最近、我が生活圏が狭くなったように思う。
家、散歩、花の手入れ、病院、買い出し、ブログ、時々友とランチ。
何年か前までは、これぞと思うと、即、目的に向かって邁進していた
中国大陸生まれで、南九州の自然の中で育ったせいか、こせこせした事が嫌いだった。
若い頃は、周りから、泰然自若としているとよく言われたものだ。
まあ、のんびりして天然だった性格をそのように評されたのであろう。
どちらかと言えば八方美人、サービス精神旺盛。
だが、それは、自分で言うのも何だが、ナイーブな性格から来ていて、
人に気を遣い過ぎていつも疲れていたのだ。
人に頼まれると嫌と言えずに引き受けてしまう。
何事にも真面目すぎて気がつくとパニック症になっていた。
それでも、家族がいて幸せだった。
親が年老いて先に逝く。
それが当たり前だと思っていた。
当たり前の事が当たり前でなくなったとき、私は生きる張り合いを失った気がする。
娘が親より先に逝くとは思ってもいなかった。
娘が黄泉の国に旅立ち、親方は急速に年老いた。
こんな私共を娘のお婿さんがいつも気遣ってくれる。
自分だって辛くて寂しいだろうに。
私も前向きに生きようと思っているが、無理はしまいとも思う。
親方と、とんちんかんな会話をしながら日々を送っている。
私たち、結婚当初から、とんちんかんな夫婦なのである。
このように、娘の事を綴ることも私には慰めになっている気がする。
自分を見つめられる気がする。
そして、前向きになれるのだ。
このところ、毎日親方と角突き合わせていた。
別に喧嘩していたわけではなく、殆ど病院通いの付き添いだった。
私、ストレスが溜まり始めていたので、午後から一人でお出かけ
行き先は、整形外科。矢張り病院
帰りにお茶でもとの魂胆だ
右手の親指が痛み、お箸も持てない。
診断結果は老化で関節が磨り減っているとの事
ドクター曰く、「治りません。骨は若返りませんから」ですって
痛み止めを処方のみ。
わたしゃ、どうすればいいのさ。
この先、老老介護が待っているのに
98歳のお母さんを介護している友は朗朗介護と称している。
駄洒落の好きな友、時々、メールに意味が分からない言葉の羅列で首を傾げる
ユーモアで介護に対処している友を見習わなければ。
診察が終わったのは5時過ぎ。
お茶する時間なく、買い出しして帰宅。
親方に報告したら、
「俺が出来る事はやってあげるから」と、夕飯の支度を手伝ってくれた
何とかなるさ、前向き、前向きに