいない」は今や死語と化しつつあるそうだが、だからこそ、食べ物を大事にし、作った人への感謝を教える言葉でもある「もったいない」を私はあえて使おうと思う。
幼少の頃から、私は常に「もったいなーい」と思っていた子どもだった。
小学生の頃、宴会の席で「私の醤油、余ってるからこれ使って。新しいの使うともったいないから」と言って「こういう席ではいいの」とたしなめられたことも、外食先でどんどん注文する父が腹立たしくて「残り物を食べるから、私は注文しない」とブ-垂れていたことも鮮明に覚えている。
今ではウサコも「あぁ、水を流しっぱなしにしたらもったいないよ」「それ、残したらもったいない。私が食べるからちょうだい」とノンちゃんに諭すことも多く、幸か不幸か、同じ路線を辿りつつあるのだ。
旅行英会話ブックに、日本を語る際のネタとして「日本には23人に1台の自動販売機があり、それに必要な電気は原子力発電一基分くらい」というのがあるそうだ。外出先や緊急時はともかく、「お茶を湧かして水筒で持ち歩く」習慣を日常化すれば、ここまで自販機を増やす必要はないだろう。
また、「リサイクル回収に出しさえすれば問題ない」と思っている人たちの中で、それを作る時に消費されるエネルギーと、リサイクルされずに焼却処分されている大量のペットボトルの存在を知る人はどれだけいるのだろうか。
缶やペットボトル1本を製造するために必要なエネルギー量は、テレビを10時間つけている量に相当するらしい。250mlの缶ジュースで言えば、おおよそ中身の半分の石油を消費していることになるとか。
「人は人だから」と諦めつつも、ペットボトルのお茶をケース買いしている人を見ると、ついつい溜め息がでてしまう。
「まだ使える物を捨てて新製品に飛びつく価値観が人間と地球の使い捨てにつながる」(評論家 故医石垣綾子氏)の思いを、子どもたちにやんわりと受け継いでいきたいと思う。
※コミック本「マジンジラ」(ラデック鯨井/原作 つやまあきひこ/画 、ソニー・マガジンズ )もなかなか勉強になります。是非図書館で借りてみてね。
…………
「義兄!尊敬してるよ」2005/08/18
うちの3姉妹は「同級生だったら友だちじゃないかもね」と苦笑するほど、3人3様。
だから結婚相手も3様、家庭も3様。
その内訳(!)は…上の姉がエリート一家、下の姉家族はごくごく一般的、我が家は自然派なのさ。
上の姉家族は東京に住み、子どもたちが幼少の頃はアメリカ暮らし、小学生の頃から「医者」を目指し、学習塾に通っていた。
方法を間違えれば親の期待が重くて最悪なパタ-ンとなりかねない状況だけど、子どもたちは友だちに人気者のとても「イイ奴」に育っている。
それは姉夫婦がとっても仲良く、愛情いっぱいで子どもたちを育ててきたからだろう。
子どもたちが自然に勉強できるように環境を整え、義兄は仕事をしながら常に勉強をしている(英語、フランス語など語学の勉強を欠かさない)から子どもにとって「勉強すること」は苦痛ではなく、ごくごく自然なことだったように思う。
姉夫婦は家族も子どもの友だちもとても大事にし、勉強以外の経験もたくさんさせてきたから、屈折することなく人情味のある子に育ったのだろう。
子どもたちは両親のことをとても尊敬しているの。
一方、下の姉は、「勉強よりも、そこそこ流行りに乗って楽しく過ごして欲しい」派。
小さい頃、悪ガキで色んなイタズラをしてきた義兄は、保父さん志望だっただけあって、遊びに関してはプロ級。
おもちゃなどなくても雑草で遊び道具を作ってしまうし、子どもの心を捕らえるのが上手。
娘たちが嫉妬するほど、公園では大人気パパだったらしい(もちろん、ウサコもノンちゃんも叔父がだ~い好き)。
気性も穏やかで、気配りもでき、冗談ばかり言っている義兄は、流行りについていく努力をしているので娘たちとも話が合うし、余分な小言も言わないので、娘たちは「パパと(カード)ゲームすると、めっちゃ面白いから好き」「結婚するならパパみたいな人がいいな」と言っている。
お笑い芸人とお洒落、音楽が大好きなごくごく今時な思春期の女の子に「うちの親って良い親だよねー」って認められている姉夫婦を、ちょっと羨ましく思う。
こう考えてみると、子どもの心をちゃんと汲み取り、「愛されている」自信をしっかり持たせてさえいれば、細かいこだわりは無用なのかもしれない…と時々考える。
私たち夫婦には今の生活がとても心地良く、娘の様子を見ながらベストな方法を模索していこうと思っているけれど、無理をしてまで「こうでなければならない」と意気込む必要はないよね。
育児の結果は当分分からないけれど、自信を持って言えることは、娘たちの父親が、今の夫で良かったということ。「うちのパパとママ、仲良しだよー」「パパはすっごく優しいよ」と嬉しそうに話す娘たちを見ていると、将来、姪たちのように「パパみたいな人と結婚したいな」と言ってくれる日が来るような気がしてニヤニヤしてしまうのだ。
…………
「我が家の子育て日記」(2002.2月〜4月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/68e3779621db34f3231a10e81314ffaa
「我が家の子育て日記」(2002.5月〜6月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/d92d944ca6df74ef5f0c7153b4ed7449
「我が家の子育て日記」(2002.6月〜8月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/6129e297b32a7586d255607efcefab7f
「我が家の子育て日記」(2002.9月〜11月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/1f77652b13f925405d439190dd906ffc
「我が家の子育て日記」(2002.11月〜12月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/3ab67243a4a7194564617bf90d35bce0
「我が家の子育て日記」(2003.1月〜2月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/e9d8351b8bb954e1605aece940c08aef
「我が家の子育て日記」(2003.2月〜4月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/f88c93f4bc85ed344c9669a4ac6b1c90
「我が家の子育て日記」(2003.2月〜4月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/736c9f92aae118808932a861a3286127
「我が家の子育て日記」(2003.4月〜5月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/85335d4bc0fb02e911d03b6e3d962fe0
「我が家の子育て日記」(2003.5月〜7月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/67bac59cbaaf6cd6b7c4f7dd54a34d08
「我が家の子育て日記」(2003.8月〜10月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/7041ae1ac8214c526637ab556c8ca44e
「我が家の子育て日記」(2003.10月〜12月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/274578788f8a3b7956402af33d171997
「我が家の子育て日記」(2004.1月〜2月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/a401c61f189f79dc819b991cab6cad13
「我が家の子育て日記」(2004.3月〜6月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/d11ca2d29a35b79b0f2944cc847b5b30
「我が家の子育て日記」(2004.6月〜9月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/67002a64207030a57c4eb93577b7319f
「我が家の子育て日記」(2004.9月〜2005.1月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/1a076f957ab6fdc51d583d82ad487cfd
「我が家の子育て日記」(2005.1月〜8月)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/f71cda39230c83de35e4852f65b18055
豊田市発行のタウン紙「ぴポ」コラム「こだわり自然派子育て」2003.10.20〜
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/81e4a9a8653f0156ef8f6ed8b9272978
我が家の暮らし紹介(2005.3)
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/7542984fdb86254272133f8533220c4a