オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

82年の歳月を要した戦費返済

2013-09-17 | 政治

そして、やがて太平洋戦争が起こり米国に敗戦した日本だが、太平洋戦争開戦時も日本は米国に膨大な借金を負っていた。結局、日露戦争時、莫大な借金をしたことが太平洋戦争の原因とも言える。その借金の債権者は米国であり、ユダヤ人だった。

 日本は当時のGNPの2.5倍、国家予算の60年分の負債を積み上げて日露戦争に挑んだが、ロシアから戦争賠償金を得ることができなかった。シフはソビエトにも貸し付けており、ロシアは滅亡する運命にあった。シフは日本とソビエトの双方から、負債を取り返す立場にあった。

 30年戦争(1618年-1648年)以来、すべての戦争でユダヤが資本を供給したと言われる。もともと、封建的社会で生活していたヨーロッパ人は投資や保険の概念が欠落していた。一方、国を持たず、財産の保証を持たずに生活していたユダヤ人は独自に株式や保険といった仕組みを造りだした。そのため、西欧が資本主義化すると、富みを急速に増大させることになる。民族主義が台頭するにつれて1800年代にはユダヤ人問題としてヨーロッパ全域で問題視されることになる。急成長したユダヤ系資本はヨーロッパ全域で銀行を発達させるとともに、国際戦争において両陣営に投資活動を行った。つまり、戦争は投資の対象だったのである。.第二次大戦中、米国のユダヤ系企業は、ナチスとも協力関係にあった。 戦争の歴史には、その裏に必ず、人々を戦いに駆り出す利権 争いと、そこで死体を見ながら札束を数える軍需産業の介在があった。

 日本は日露戦争後、莫大な借金が残った。財政破綻を避けるために戦争を仕掛けるしか方策がなかった。個人資産は、相続放棄できるが、国家の負債は放棄できない。
 大戦後、積極的な賠償金請求が行われ、戦後補償が開始された。そして、サンフランシスコ平和条約によって、賠償枠が大幅に緩和された。日本は損害賠償の支払い義務があるが、支払い能力が十分ではないとして、結局14条で「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。」とし、すべての賠償請求権を放棄させた。連合国がこのような寛大な処置をとった背景には、第一次世界大戦後のドイツに対する苛酷な賠償請求が、ドイツ経済を崩壊させ、ヒトラー台頭の一因となったという反省がある。
しかし、そう言いながら、米国はしっかり膨大な日本の債務を昭和の終わりまで回収し続けたのである。日本は、米国にとって対共産圏の極東の前線という意味があり、経済的には貸し倒れさせたくない債務者であった。日本は隣国に対して十分な賠償をしていない。米国は表向きは、賠償金負担を減らすよう各国に呼びかけたが、日本からの借金取立てを優先させるための政治的判断だと勘繰ることもできる。米国は、日本から確実に借金を取り立てる一方、アジア諸国には賠償金取立てを諦めるように圧力をかけたと・・・・。
 中国や韓国は十分な補償を得たという認識をしないまま、戦後処理が完了した。その後、ODA(政府開発援助)を日本は継続して行っているが、先方から見れば賠償金と考えるのも無理からぬ心情だ。米国は、昭和61年までに貸金にしっかり金利を上乗せして回収した。そして、日本の親米戦後体制を構築することにも成功した。

 返済完了迄になんと82年を要した。賠償を免除してもらい、米国に対する債務を優先させたせいか、結果的に現在の日本人は、隣国から領土問題をもち出され、さらなる戦後賠償を要求され、政府開発援助や円借款という事実上の賠償金支払いを継続している。日本が戦後復興したのは米国のおかげだと一部の日本人は言う。しかし、日本に借金を完済させるために米国が強く政策誘導したと考える方が妥当だ。ユダヤ資本の回収のためには日本の復興が必要だったわけだ。その証拠に、日本の借金がユダヤ資本ではなく、日本国民で肩代わりされたバブル崩壊後の20年、日本の経済は低迷し続けている。オリンピック後、財政破たん回避のために戦争に活路を見いだそうとする日本・・・・これがユダヤ資本の「期待される日本像」なのかもしれない。

戦争は、ユダヤ資本の利権、米英を中心とする欧米諸国の政治的力学で起こるのである。戦争は汚い。残虐非道で国民の命は消耗品である。戦争の背景に流れる利権の構造に目を凝らせば、どんな美辞麗句を並べて友情あふれる自衛正義の戦争を演出したところで、ユダヤ資本を太らせる売国奴的行為であることが見えてくる。国家のための戦争、国民を守るための戦争という幻想に幻惑されて、金儲けの駒になり、命を粗末にしないことだ。私たちは日本国民である前に宇宙空間に浮かぶ豊かな地球の住人なのである。

ジェイコブ・ヘンリー・シフ
1865年に渡米。ニューヨークに着いた時は殆ど無一文だった。はじめ銀行の出納係りに就く。28歳の時、クーン・ローブ商会に就職。1885年、ソロモン・ローブの娘・テレサと結婚。当時「西半球で最も影響力のある2つの国際銀行家の1つ」と謳われたクーン・ローブの頭取に就任した。
高橋是清の長女・わき子がニューヨークに留学していた時に3年間預かった。
イスラエルのモシェ・バルトゥール駐日大使が1966年に着任した際には、昭和天皇より「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつてわが国はヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました」という発言を受けたという。
クーン・ローブ商会は1977年、リーマン・ブラザーズに合併された。

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