バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

2021年、突然、耳が聴こえなくなって治るまでの記録、その1

2022-01-24 21:51:25 | 健康

昨年、11月29日に突然、耳が聴こえなくなりました。
現在(1ヶ月弱で)は通常に戻りましたが、原因もわからないし、渦中の時は、「一生このままなんじゃないか」という絶望的な気持ちでした。
「もっとLiveに行っておけば良かった」って後悔や、耳が不自由な方へ思いやりが足りなかった自分へ懺悔の気持ちやらで、感情が忙しい約1ヶ月でした。
忘れないためにも、記録しておきます。
(Facebookの記録を全部載せるので長いです)

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11/29(月)

かつての読み語りボランティア友達と久々に会ってランチ。
私も大好きだった娘の恩師が、自ら命を絶ったという話を聴いて、悲しみと怒り(先生を守ってくれなかった管理職への怒り)でおかしくなりそうだった。
帰ってくると、左耳が聴こえづらいと感じた。
夜になるにつれ、頭痛に。
左耳がかなり痛く、もしかして左耳が聴こえないかも?と思ったのは夜中。
夜中、頭痛と耳痛でのたうちまわるほど。
風邪なの?
片頭痛なの?
中耳炎なの?
(最近、耳かきをしすぎたせいかもしれない)

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11/30(火)

昨日の夜から体調絶不調。
 
昨夜は痛みで寝付けず、今日も丸一日、ずっと実家のコタツで寝てた。
トイレに起きるのもやっと。
けーすけとばーばと次女が完全看護。
ばーばと次女が「気持ち悪い〜」とため息つく私の背中を交代でさすってくれた。
身体に悪いからと鎮痛剤を飲まずにいたけど、
「こんなに心身ともに苦しいことの方が悪かも」
と思って鎮痛剤を飲んだら、徐々に元気になって食欲も出た!
こんなことならもっと早く鎮痛剤を飲めばよかった。
 
昨日のお昼以降ほぼ何も食べてなかったけど、30時間ぶりに食べたのが「生活クラブの玄米フレークココア」。
うまーーい!
いまだに左耳は聞こえない。

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12/1(水)

左耳がほぼ聴こえなくなって3日目。

A病院の耳鼻科へ。
「右耳が痛くて。たぶん耳のほじりすぎです」と伝えると「耳かきは論外」とのこと。
「左は外耳炎で、右はちょっと前まで外耳炎だった」という診断。
左耳用の点耳薬と、飲み薬(抗生剤)を処方される。
午後、右耳も聴こえなくなった。

夜は、いつも優しくしてくれてる義父母を誘って「まる八」にお泊まり。
食欲もないが、せっかくの旅行だから、鎮痛剤を飲む。
夕飯は全部食べきれなかったけど、ある程度は美味しく食べられた。
ただ、会話がままならない。
プールに潜水しているくらいの聴力しかない。
マスクをしている女将さんの声はほぼ聴こえない。

夕飯が終わってお風呂から出たあたりから、再び体調絶不調。
せっかくの旅行なのに、21時に布団に入る。
旅行の醍醐味である「遅くまでみんなでおしゃべり」なんて余裕ゼロ。
なんせ、体調不良以前に、話が聴き取れない。

夜中、耳と頭が痛くて眠れない。
耳に心臓くっついたみたいにズキンズキンと脈打つ。
けーすけに「助けてー」とお願いすると、両手を耳に当ててくれた。
お手当というやつだ。
痛みは完全には取れないが、心なしか少し落ち着く気がした。
それでも気が狂いそうなほど痛いので、夜中に「抗生剤と水を持ってきて」とお願いした。
ほんとは頼りたくなかったけど、死にたいレベルの痛みだった。
明日の帰り、車まで歩いていけないんじゃないかと不安になる。

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12/2(木)

左耳がほぼ聴こえなくなって4日目。
 
義父母ちゃんとの旅行、2日目。
朝起きると、まだ若干耳と頭は痛いけど、だいぶ良くなっていた。
朝ごはんもなんとか食べられそう。
耳が聞こえないと、不思議なことに料理の味もわかりづらい。
咀嚼もできるだけしたくないから食欲もない。
朝ごはんは半分以下しか食べられなかった。
 
「静かだねぇ。川の音がいいねぇ」という会話があり、ここで大変なことに気づいた。
私、ずっとプールに潜水しているようなボーーーッという音と過ごしているため、自然界の音はほぼ聴こえません。
どんぐりがコロコロ落ちる音も、
風が葉っぱを揺らす音も、
屋根に雨が落ちる音も、
ちょろちょろ、ぴちゃぴちゃ、ポチャポチャ、コポコポ、シャラシャラ…
こういった音が全く聴こえない。
これがどれだけ侘しいことなのか。
私みたいに1ヶ月で治ると言われている人は「時間クスリ」なんだけど、耳が遠くなったお年寄りはこういった音を二度と聴けないのか。
 
宿で女将さんがマスク越しになにかおっしゃってるけれど全く分からない。
けど、何度も聞き返すのも申し訳ないので頷く。
見た目では、私が耳が聞こえないことなどわかるすべもない。
口元を見ながらそばで話してくれないと、会話できない。
このコロナの今、耳が不自由な方や、耳の遠くなったお年寄りはどうしてるんだろう。
マスクしてたり、食事に行っても透明のガードがあったら会話が成り立たないのではなかろうか。
せっかく大好きな義父母ちゃんとの旅行だったのに、私が不調でなんだかもったいなかったなぁ。
 
心配事といえば、12/11(土)の「にこるんマルシェ」。
お客さんの声(マスク越しであろう)が聴き取れなかったら、仕事にならないのでは?
キッチンカーの仕事って、耳を研ぎ澄ますことが必要なんだと気づく。
注文だけでなく、お願いだったり、不満だったり、お客さんに気持ち良く購入してもらうためには、ささやかな声を汲み取ることが。
 
めちゃくちゃ不便だし、体調もすこぶる悪いけれど、耳が不自由な体験を味わいたいと思ってます。
自分がこうなってみないと見えない世界があることを、今、とても実感してます。
 

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12/3(金)

両耳、ほぼ聴こえなくなって3日目。
午前はまりちゃんが遊びにきてくれた♡
すぐにそばで話すか、顔を見ないと会話ができない。
ものすごく至近距離でぴったりくっついてたよ笑

まりちゃん、会いにきてくれてありがとう♡
まりちゃんが同じ田舎に暮らしてくれてること、嬉しい!

料理する気が起きないのは、今までのように音楽やYouTubeを聴きながらできないからだと思っていたけれど、
「野菜を切るトントン・サクサク」
「煮物を煮るグツグツ・コポコポ」
「焼き物するときのピチピチ・ジャー」
が分からないと、加減が分からないだけでなく、だいぶ味気なくなる。
もしかして、料理は音を楽しむためにしているのかと思えるほどに。

さらに、聴覚と味覚は繋がっているように思えないけど、どの調味料を入れても味が決まらない。
今日のお昼は、たまたま来てくれた長女に味見してもらったくらい。
そして、何を食べても「美味しい♡」感動があまりない。

なぜ耳が聴こえにくいと食欲までなくなるんだろう。
単に体調が良くないからかな。
断食もしていないのに、ここ数日で体重2キロ減った(まぁ、結果オーライ)!

お腹はすくけど「あれ食べたい!」がない。
食べてもいいなと思うものは、冷たいもの。
コーンフレークに牛乳かけるとか、冷たいりんご、柿、サラダ。
不思議。
味噌汁とか煮物とかの和食や肉類は欲しません。

夕方、温熱刺激療法イトオテルミーをさせてもらったんだけど、この状況での施術はなかなか難しいと思った。
(会話でない、口からでる言葉や呼吸や息づかいが大切だと思う)

 
実家の両親が心配して声をかけてくれるけど、父の声が小さくて何を言っているのか分からないから、会話したくなくなってしまう。
こんなふうに、お年寄りは無口になったり、会話することを諦めていくのかも。
(刺激がどんどん減って認知症になりやすいかもね)
なんせ小さい話し声や、小さい音が聴き取れないから、話題にしたいことも減る。
音がしないから、人が近寄ってきたこともわからずに、突然、隣に姿が現れてびっくりすることもある。
「耳が聴こえづらい」プラカードを身につけておけばいいかとも思ったけど、犯罪に巻き込まれるリスクがあるのかもしれない。
いろんなこと考えて、耳が聴こえにくい今を味わってます。
いつか来る自分の老後も視野に入れて。

………………………………

12/4(土)

両耳、ほぼ聴こえなくなって4日目。

 
じーじ(86歳)が心配してあれこれ話しかけてくれる。
認知症はないが、少し耳が遠く、話し声に力がない。
じーじ「(ごにょごにょ←何を話してるかわからない)」
わたし「は?なに?」(顔を近づける)
じーじ「耳はどうだ」
わたし「まだ聴こえんよ」
じーじ「(ごにょごにょ)」
わたし「は?」
じーじ「頭痛はどうだ」
わたし「今日は大丈夫だよ」
じーじ「(ごにょごにょ)」
わたし「は?」
じーじ「あんまり無理しちゃいかんよ」
わたし「はいはい、無理してないよ」
じーじ「(ごにょごにょ)」
わたし「は?」
じーじ「耳が聴こえなくて運転大丈夫か?」
わたし「クラクションとかサイレンは聴こえるから大丈夫」
だんだんイライラしてくる。
じーじのそばにいるとやたらと心配して話しかけてくるので、離れて一人の部屋に閉じこもる。
じーじが入ってきて、
じーじ「(ごにょごにょ)」
わたし「は?」
じーじ「どうしたの?調子悪いの?」
わたし「わたし、耳が聴こえないから会話したくない。心配ならしなくていいから話しかけないで」
じーじ「ごめん、わかったわかった」

はー、もう帰ろう!と思って一階に降りていったら、ばーばが
「夕飯作れないかと思ったから、けーちゃんの分もおかず持っていきん。作っておいたよ」
と。
あんな風に「話しかけないで」と言っちゃったことを後悔していた。
もし、この日を最後にじーじが倒れたり帰らぬ人となったら、私は一生後悔する。
夕飯を食べて帰ることにした。
 

向かい合ってしゃべればなんとか聴き取れるので(自分の咀嚼音が響くので、話を聴くときは噛むのを止める)比較的会話はできた。
仕事にマラソンにDIYに買い物にといつもチャキチャキだったじーじもずいぶん衰えて、家にいてテレビ見てばかりいるから話題も少なくなり、口から出るのは「けーこ大丈夫?」「無理しちゃいかんよ」の言葉ばかり。
子どものことを心配することしか考えることがないのかも。
切なくなった。
「話しかけないで」なんて言ってごめん。
ばーば(82歳)はまだチャキチャキだけど、「ここ2年くらい、夜が来るたびに『今日も何もせずに終わっちゃった』と悲しくなる」
と。
ばーばは、じーじのため、娘のため、孫のためにいつもいつも何かできることがないか考えてる。
「良妻賢母」を絵に描いたような人で家族のために動くことが自分の存在意義だから、それができないと心が弱くなるのかもな。
「ばーばは十分家族のためにいろいろしてくれてるけど、もしそれができなくなっても、ここに存在していてくれるだけでいいんだよ」
って伝えた。
昨日は「老い」についてもまた考えさせられた。

………………………………

12/5(日)

両耳、ほぼ聴こえなくなって5日目。

耳が聴こえにくいと、話している人に顔を近づけて、しっかりと口元を読まないと聴き取れない。
喋る方もマスクを取ってゆっくりしゃべってくれる。
向かい合わせで座っている時は聴き取りやすいけれど、隣に座ると、いつも私の方に顔を向けてしゃべってもらうことになるので、首が疲れそうだ。
(わたしなら片頭痛を誘発しそう)
毎回、声にハリを持たせてゆっくり話してもらうのは申し訳ないなぁと思う。
私が聴き取れていないこともたくさんあるだろうな。
あまり聴きかえすのも良くないと思って「聴こえたふり」をすることもあるが、そっちの方が失礼に当たるかもしれない。
そんなことばっかり思ってると、なかなか人と会いたくなくなる。
 
コロナの今、マスクしてるとほぼ聴こえないので、近しい友人にはマスクを外して話してもらう。
それだって嫌だと感じる人はいるかもしれない。
(感染拡大の時期じゃなくてまだ良かった)
 
だけどね、あることに気づいたんだ。
耳が聴こえにくいとパーソナルスペース(他人に近付かれると不快に感じる空間)が近くなる。
だから、あまり近しくない人とは良くないだろうけど、
パートナーや気兼ねしない近しい人と一対一で話す時は、そばにぴったりくっついて表情を見て話すことになる。
言葉がかぶると聴こえなくなるので、相手の話が終わるまで待つ。
一語一句聞き逃さないように。
簡単に聴こえないからこそ、相手の話をなぞるように聴く。
これ、ふなちゃんの「澄まし処」だ。
実家の親と話しているときも、いつもなら、半分考えごとをしながら「ふーん」「いいんじゃない?」って聴いているかもしれないけれど、今はその聴き方だとちんぷんかんぷんになっちゃうから、しっかりと顔を見て聴く。
最後まで言葉を挟まずに。
 
そしたら、ばーばはいつもより嬉しそうにたくさん話してくれた。
もしかしてこんな風に母親の話をしっかりと聴いたことは初めてかもしれない。
ばーばは、昔っからなんでもすぐ人にあげちゃう。
少し離れた畑から野菜やイチゴを採ってきて、家に到着するまでの道で知ってる人に会ったらどんどんあげちゃう。
せっかく収穫に行ったのに、半分くらいになって帰ってくることは珍しくなかった。
 私は子ども心にそれがすごく嫌だった。
薄暗いうちから畑に行き、私たちの朝食を作る時間まで畑仕事をしてた母。
農薬も化学肥料も除草剤もやらないから、毎朝雑草を抜きに行っていた。
帰ってくるといつも汗びっしょりになって。
そんな母が「そこまでこだわらなくても死にゃーへんわ」と時々ご近所のおばちゃんに嫌味(悪気はない)を言われていたのを知ってるから「無農薬を喜ばない人にあげなくていいじゃん。あの人なんて特価の安い野菜を食べてりゃいいんだって」と止めたりしてた。
でも、母がそうするのは、亡くなったおばーちゃんから「ご馳走はみんなと分け合って食べるんだよ。きょうだいがいたら頭数で分けるの。半分づつするなら自分は少ない方を選ぶんだよ」と言われて育ってきたからしい。
今まで50年間ほぼ一緒に過ごしてきて、そんな話を聴いたのは初めてだった。
もしわたしの耳が聴こえづらくなかったら、ここまで話がふくらんだとは思えない。
 
自然界の音や、コンサートや演劇や、大人数での場では、いっぺんに音を聴き取れないから侘しいけれど、近しい相手と2人きりならば、周りの雑音が聞こえない方がしっかり話が聴けるのかもしれない。
(他の音が入ってこないから、税理士さんの書類作成もめちゃくちゃはかどった😂
 
今は「聞こえてくる」のではなく「自分から聴かせていただきにいく」感じ。
もし自分が年老いて、本格的に耳が遠くなった時も、「誰かの話をじっくりと聴かせていただくこと」はできる気がする。
 

夕方、「豊田・みよしおやこ劇場」の例会、「無伴奏デクノボー奏鳴曲(ポカラの会)」を観てきたよ。

わたし一人なら(聴こえないから)行かなかったけど、けーすけにお芝居を観て欲しいから一緒に行ったの。
帰りの車でストーリーや役者さんのセリフがどんなんだったか教えてもらったよ。
けーすけのためだったはずが、結局わたしまで楽しめちゃった。
 
Facebook友だちの白石さんから教えてもらった曲。
すぐに治るわけじゃなくて、1ヶ月かかると言われているのは、今感じてることを一生忘れるなよーってメッセージな気がする。

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