2025.2.23(日)
幻のいちにちが終わってしまったー!
「自宅で迎える自然な旅立ち方・看取り方(長尾和宏先生)」
の講演会でした。
このチラシはデザイナーの長女(ウサコワークス)に依頼して作ってもらったよ。
隣に並んで「そもそもなぜこの講演会を開くのか」といったあたりから一緒に話し合った。
チラシを作ってもらう作業は、親子3人で「大切なことを確認する」良き時間となりました。
昨年2月、父が亡くなってから
(「じーじの介護〜最幸の看取り」https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/1232863a7b33493d47281b07850fd14e)
「人の尊厳とは?」
「尊厳を守るということはどういうこと?」
「尊厳死とは?」
みたいなことばっかり考えていた一年でした。
そして、訪問看護師りかちゃんに「柿の話」を聴いたことをもっと深めたくて必死に検索する中で、
「長尾和宏先生」を発見。
「あ!この方、ワクチン後遺症のことを国会で話していた方だ!」
「イベルメクチンのことをテレビで話していた方だ!」
ってことにも気づきました。
わたしにとって長尾先生は「戦う医者」というイメージ。
カネに魂を売らず、
長いものに巻かれず、
権力に怯まず、
「とことん患者ファースト」の医者。
もしこんなカッコいい医師と若いうちに出会っていたなら、
わたしは看護師を目指したかもしれない。
あぁ、長尾先生にお会いしたい、1,500人の方の尊厳を大切に「在宅看取り」してきた先生のお話を聴きたい。
長尾先生のホームページから講演会情報を探し連絡するも
「もう満席で、締め切りました」
「キャンセル待ちは?」
「受け付けておりません」
トホホ。
こうなったら豊田市に来てもらいたい!
わたしだけが遠方の講演会場に出向くよりも、
「家族や大事な仲間たちと一緒に長尾先生のお話を聴きたい!」
ダメ元でご依頼メールをしたのが9月。
そしたら、忘れもしない「橋の下世界音楽祭」のLIVEでノリノリになっている最中に1本の電話。
長尾先生からのマネージャーさんからでした。
今は新規の講演を引き受けていないけれど、豊田に伺うと言っているとのこと。
卒倒した
父の尊厳死を叶えてくれた「訪問看護ステーションひなた」りかちゃんにすぐに連絡して、
長尾先生の講演会をどうにか成功させたい!と相談に乗ってもらいました。
まず会場を取るのがむちゃくちゃ大変だった。
◎200人以上入る会場探し
◎駐車場がたっぷりあること
◎公共交通で来れること
が条件。
いろんな公共施設に電話したり、頭を下げに行ったりしたけれど、
「一般の方は1ヶ月前しか予約できない」と突っぱねられたり、
丁寧に説明しても「尊厳死」ってワードあたりで「宗教?」と怪しまれて、
怒れるやら悔しいやらでぐちゃぐちゃでした😆
上郷交流館の職員の方が理解してくださり、会場を貸してくれることになりました。
ただ400人入るホールだけど、使って良い駐車場は100台。
乗り合わせか公共交通で来てもらい、駐車場係をつけることがお約束。
(みなさま、駐車場問題にご協力ありがとうございました😭)
会場が決まってから、長女(ウサコワークス)がチラシづくりに取り掛かってくれ
夫けーすけはLP(ランディングページ)作成スタート。
今回は、初めて、豊田市のまちなか(一部地域)に新聞折込もした。
当日は、20人の仲間たちがお手伝いしてくれたよ。
一番の痛手は、
半年前からものすごくたくさんの時間を使って準備してきたけーすけが、前日夜から発熱。
パワポや音響やら裏方を100%任せる予定だったけーすけがいないとなって、
舞台周りはてんやわんやでした。
(直前でバタバタしてご迷惑おかけしましたー)
長尾先生はというと、超気さくで超天然で、
14時講演開始と共にご登場いただく予定だったのに、
(パワポの「いよいよ長尾先生の登場です!」「みなさま拍手でお迎えください!」と作っていたのに)
なんと13時5分の段階で、舞台に上がってきてしまった(笑)
前列の方と談笑する長尾先生😆
そして、いつのまにか、書籍販売のところでサインをし始める長尾先生。
「先生、あとでサイン会の時間設けてますよ」
って伝えたら
「あとでも今でもどっちみち一緒だからかまへんよ」
とのこと。
確かに😆
………………長尾先生のお話の一部を思い出して書いてみます………………
国民皆保険制度はとても良い制度だけど、負の側面がある。
いろんなことができちゃう。
死んでしまったらお金にならないからどうしても過剰な医療介入になってしまう。
高齢者の方や、末期がんの方が、穏やかな最期を迎えられるかといったら、
そうじゃないことの方が多い。
胃ろうも抗がん剤も使うのは良いけれど、
それをいつまで使うのか、を自分で決めることが大切。
自分で決めている人は3%しかいない。
10年間一歩も外に出ずに在宅で亡くなった105歳のお年寄りがいた。
最期までおひとり様だった。
10年間在宅医療をしてきたご本人の希望で「焼き場までついていって」とのことだったので、
長尾先生は焼き場までついていった。
3つの病態がある。
95%の方は、
○Aコース…がん
○Bコース…臓器不全症
○Cコース…認知症
の、3コースのいずれかで亡くなり、3コースは「終末期」を経て死に至る。
5%の方は終末期がない。
ある日突然「死」がやってくる。
(そこには交通事故や自殺も含まれる)
Aコース(がん)は、ラストの1ヶ月半が大変な時期で、さらに最期の10日間(滑り台のように落ちていく時期)をどう過ごすか、ということになる。
Cコース(認知症)はいつ亡くなるかわかりにくい。
「誤嚥性肺炎」を起こしたら終わりが近いサイン。
(誤嚥は誰でも起きている。「誤嚥」と「誤嚥性肺炎」は違う)
誤嚥は誰にでも起きて、咳などで出すけれど、その行為ができなくなったり、誤嚥していることに気づかずに誤嚥が起きる(これを「不顕性誤嚥」という)。
食べ物を「誤嚥」するのではなく、寝ている間に唾液が垂れ込んで起きる。
昼間なら咳払いなどで出すこともできるが、夜は出せないので
肺の奥に入ってしまって肺炎を起こす。
亡くなったあと「あれが終末期だったんだ」と気づく。
「家に連れ帰れば良かった」と後悔する。
95%の人には考える時間がほんとうはある。
でも、医療の発達で終末期がわかりにくくなってしまった。
「悔いのない最期を過ごす」ための自己決定を、
家族・医者・看護師・ケアマネさんに伝えておくことが大切
末期がんの人に医者は
「抗がん剤を使えばあと半年生きられる、使わなければ1週間しか持たない」
と伝える。
本当は治療の手を緩めた方がいいと思っていても、
「ここからは患者が好きなように過ごしたらいい」と縁起が悪いことは言いたくないし、
「抗がん剤を使って、どうなるかみてみたい」
と医者は思うから、患者や家族に「終末期」のことを伝えない。
本人が「言い出しっぺ」となって人生会議をすることが大切。
お年寄りは、
……………
転倒
↓
骨折
↓
救急車で運ばれる
↓
入院(家に戻れない)
↓
物忘れがひどくなったり、誤嚥性肺炎を起こす
点滴1日2リットルで溺れ死ぬ
……………
こういうケースが多い。
「尊厳死」は「故・石飛幸三先生」の言葉。
「尊厳死」は「自然な最期」の他、今やっている抗がん剤や胃ろうを中止することなども含めた広い意味の言葉。
「自然死」は「故・中村仁一先生」の言葉。
「平穏死」の反対は「延命死」
「延命死」とは「ベッドの上で溺れ死ぬこと」
日本人の80%は「延命死」。
これが日本の医療の実態。
たくさんの点滴を入れることで、心臓が耐えられずに心不全を起こす。
酸素が低下する
↓
酸素投与や人工呼吸器装置がつく。
↓
苦しくて退けようとする
↓
手足を縛られる(抑制)
↓
「やめろー!!」と叫ぶようになる
↓
薬で眠らされる(鎮静)
↓
心不全になり苦しい、肺に水が溜まる、胸水・腹水で手足や顔がぶくぶくに
(体重差は病気や医療にもよるが、「平穏死」と「延命死」では10〜20キロの差が)
研修医の時は、がん患者の全員がもがき苦しみ血を吐いて人工呼吸器をつけて死んでいった。
おかしいと思った。
勤めていた病院で「放っといてくれ」と固形物を取らずに
1日に500ccだけちびちびと水分を摂っていた患者がいたが、
病院内でボランティアを始めるくらい元気で3ヶ月くらい生き延び、
最期は3日間病室のベッドで過ごして亡くなった。
11年目にして「枯れる死」を初めて見た。
(阪神淡路大震災で、人は「飲まず食わずで10日間生きる」ことが分かった)
ガンも認知症の方も、枯れるように亡くなれるならそんなに苦しまない。
「医療を辞めたら早く死ぬんでしょ」
と思うかもしれないけれど、そっちの方が長生きできる。
そして最期まで喋れる。
最期の最期まで何か(氷など)口に入れることができる。
そしてこういう話をすればほとんどの人が「平穏死がいい」と言うのに
80%の人が「延命死=溺れ死に」をしている現実。
「人生は脱水への旅」
生まれたばかりの赤ちゃんは水分量は体重の80%、
子どもは60%。
長尾先生くらいになると50%だから、体重が60キロの方は30リットル分の水分を備蓄している。
(阪神淡路大震災で)10日間飲まず食わずで生き延びられたのは、(たとえば)1日1リットル身体に蓄えていた水を使って生きていたことになる。
「年寄りになって干し柿になっていく」のはとても良いこと。
年老いて水分がなくなってくると「弱ってくる心臓」に負荷がかからない。
だから年寄りに「飲め飲め」と必要以上に言わなくていい。
(熱中症の水分補給や点滴は是正すべき水分)
終末期以降は「脱水」「省エネモードにしていくこと」が大切。
ヨーロッパでは「緩和ケア=脱水を受け入れること」
終末期の点滴は良からぬことがいっぱい起きるのに、日本は点滴が大好き!
点滴をしないと医療を施されていないと家族に思われる。
(長尾クリニックでは)ガン患者にも老衰でも、点滴は「0」か「200cc」しか入れなかった。
(「0」だと家族が辛いと言う場合は「200cc」のみ入れていた)
「ハッピーな胃ろうとアンハッピーな胃ろう」
しゃべれるということは「食べられる」ということ。
胃ろうがついていても、使わない選択ができる。
「食べたい」と本人が言っているならまずは氷から、次はアイスクリームといった具合に。
嚥下ができれば食べられる。
本人の「自己決定」を尊重せずに胃ろうを続けるのは非人道的。
今、日本中には30万人くらいの「胃ろう」患者がいるが、3分の2くらいの人は「アンハッピーな胃ろう」。
口腔ケアはすごく大切。
口の中は雑菌だらけ。
胃ろうをすると食べないから口の中はもっと雑菌だらけになり、誤嚥性肺炎になる確率が増える。
「リビングウィルが大切ということ」
終末期医療は誰が決めている?
3分の2は家族
3分の1は医者
本人はたったの3%
終末期にどうしたいかを一筆書いておかないと、
ほぼ本人の希望通りにはいかない。
口で言っているだけじゃダメ。
遠くに住んでいる家族で、しかも医者や薬剤師などが
「点滴してほしい」と申し出てきて、仕方なしに点滴をすることが多い。
「日本尊厳死協会」
https://songenshi-kyokai.or.jp/(まもなく設立50年になる)
欧米では本人の意志を尊重するのが当たり前。
日本の場合は、ほとんどが「家族」と「主治医」が最期を決める。
「自分は延命(胃ろう)はいや」だけど、「親の延命はやりたい」人が50%もいる。
親孝行でやってあげたいっていうのが日本の文化。
家族もみんな意見がバラバラだからこそ、本人の意志を書いた文章(人生会議)が必要。
「アドバンス・ディレクティブ(AD)」
とは、判断能力が低下した際に、自分に行われる医療やケアに関する意向をあらかじめ示しておくもの。
「事前指示」とも呼ばれる。
柳田邦夫「2.5人称の視点」
「アドバンス ケア プランニング(Advance Care Planning=ACP)」
(あらかじめ終末期&医療行為のケアを考える)
一筆書いて終わりではなく、話し合いを繰り返す。
リビングウィルは公正証書と違って法的担保はない。
「俺が死んだら遺産は○○」など死んだ後のことはOKなのに。
日本は一向に進んでいない。
リビングウィルは揺れ動く。
1年に一回は見直すこと。
周囲の人が「本人の意志」を引き出す努力をする。
死ぬまで必要な薬もある。
便秘薬・下剤・睡眠薬。
依存性があると言われているけどこれは必要かな。
薬はどんどん減らしていくといい。
5つを4、3、2、1と優先順位をつけて減らすといい。
最後に長尾先生がみなさんにくれたメッセージ。
(これ前から知っていたけど、長尾先生の文章ってこと知らなかった)
ちょいちょいおもろいことぶっ込んでくる長尾先生の講演、
最高でした😆
いろんなタブーに切り込んで、思ったことなんでも口に出して正直で裏表ないから
そりゃ不都合な人は叩いてくるだろうな。
長尾先生はほんとに庶民の味方だし、
全くカッコつけないけど、めちゃくちゃカッコ良い医者だと思ったよ。
大好き💕
そしてやっぱり長尾先生は天然100%😆
スタッフのみんなもありがとう💕
長尾先生の映画2本。
長尾先生が15年間毎日書き続けているというブログに、
この日の講演会のことを紹介してくださったよ。
http://blog.drnagao.com/2025/02/post-8888.html
長尾先生のXのスペースでも紹介してくれたよ。
https://x.com/dr_nagao/status/1893838768999719049
書籍を販売してくださったブックマン社の石川さんから、
「最高の時間」をありがとうございました。
とメッセージいただいたよ。
長尾先生、マネージャーさん、りかちゃん、ブックマン社の石川さん、スタッフのみんな、参加してくれたみなさま、発熱で来れなかったけーすけ、みんなみんなありがとう💕
また、長尾先生の講演会を企画したいな。