レベル4

今年中に目標達成だ

デジャヴ

2011年03月19日 | Weblog
 1週間前の地震発生時、その強烈な揺れと時間の長さにとうとう関東大震災が来たんだなと感じました。しかし1度夢で経験していたからデジャヴそのもので、夢の中では死ななかったので今回も何故か死なないなあと漠然と思っていました。揺れている時の回りの状況から判断していたのかもしれないけど。1度揺れが収まってから逃げ口を確保して、テレビをつけると震源地は300kmも離れている宮城県沖とのこと。300km離れてこの揺れだもの『震源地の近くはどんだけ揺れたの?』、ただ事では済まないだろうなと心配していた。そして時間がたつにつれて報道される状況は悪くなる一方、原発事故も含めて。今度の地震で被災した人々がインタヴュ-で『命が助かっただけでも』言う人も有れば『生き残って良かったんだか』と言う人も、どちらも本音でしょう。被災者と自分を置き換えたらとてもじゃないがインタヴューなんかに答える気力は無いと思う。いま自分に出来るせめてもの支援は募金ぐらいなもの、明日募金に行って来ます。え!遅い?そうですよね、家の下の娘は早々に募金したって言ってました。

 そうは言っても直接被害の無い地域に住んで休みが来れば自転車に乗りたくなる。世の中自粛ムードでイベントは中止続きですが、初めてなな練とやらに参加して見ました。退院以来徐々には乗っていたのでリハビリモードながら付いて行くことくらいは出来るでしょう、苦しくなったら止めればいいのだから。参加者は自分を含め11人ほど、朝練の方も自粛ムードなのか布瀬の信号までは38㎞/h位で穏便に進む。農道に入り多少ペースが上がってきたかなと思ったら突き当りのカンナ入り口付近がガソリンスタンド渋滞の様で出鼻をくじかれる。しょうがないので農道を少し戻り消防小屋辺りからカンナ街道に戻る。今日はこのまま穏便に終わるのかと思ってたら、だらだら坂で染谷さんが飛び出す。そしてそのまま豪ともう一人を連れてリードする。追うのは塙・大越・藤田の3名+引かない自分と後ろに誰かいました?距離とメンバーからして追いつくなと思っていたが、塙・大越の両名が本調子では無い様で中々追いつかない、オラオラ藤田ー君が行くしかないでしょう!(スミマセン乗客のくせに)。何とか追いついたが信号で停止すると元の集団に戻り2周目に突入する。2周目はカンナの終わりでアタックが有ったらしく3名ほどが抜け出している、こちらは乗客なのでお気楽について行くが、段々間が開いて来てこれ以上開いたらまずいだろうと距離になったのでリハビリモードながら間を詰めにかかる、しかし一度踏むと心拍が苦しくもう次のだらだら坂はやばそう。挙句の果てに染谷さんにリハビリの人はそんなことしたら駄目でしょうと怒られてしまう。久しぶりの集団走行についついオーバーペースになってしまった復帰戦でした。

無事に

2011年03月05日 | Weblog
 ここ二週間ほど夜のお仕事が続き体調は絶不調です。合間を縫って何とか走っているけど踏む感覚は戻っているけどパワー不足は如何ともしがたいです。月200km程度の走行距離では多くを望むのは無理と言うもの。

 木曜日の夜勤が明けて金曜日は雑用と移動・睡眠で暮れて土曜日は長女の結婚式、結構ハードスケジュールでした。当日は朝風呂に入ってゆっくり朝食を頂いて出動。式場に着いて女性陣は着付け等で忙しそうだけどこちらはいたって暇、ボーとしながら時間を待つ。最初の役目は親族紹介、それほどあがっていた訳ではないけど次女からはダメ出しを喰らってしまう。お次は結婚式、バージンロードを歩けるのは新郎新婦以外は花嫁の父だけ、『エヘン!』整っている訳では有りませんよ。

 写真撮影を経て披露宴です。家の娘特段美人ではないけれど眩しく感じてしまうのは親の良く目、お決まりの進行でケーキカットからお色直しキャンドルサービスと続き、余興では新郎の上司連中が自作の歌など作って披露してくれました、有りがたいことです。自分的には宴会などではめったにお酌はしないのですが、当日ばかりはホスト役と言うことで全テーブルを回り疲れました。そして最後は花束贈呈、ここは花嫁の父と言う役回りだったので取り敢えず泣いて措きました。