バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

関係者各位。けーすけのアトピーのこと

2022-04-12 09:50:57 | 健康

1月下旬から、けーすけのアトピー(脱ステ症状再燃?)がすこぶる悪いです。

幼少期からずっとステロイドで症状を抑えてきたけーすけが27歳くらいで脱ステを試みて、それはそれは悲惨な1年間を過ごしてきたそうで(死にたいレベルだったらしい。当時飼ってたインコに命を救われたと言っている)、そんな症状が、41歳の今また出てきてます。

今は、とにかく、痛痒くて夜眠れない。
まとまって眠れるとしたら鎮痛剤が効いている間だけか、朝8時くらいから昼まで。

ここからはそんな現状を知って欲しいのと、わたしの懺悔の思いを書きます。

けーすけは象の肌のようになっているところに、非ステロイドの軟膏を塗っているので気持ち悪いのと、剥がれた皮膚がいっぱい落ちるので布団で眠れず、もうずっと夜は「脱衣所の板の間」で寝てます。
昼もしんどい時は、脱衣所で篭ってます。
(わたしはひとりで2階のベッドで寝ていた)

体温調整ができないので、わたしが半袖で過ごすくらい気温が高い日にドカジャンを着ていたり、常に「ファンヒーター32度」に設定してその前から動かない。
気温25度のような日でもそれだから、部屋が暑すぎて一緒に過ごせない。

けーすけは、夜眠れないのと、かゆみ止め(漢方薬)を2〜3倍飲んでいるので、昼間に眠くて眠くて、仕事もできずに昼間に寝ていることが多かったため、家事も仕事も全部わたしがやっていて、(辛いのはけーすけなのに)イライラする日々でした。

「わたし、がんサバイバーなのに」
「再発率はMAX30%と言われているのに」
「『再発したら、余命がつきます』って医師に言われているのに」
ひとりであれもこれもしなくちゃいけない。
お客さん商売なので待ったなし。
手伝って欲しいときも、いつも寝ているか、起きていたとしても(仕事でもない)地域の助成金申請の事務作業や打ち合わせしかしていない。
リンパ節取ってるから重たいものを持ったらいけないのに、買い出しはわたし。
一度でもリンパ浮腫になったらその後の人生が大変になっちゃう。
けーすけは収入を生み出す仕事は全くしていないのに、漢方薬や塗り薬や灯油代…出費ばっかり。

「優しさ」のつもりがいつしか「犠牲感」と変わっていった。

けーすけは、じっとしていればいいけど、動くと身体が痛いので、野良仕事も力仕事もできない。
移動すると皮膚が落ちるので、民宿の布団の準備も掃除もできない。
パソコン仕事しかできない。

わたしが乳がんの闘病中は、けーすけはいつもご機嫌で優しかったのに、どうしてわたしはこんな風に器がちっちゃいんだろう?
と思ったとき、「そうだ!闘病中、うちは仕事をやめてたんだ」って思い出した。

死への不安や治療の副作用が怖くて
「ずっとそばに居て欲しい。治療が終わるまで仕事やめようよ」
ってお願いしてた。
その間の生活費は貯金を崩して、親や友だちや仲間のカンパや、がん保険や、みなさんが協力して買ってくれたお米代で暮らしていた。

けーすけはいつもそばにいてくれて、「不安」と言えばハグしてくれ、「気持ち悪い」と言えばさすってくれて、薬も水も用意してくれて、気を紛らすために一緒にマリオカートをやったり映画を観てくれた。
永遠にこの暮らしが続くわけじゃないからと、仕事をほぼキャンセルした。
さらには、実家の両親も一時期一緒に暮らしてくれて、次女も受験をやめて毎日そばにいてくれた。

「そうだ、余裕の違いなんだ!」
と気づいた。
仕事を減らして「自分の機嫌は自分で取る」ことにした。
「皮膚のことは時間薬だから耐えるしかない。けーちんにできることは何もないから、ご飯さえ作っておいてくれればいい。けーちんは自分のやりたいことをして過ごして」
とけーすけもそれを望んだ。

で、けーすけのご飯の準備だけして「これ食べといて」と書き置きして、ラドン温泉に行ったり、友だちと遊んだりして過ごした。
わたしはちょっぴり罪悪感もありつつも、余裕も生まれてけーすけに優しくなれた。

でも、どんどんけーすけの薬の量が増えていった。
身体中がチク痛いらしく、1日1つから始まった鎮痛剤がどんどん増えて、3時間おきや、2倍飲むことも。

 

日曜の夜は、高校時代の友だちとプチ同窓会だった。
がん治療を終えて髪も伸びたわたしに会いにきてくれた友だちに、お礼のケーキを焼いて持って行った。
元気になったことを喜んでくれて、その後は深夜まで岩盤浴でおしゃべりしていた。

0:30に帰るとけーすけは起きて待っていて
「遊んでくるのはいいけど、もうちょっと早く帰ってきて欲しい。心配で眠れない」
と。
けーすけは身体中が痛くて、周りには鎮痛剤の空き袋が散らばっていた。
すごく申し訳ない気持ちになって「ごめんね。わたしにできることはない?」と聞くと「好きって言って欲しい」
って…

好きって…
好きって…

好きだよ、大好きなのに。

布団に入ってからもなかなか寝付けず、涙が溢れてきた。

わたしが闘病中、けーすけはいつもハグしてくれて、細胞に染み渡るくらい「大好きだよ、大事だよ」ってシャワーのようにいつも伝えてくれていた。
お風呂に入ると、ガンのある右胸に向かって「ガンちゃん気づかせてくれてありがとう。でもね、けーちんには長生きしてもらわないと困るの。だから手術で取っちゃうけど、感謝してるからね」と毎晩伝えてくれた。
抗がん剤で髪が抜け始めて「落ち武者」みたいになった時も、つるっぱげになったときも、眉毛がなくて怖い顔だった時も「けーちんかわいい」といつも言って髪のない頭をなでてくれた(どう考えてもかわいくなんてない)。

なのにわたしは、「自分が笑顔でいるためには外で過ごすのがいい」と思ってた。
いつも陽気なけーすけから笑顔がなくなって、冗談も言えないほど絶望しているけーすけのことを、ひとりぽっちにしていた。
触れることもなくなって、「大好きだよ」と伝えることも最近はほとんどなかった。

眠れなくて時計を見たら4時だった。
1階の脱衣所(けーすけが寝ているところ)でガタガタ音がしたので、1階に降りたら、けーすけは「痛痒くて眠れない」と起きていた。
「これからここで一緒に寝る。ごめんね、一緒に乗り越えよう。今までごめんね。大好きだよ、けーちゃんは大事な人だよ。ごめんね」と涙が止まらなかった。

身体をさすると痛みが落ち着くみたい。
どうしてそれに早く気づいてあげられなかったんだろう。
寝息が聞こえてそっと手を止めると痛みで起きてしまうから、4時間、ほぼ手を止めずにさすった。
8時からは何もしなくても熟睡できるから、わたしはそこからそっと部屋を出る。

今まで、「夜眠れなかった」といって、昼の12時や13時まで寝ていることを「いつまで寝てるの?もう起きてよ」と起こしていたし、「夜遅いから起きられないんじゃないの?」と嫌味を言うこともあった。
全てが懺悔の気持ちで、時間を取り戻したいくらい。

4月下旬から1ヶ月以上かかる集落営農の田植えシーズンは、代わりの人がいないから、痒くても痛くても、薬で抑えながらやらなきゃいけない。
だから、それまでは、極力仕事を減らして、看護することにします。
痛いときにそばでさすることができるように、なるべく一緒にいることにします。
やまむらひろのさんに送っていただいたホメオパシーもわたしが管理して飲ませます。
行けるときは毎日、米ぬか酵素風呂に連れていきます。
テルミーも欠かさずします。

どうにかして一気に治したい。

けーすけは自分でそういうこと言わないから「連絡がつかないけどどうなってる?」「いい加減なやつ」って思われがち。
何かあればわたしに連絡ください。
いろいろとご迷惑かけることが多いと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
(けーすけが寝ている間に一気に書いたので、文章おかしかったらごめんなさい)

 

…………追記…………

しばらく、ホメオパシーと、米ぬか酵素風呂(新規事業の準備中だから、アトピー患者がどうなるかの体験も兼ねて通います)とわたしの仕事でもある温熱刺激療法イトオテルミーの3本柱でやっていきます。
もし改善しないようならその時にまた相談しますので、他の療法は今は試しません。
アドバイスありがとうございます☺️

続き https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/ed18f01143259edd4eae0e6eeb70b59d

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