オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

板橋区の旅 日大板橋病院、旧養育院・渋沢栄一像

2021年11月29日 | 東京
地下鉄有楽町線・千川駅付近、要町通りロード大谷口。山手通り(環状5号線)と環状7号線の中間を通る環状線。環状6.5号線とも呼ばれているらしいです。東京都水道局大谷口給水所のタンク日本大学板橋病院。本日午前、学校法人日本大学の田中英寿理事長が逮捕されました。ここ日大板橋病院の建て替え工事計画に際して大学から業者へ設計が依頼され、その費用の一部が裏金としてして理事長に還流したという疑惑です。板橋病院の建物は確かに古いですね。現在の建物は1970年完成ですから耐震基準をクリアしていないと思われます。この田中氏は日大相撲部では横綱輪島の1年先輩で、ともに学生横綱です。田中氏は大学に残って理事長まで昇進し、輪島はプロ入りし初の学生出身横綱となり引退後に年寄株の問題で相撲協会を辞め2018年に亡くなりました。輪島が所属したのは花籠部屋ですが、花籠部屋は当時は阿佐ヶ谷にあったので、輪島はよく日大相撲部で稽古をしていました。その時の日大相撲部監督は田中氏です。日大相撲部は今も阿佐ヶ谷にあります。田中氏と輪島はいわば「阿佐ヶ谷兄弟」ですね。輪島は現役時代、入院するときは日大病院でした。輪島が学生横綱を決めた決勝戦の相手は同志社大学の逸見。なんとあのフジテレビのアナウンサーだった逸見政孝氏の実弟です。日大相撲部は学生相撲の名門です。輪島、荒勢、琴光喜、舞の海、久島海、出羽ノ花、高見盛、智の花、両国など、現役では遠藤、石浦が日大相撲部出身です。こう見てくると花籠部屋が属した二所ノ関一門よりも出羽海一門が多いですね。ここに田中英寿の名前が。門前の調剤薬局大谷口の氷川神社こま犬本殿稲荷神社榛名神社六天神社力石御岳神社・稲荷神社こま犬神楽殿手水舎敬神崇祖西光寺本堂代かき地蔵大山不動尊六地蔵馬頭観世音川越街道建設工事中のマンションハッピーロード大山大山クロスポイント計画として再開発工事中です。地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター。「青天を衝け」に登場する渋沢栄一がつくった養育院です。1872年(明治5年)創設、孤児院、養老院、病院の機能を併せ持った施設としてスタート。1889年に東京都へ移管。場所は本郷、上野へと移り、関東大震災後に現在地に移転。1972年に付属の老人病院および老人総合研究所を新設。1986年に東京都老人医療センターと改名、1999年に養育院は消滅。2009年に現在の東京都健康長寿センターとなりました。渋沢栄一像正面玄関公益財団法人東京都保健医療公社豊島病院。豊島病院と健康長寿医療センターは隣接していますが、完全な別組織です。豊島病院はいわゆる公社病院の一つです。公社病院は豊島病院のほかに東部地域病院(葛飾区)、多摩南部病院(多摩市)、多摩北部医療センター(東村山市)、荏原病院(大田区)、大久保病院(新宿区)、以上7病院とがん検診センター(府中市)があります。その7病院と広尾病院(港区)、大塚病院(豊島区)、駒込病院(文京区)、墨東病院(墨田区)、多摩総合医療センター、神経病院、小児総合医療センター(以上府中市)、松沢病院(世田谷区)の7つの都立病院が統合して2022年春に地方独立行政法人東京都立病院機構が発足します。これら14病院はもともとは都立として一つでしたが、公社が発足して7病院は分離され、また今度再統合されます。病院運営の改革に加えてコロナパンデミックにどう対応するかという大きな課題も抱えています。門前薬局。日本調剤は2店も出店

文京区向丘の旅 建立途中の清林寺三重塔

2021年11月18日 | 東京
文京区向丘の清林寺で三重塔を建立途中です。計画が始まったのは1990年代、総檜造り、飛鳥時代の様式を研究し地震対策を行って計画は進行中です。コロナの影響で遅れが生じましたが数年後には完工の見込み。現在寄進受付中です。本堂建屋の中で工事が進んでいます。花陽稲荷明神十一面観世音菩薩栄松院お美代地蔵本堂瑞泰寺ぼけ地蔵百度石常瑞寺

新宿区落合の旅 光徳院五重塔、八つの坂巡り

2021年11月15日 | 東京
本日の旅の目的は、中野区上高田の光徳院五重塔です。
新青梅街道沿い、新宿区西落合の自性院本堂平和観音復興記念碑六地蔵と身代り地蔵猫地蔵猫地蔵詠歌自性院山門ほぼすべての通りに名前がついています。欧米や中国では当然ですが、日本では京都や札幌を除けば極めて少ない。八千代通り、えびす通り、常磐通り、曙通り、青柳通り、日本の都市によくある名称を付けています。目白研心中学・高校中井英夫が住んだという洋館。日本の短歌編集者、小説家、詩人。代表作は「虚無への供物」。1970年代には小学館発行の万有百科事典(ジャンルジャポニカ)の電算編集を担当したそうです。和風の門目白大学坂上通り・バッケの坂北原橋妙正寺川光徳院山門六地蔵観音堂大日閣光徳院五重塔。現在都内には10基の五重塔があります。光徳院五重塔は1995年の建立です。東光寺稲荷社慈命観音文殊菩薩如意宝蔵大竜神六地蔵東光寺落合ゆかりの文人たち。林芙美子、壺井栄、舟橋聖一などが住んでいました。新宿歴史博物館のポスター。「四谷塩町」にスポットを当てています。林芙美子記念館この時季は日没が早く、時間がないので入館はパス。山手通り振り子坂山手坂一の坂一の坂下のバス停一の坂中井東公園「有り難うございます」日蓮上人のレリーフご降誕虚空蔵菩薩への祈り比叡山修学唱題開宗辻説法獅子吼会本堂灯籠二の坂・蘭塔坂二の坂カフェ三の坂四の坂の石段四の坂五の坂傾斜地の住宅工事再び池添邸六の坂六の坂下の商店、西武新宿線の踏切七の坂中井御霊神社クロマツ社務所本殿神楽殿こま犬稲荷社こま犬八の坂ごりょう坂バッケの坂中井通り・栄通り日本光電の本社。心電計、人工呼吸器など医療機器のメーカーです。

南千住の旅(2) 彰義隊士の墓、吉展地蔵、三河島事故慰霊碑

2021年10月18日 | 東京
今週もまた南千住駅です。駅前の松尾芭蕉像日光街道沿いの病院日光街道、国道4号線円通寺こま犬上野の黒門を移築しました。上野戦争の激戦地です。吉展地蔵尊。営利誘拐事件で亡くなった吉展ちゃんを祀っています。吉展ちゃんの誘拐現場は入谷南公園、遺体が発見されたのはここ円通寺です。犯人がよく通った居酒屋は三ノ輪の商店街。地下鉄日比谷線の入谷駅から三ノ輪駅、南千住駅にかけてが事件の舞台です。誘拐事件のドキュメントとして本田靖春著「誘拐」が興味深いです。松平太郎の墓。五稜郭で戦った幕臣、共和国副総裁歌碑大鳥圭介の碑。共和国の陸軍奉行彰義隊士の墓永井尚志・岩之丞の碑。尚志は旗本で五稜郭戦争に参加、箱館奉行。弁天台場を守って奮戦しました。NHK大河ドラマ「青天を衝け」にも登場します。岩之丞は尚志の養子、五稜郭では父とともに戦いました。三島由紀夫は岩之丞の曾孫です。上野戦争で戦士した幕臣・後藤鉄次郎の碑高松凌雲の碑。幕臣、医師。フランスに留学し西洋医学を学び、帰国後、箱館戦争に医師として参加。箱館病院をつくり敵味方の負傷兵の治療に当たりました。明治期には医院を開業し、民間医療に従事した。高松凌雲がつくった箱館病院はその後の市立函館病院として発展し、2000年には元の弥生町から亀田港町に新築移転をしました。函館病院は北海道初の官営病院、函館では「函病」と呼んで親しまれ、今も市内最大の病院です。私は小学生の時、祖母や叔父の見舞いに行ったのを記憶しています。大きな病院というと函病でした。旧病院の跡地は「函館病院跡地緑地公園ペリー広場」として整備されています。沢太郎左衛門の碑。徳川慶喜が大阪城を脱出し江戸へ戻るとき乗艦した開陽丸の艦長代理。五稜郭政府では開拓奉行、室蘭台場を守備した。次郎の碑。上部が欠けているようですが、榎本武揚の書です。中田正広の碑木下福次郎・鷹羽玄道兄弟の碑町野五八の碑
新門辰五郎の碑。町火消し「を組」の頭。娘は徳川慶喜の側室となる。本堂上部の観音像仁王像円通精舎大砲仏磨和尚の墓仏磨和尚と三河屋幸三郎が彰義隊隊士の遺体を円通寺に合葬しました。三河家の墓三幸翁の碑六地蔵百観音再び日光街道千住間道青木屋荒川区総合スポーツセンター。かつてのプロ野球大毎オリオンズの本拠地球場だった東京スタジアムの跡地です。大毎オリオンズはその後、東京オリオンズ、ロッテオリオンズ、千葉ロッテマリーンズと名前を変えて現在に至ります。都電荒川車庫前荒川警察署明治通りの中央医療学園ビル透析クリニックが入居する四海ビル地蔵堀の石地蔵廃業した商店区立荒川公園荒川区役所噴水「夢」北村西望三峯神社三峯神社耳無不動尊法界寺法界寺浄正寺茶筅塚三河島事故慰霊聖観音。事故のあった1962年は私は中学生でした。浄正寺本堂三河島稲荷三河島菜と枝豆宮地稲荷荒川仲通り書店三河島駅病院三河島駅改札口三河島駅ホームから

南千住の旅(1) 回向院、小塚原刑場跡、延命院、石浜神社

2021年10月15日 | 東京
つくばエクスプレス南千住駅JR南千住駅南千住駅前に立つ松尾芭蕉像矢立初めの地南千住仲通り回向院吉展地蔵。1963年に起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者、村越吉展ちゃんを慰霊する地蔵仏です。このころは営利誘拐事件がしばしば起きていました。私はこのときは中学生で誘拐されやすい年代ではなかったが、私の弟やいとこたち、親たちにとって「誘拐」という言葉は恐怖そのものだったと思います。事件後、本田靖春の「誘拐」、泉谷しげる主演のテレビドラマ「戦後最大の誘拐事件」ほか多くのメディアでとりあげられました。観臓記念碑。杉田玄白、前野良沢らが人体解剖に立ち会って、その後「解体新書」の翻訳本を発行しました。史跡小塚原回向院田中光顕による水戸藩殉難者慰霊碑相馬大作。南部藩士で津軽藩主の暗殺を首謀し、計画は未遂に終わり相馬は捕縛、処刑された。プロレスの神様といわれたカール・ゴッチの墓。没後10年の2017年7月にアントニオ猪木らによって建立されました。右から腕の喜三郎、高橋お伝、片岡直次郎、鼠小僧の墓。喜三郎は江戸時代の侠客、お伝は「明治の毒婦」と言われた。片岡直次郎は江戸時代の悪党、無頼漢、鼠小僧次郎吉は義賊。4人とも歌舞伎や講談でとりあげられ話題を集めた人物です。
橋本左内の墓。景岳は左内の号です。吉田松陰の墓頼三樹三郎の墓。鴨崖は三樹三郎の号。左内、松蔭、三樹三郎の3人は安政の大獄で捕らえられ小塚原で処刑されました。磯部浅一の墓。二二六事件の青年将校のリーダー格です。磯部の墓の側面中野方蔵の墓。坂下門外の変に加わったとして捕らえられて獄死した佐賀藩士。
回向院には幕末の水戸藩など尊王攘夷運動の殉難者の墓があります。桜田門外の変に加わった関鉄之介と彼の愛人いの、有村次左衛門の墓など。それら尊王志士たちの多くは維新後に復権し評価されることになりました。墓地を巡っていると本当に墓なのか慰霊碑なのか判然としないことがあります。真偽の程は私のような素人にはわかりません。あしからずご了承ください。人形焼の重盛商店延命院首切地蔵題目塔、馬頭観音JR貨物の操車場日光街道、国道4号線泪橋ガスタンク寿老人石浜神社石浜囃子室町時代に武蔵千葉氏による石浜城がありました。真先稲荷と田楽茶屋遷座記念碑徳義行者の碑こま犬神輿庫拝殿寿老人像復活の碑祖神麁香(あらか)神社江戸で初めてつくられたと言われる富士塚富士講富士山遥拝所招来稲荷神社白狐神神楽獅子こま犬亀田鵬斎詩碑。江戸中期の文人、書家、儒学者です。神楽殿隅田川堤防とスカイツリー瑞光橋首都高速千住大橋と東武伊勢崎線鉄橋隅田川に沿って歩き南千住に戻ってきました。