年末年始、忘れちゃならないのがゴミ出しの日。
今日は今年最後のプラスチック容器の回収日で、次は2週間あいたあとの10日。かさばるプラスチック容器の回収が2週も空くと本当に困るのですが、エッセンシャルワーカーの皆さん
にはゆっくり休んでいただくことも必要。重ねられるものは重ねて、省スペースを心掛けたいところです。
明日の可燃ごみで今年のゴミ出しは終了。ごみ大臣の相方は毎週、木曜が終わると次の月曜まで役目がなくてほっとしていますが、年末年始はそれがもう少し長くなります。
つくづく生活とはゴミを作ることだなと思わされる、年末の日々。
今年は私の身近な親族や知人が相次いで亡くなった一年でした。
それも平均寿命を超えずに亡くなったのが半数以上。
最近芸能人でも後期高齢者になる前に亡くなった方が相次いだのを見ても、本当に人生100年時代なのかな?と思わずにはいられません。
私の兄姉も、親の年齢より若くして亡くなりましたから、もしかしたら相方や私も親の歳までは生きられないのかも、なんて思ったりします。
なんて書いていると暗い感じがしますが、だからこそ終活というか、これまでの人生のゴミ出しを体力のあるうちにある程度やっておかなくちゃ、と思うわけです。
それも今後の人生をよりよく生きるため、という意味合いで。
以前から少しずつものを手放すようにしていますが、ここ最近は引き出しや押入れの中など、普段あまり目に入らない場所にある必要でないものを処分しています。
この前は自分の卒業アルバムを処分しました。もちろん名簿部分はシュレッダーにかけました。
もう少し感傷的になるかな、と思っていたけれど、全然そんなこともなく。至極あっさりと手放せましたが、面白いと思ったのは中学高校より小学校時代の同級生のほうが、顔や
名前をしっかり憶えていたことでした。6年間、全員ではないけれど一緒に過ごしたからでしょうか。
結婚前のアルバムも処分しました。旅行へ行ったときによく写したものですが、残しておくほどでもないな、と。あまり自分が写っているものはないのだけれど、こんな細い体型の
(と言ってもごく標準的)頃もあったんだな、と思わず遠い目。あの頃の私、どこへ行ったんでしょうね(苦笑)。
そういったものの処分も、ごみ収集のない年末年始は一服。
でも年明け最初のゴミ出し日に間に合うように、ちょっとずつ邪魔にならない程度に準備するつもりです。
これはもう申し込んでありますが、年明け4日の粗大ごみに4点ほど出します。義母のものを入れていた押入れケースを2つ出すので、空いたスペースへ別のものを移動させたり
するつもりですが、ここで悩ましいのがものを移動させたあと、あれはどこへいった?という状態になること。特に滅多に使わないものほどそうなります。
必要なものだけが家にあって、それがどこにあるかすぐわかる、というのが理想ですが、到達できるかは不透明ですね。