'08/11/03の朝刊記事から
矛盾を露呈した金融危機
米国主導モデル見直しを
京大大学院教授 佐伯 啓思
サブプライムローン問題に端を発する米国発の金融不安は、世界中を経済危機に陥れた。
確かに、1929年の世界大恐慌以来といってよいであろう。
今回の危機が、今のところ恐慌にまで至っていないのは、米欧日などの協調による、金融機関への資本注入などの措置がいちはやくうちだされたからである。
しかし、29年の大恐慌時にも、10月24日の「暗黒の木曜日」のニューヨーク株式市場の暴落後、 株価はもちなおしている。
ところが、30年になってまた株価は下がり、銀行や企業倒産が生じ、31、32年とますます景気は悪化し、米国の失業率はついには25%にまで達するのである。
こうした一連の出来事を称して世界大恐慌というわけである。
今回の事態が、これからどのように推移するのかはよくわからない。
ただ、信用収縮の影響は今後、実体経済におよんでくる。
景気の悪化や失業率の上昇など、本当の意味での危機は、まだこの先に潜んでいるというべきだ。
危うい資本供給
米国政府は70兆円の資本を不良債権の買い取りに用意し、25兆円を金融機関に直接注入することを決め、金利を引き下げた。
ようするに、あらゆる手段を使って、金融市場に資本を流した。
これは、金融市場でパニックが生じ、相互不信のなかで資金の動きが止まってしまったためである。
ともかくも、今ここでは、このパニックを抑え、金融機関の信用を回復する以外にない。
その 意味では、金融市場への資本供給は緊急対策としてはやむをえないし、それ以外に方法はなかろう。
しかし、今後も、株価が暴落するたびごとに、資本供給し続けるとどうなるか。
そもそも、金融市場へ過剰な資金が流入しているからこそ株式や不動産バブルが生じ、商品先物市場で投機が生じるのである。
金融市場への資金供給は、結局のところ、将来、より大規模なバブルを引き起こし、いずれ、いっそう深刻な金融危機を引き起こしかねない。
いってみれば、うわばみのように貪欲な金融市場が、株価を人質にして、政府に金を要求しているようなありさまで、政府は、ただ、要求に応じて身代金を支払い続けているようなものである。
あるいは、ギャンブルに明け暮れるドラ息子が、金をよこさなければ街中で暴れてやるなどという脅し文句を並べ立て、父親からすきなだけ金を引き出している、といった光景がつい浮かんでしまう。
投機あおる構造
確かに、ギャンブル三昧の金融市場をここまで巨大化した、そのきっかけをつくったのは米国政府である。 80年代から90年代にかけて、米国は金融自由化によりグローバルな金融市場の形成を政策的に推し進めていった。
端的にいえば、モノづくり経済で優位をとれなくなった米国は、比較的優位に立つ金融とIT (情報技術)へと産業の軸を移し替えていったのである。
経済成長の原動力をモノづくりから、金融市場へと移行したわけである。
金融市場へ資金を集め、株式市場を 活性化し、投機的な利益を生み出すことで、そこに所得を発生させたのである。
ヘッジファンドや新手の金融商品の開発がこの傾向に拍車をかけた。
しかも、金融市場はグローバル化し、世界中がこの構造に巻き込まれたのである。
これはどう見ても歪な構造といわねばならない。
たえず金融市場や不動産市場でバブルを起こし、投機的な利益をださなければもたないというのだ。
だがそれはいずれ破綻する。
今回の金融危機は、米国主導のグローバル金融市場の根本にある矛盾、本質的な危うさを顕在化させることになった。
今回の資本注入で当面の危機は回避されたかもしれないが、本質的な矛盾はなんら回避されていない。
グローバルな金融市場への規制、投機活動の制限、グローバリズムの見直し、長期的なモノづくり体制の整備こそ、政府がなすべき事項である。
まずは、90年代以降の米国型グローバル金融による成長モデルを見直すところから始めなければならない。