仕事中に時間あわせで立ち寄った道後公園。ここは、20年ほど前には動物園だったのですが、そのずっと昔、戦国時代には湯築城というお城でした。松山城ができる前の話です。城主であった河野氏は、肥沃な道前平野と河野水軍を擁し、一時は瀬戸内最大の勢力を持った地方豪族です。でも、時代の流れに逆らえず、豊臣秀吉により落城してから、歴史の表舞台から消えていました。近年、湯築城発掘の機運が高まり、きれいに整備された公園になっています。
お堀端には、梅が咲いていました。暖かな日だったので、ベンチにも、ぽつりぽつりと日向ぼっこ(?)の方がすわっています。夏に水面を埋め尽くしていた睡蓮の葉は、寒そうな色ですが、枯れているわけではないようです。
道後公園の一角には、子規記念博物館があります。正岡子規に関する常設展示と、今は秋山兄弟、夏目漱石の特別展も開催されているようです。「坂の上の雲」で、松山は少し活気づいているのです。
博物館との間に復元された外堀。
楠の大木も多いところですが、松山市の花である椿もたくさん植えられています。
一月の松山の花市場の初セリは、三宝(神様へのお供え台)に載せた紅白の椿から始まります。あとお神酒と鯛もセリにかけられます。松山以外では、何の花なのでしょうね。
春が来ると、たくさんの花見客で賑わう公園でもあります。
水仙もそろそろおしまい、石蕗(ツワブキ)は咲き終わった花茎の中に、一本だけ咲いている花がありました。
そばに立つ看板に、この見事な岩を見ながら、酒宴を催したのではないかとありました。あ、岩の上に何かいます。
アオサギです。獲物を狙う様子もなく、じっとしていました。日向ぼっこでしょうか。カワセミも発見しましたが、手持ちのレンズでは、うまく撮れませんでした。
ホルトノキ ホルトノキ科ホルトノキ属
名前が不思議なのですが、ポルトガルの木(オリーブ)と勘違いしての命名が有力みたいです。青から黒く色づいていく実が、オリーブに似ています。この木は、病気でやや弱っていましたが、元気でも少し赤い葉が混じる性質です。九州では、街路樹にもなっているのですって。
城、動物園、そして公園と姿は変えど、
人が集う場所には変わりないんや。
河野氏って長宗我部氏の配下じゃなかったぁ?
毛利の小早川に攻められて・・・。
確か城の資料館もあったと思うんやけど
かなり前のことやし記憶が・・・。
でも、近所に、河野さんや長曽我部さんって、普通にいます。
末裔なのか?
資料館は松山城のほうかな?
湯築城は最近整備されているし。
大三島の博物館にも、水軍関係の資料がたくさんありますね。
あ、夫のご先祖様も水軍だったらしいです。
三島神社と家紋が一緒だし。
懐かしさのたくさん詰まった道後公園、砥部に移転する前の動物園がありましたね。
子どもたちを連れて行ったのは、すでに砥部の方だったのでしょう。
梅の開花が始まって、のどかな早春の一ページのようで、心も少し浮き立ちます。
それに松山と言えば、椿の花、
椿神社のお祭りも来月でしたよね。
一村の…句。
一から二への連続というか移り変わり、
一から「梅咲きこぞる」無数の花の広がりが空間を埋めて、
ようやく春が訪れるという、ワクワクする感じ。
さすが子規ですよね。
ホルトノキ、これは大分市の木に指定されています。
こんな句が詠めたらいいのですが・・・@高望み^^;
あ、ホルトノキって、大分市の木だったのですか。
ってことは、そちらではすごくポピュラーなのですねえ。
見てこなくては。
実は、今晩別府に上陸しまして、明日は福岡のリゾートホテルです。
えへ、娘がホテルの券に当選しちゃって、一緒に遊んできます。
ラッキー☆☆