書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

儀同三司母

2010-06-16 08:46:26 | Weblog
わすれじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな 

貴方のお言葉をずっと胸に秘めておきたいので いっそのこと 今日で命を絶ってしまいたいのです

儀同三司母(?~996)
儀同三司母は、従二位式部卿高階成忠の娘、名は貴子、高内侍とも呼ばれた。
儀同三司伊周・ 太宰師隆家・一条天皇の皇后定子達の母。
和歌や漢文の才能に恵まれ、藤原兼家の子の道隆と結婚している。
夫・道隆は内大臣、関白、摂政と栄達し、子の定子が一条天皇の中宮になるに及んで、嫡男伊周も十九歳にして権大納言さらに内大臣にまで昇進した。
しかし、夫・道隆の病死後、子の伊周と隆家は叔父道長との政争に敗れ、二人は地方に左遷され、一族は瞬く間に権勢を失い貴子は失意の余生を過ごした。
皇后定子も道長の娘彰子が中宮になるに及び宮廷内での地位が入れ替わった。
皇后定子に仕えたのが清少納言、中宮彰子に仕えたのが紫式部・和泉式部である。

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