書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

細川勝元・書状

2007-09-05 12:55:40 | Weblog
細川勝元(1430-1473)
細川家は9ヶ国の守護であったのに対し、山名家は8ヶ国の守護であり、
当初、お互いに牽制し合い、婚姻関係を結ぶなど協調しあったが、
ついには対立せざるを得なくなり応仁の乱に発展する。

勝元は多才な人物で和歌・絵画・鷹狩などを好んだと言う。
また、医術書「霊蘭集」なども著している。
竜安寺・竜興寺は勝元の創建である。

宗全に比して策謀家とされる勝元の書が、
宗全の書に比して頑固一徹な書風なのが面白い。
尚、八朔とは陰暦8月1日、この日は贈り物を交わす行事があった。

読み:就八朔之儀蚊帳送給候殊以令祝着候