書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

右大将道綱母

2010-06-15 10:16:19 | Weblog
嘆きつつひとりぬる夜の明くるま いかに久しきものとかはしる

あーあ、貴方をお待ちしてる夜がこんなに長いなんて貴方にはお判りにならないでしょうね

右大将道綱母(937~995)
藤原倫寧の娘。家柄はあまり高くなかったがその美貌と和歌の才に恵まれ名門の御曹子藤原兼家の妻となった。
しかし正妻ではなくその結婚生活の喜怒哀楽を綴ったのが「蜻蛉日記」であり女流日記文学の白眉とされる。
紫式部は「蜻蛉日記」を深く愛読し源氏物語に生かしたという。 
後の藤原定家もこの書を愛しその十場面を選んで「蜻蛉日記絵」としている。 

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2 コメント

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Unknown (ステラ)
2010-06-15 19:54:14
こんばんは~。
「蜻蛉日記」は、白洲正子さんや永井路子さんの本を読むとあまり好い印象がありませんが
「源氏物語」にも影響しているのですね。
兼家さんの歌にこのような歌があってうんざりし疲れる女性だったように思われます。
気をつけなくては・・笑。

げにやげに冬の夜ならぬ槙の戸も
おそく明くるは侘しかりけり
Unknown (安房守)
2010-06-16 09:23:54
ステラさん

百人一首と言うのは、まあまあ、恋の歌ばっかりですね。
あの時代の貴族達の最大関心事だったのでしょうね。
このような才女まとわりつかれた兼家さんも大変だったのでしょう。

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