私の好きな時間

大好きなお花達と手仕事と日々の暮らしの記録です

「ふるや、私達、還暦なのよ。」

2012年11月27日 | 日記

突然ですが、

私、

明後日、還暦を迎えます。

 

「還暦」という響きに「年寄り臭さ」を感じてたはずなのに(笑)

自分がその「還暦」を迎える時が来た今、

元気にこの日を迎えられることに、

本当に、心から「有難く」、

丈夫に産んでくれた母に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

私が高校生になって友達になった友人の一人が、

高校一年の冬、亡くなりました。

 

当時、「コント55号」が凄いブームで、

休み時間になるといつも笑いあっていた友達でした。

 

丸顔で、良く笑う、可愛い子でした。

 

彼女の事を「ふるや」って呼んでいました。

本名は「ふるや きくえ」さんでした。

 

いつも笑顔で、本当に、いっつもニコニコしてた。。。

 

突然、学校を休むようになり、先生に聞いたら、

病気で入院してるという。。。

 

お見舞いに行った記憶はない。。。

 

しばらくして、学校に来れるようになって、

また「ふるや」の笑顔をみれるようになったけど、

顔色が悪く、その時の事はやけに覚えているんです。

 

そして、

一月の末、亡くなりました。

 

 

本当に悲しかった。。。

もう会えないんだ、という言葉が頭の中で渦をまいていたように記憶している。

 

17歳になろうとしていた時、

命がなくなるということの悲しみに耐えきれないほどの悲しみを味わいました。

 

その時の担任は現代国語の先生で、

顔はまずいけど(失礼)、独身で、面白くて、生徒にとても人気があって、

「ふるや」も大好きでした。

 

ふるやのお葬式のときの事、今でも鮮明に覚えているんです。

 

ふるやんちの庭で、みんなが騒いでいて、

ふるやが死んじゃったっていうのに、みんなはしゃいでいて、

先生まで一緒になってはしゃいでいたんです。

私にはそう見えたんです。

 

許せなかった!

どうしても許せなくて、

お葬式の後、先生に

「ひどいよ!ふるやは死んじゃったんだよ!

先生まであんなに騒いでいて。。。」って泣きながら言い寄った事。

 

先生が「くらり、悪かった。悪かった。」って、泣いてくれたこと。。。

 

そして、

今から24,5年前になるかな?

夢に「ふるや」が出たのです。

 

どうしてもお参りに行きたくて、主人に話して、主人も解ってくれて、

一人で田舎に帰り、妹の運転で道を尋ねながら、

「ふるや」んちに行った事があるんです。

その時もお母さんが、「よく覚えていてくれましたね。」って喜んでくたんです。

 

今回、司のお墓参りの帰りにもう一度行きたくて、

妹に頼んでいたのです。

 

道順の記憶も薄く、「大きな木があったよね?」

くらいの記憶の中、

ふるやんちが見つかりました。

 

「お母さん、お父さん、元気でいるかな?」

「私の事、覚えていてくれるかな?」

 

そんな事を話しながら。。。

 

ふるやのお母さん、

元気でいてくれました。。。

私の事も覚えていてくれました。。。

 

「突然でごめんなさい。」と言いながらただただ涙が流れました。

「今年、私達、還暦なの。

ふるやは17歳で逝っちゃったけど、私、元気でいられたから、

どうしてもお参りに来たかったです。」

 

「よく来てくれましたねぇ~」って言うお母さんの笑顔が

あの頃の「ふるや」の笑顔にそっくり。。。

 

奥の座敷のお仏壇。

お仏壇にはお花がいっぱい!

果物もいろいろお供えしてありました。

もう43年も経っていても、綺麗に飾ってありました。

 

遺影は高校の夏服姿。

「あの子だけは歳とらないでね。」って笑うお母さん。

私と妹は泣けて泣けて。。。

 

お線香をあげながら、

「ふるや、また来れました。

私達、今年、還暦なのよ。

私、元気でいられたから、こうして会いに来れました。

お母さんもお元気で覚えていてくれました。

後10年して、70歳まで元気でいられたら、また来るね!」

と、話しかけてきました。

 

お仏壇の前で、

「私、あの子が死んじゃった時、口が開かなくなっちゃったの。ご飯がたべられなくなっちゃの。」

って言うお母さん。。。

 

そして、妹に、

「親が先に逝くのは仕方ないけど、子供に先に逝かれるほど辛いものは、

亡くした者でなきゃわからないよね。

でも、元気でいれば、生きていればいい事もある。

頑張っていてね。」

と、声をかけてくれました。

 

「ヒザが痛くてね。」と言いながら、足を引きずりながら、

私達にお茶を用意してくれました。

 

「高校生になって手帳を貰ったって、あの子、喜んでいたの。

私が熱があって寝込んだ時があってね、菊江が学校休んだ時があって、

「母病気、学校休む。」って書いてあるの。

私、その手帳、今でも大事にもってるんだわ。」って、

話すお母さんの目にも涙が溢れていました。

 

手帳って、「生徒手帳」の事だと思うのね。。。

 

親って、ず~っと、ず~っと子供の事をひとつひとつ覚えているんだね。

ふるやのお母さんと話していると、

私もあの頃の自分に戻れたようで、

親でいる私ではなくて、

短い時間だったけど、優しい時間を過ごすことができました。

 

「後10年、私が70歳になって元気でいられたら、

またお線香あげに来ます。

お母さんも元気でいてね!絶対生きていてね!」

 

笑って手を振って、見送ってくれました。

 

「持ってって、食べてぇ。」って、なんともいえない、

田舎のアクセントがたまらない。。。

 

ハンカチに包んで頂いてきました。

 

何の予定もない私の還暦ですが、

朝一番に、母に電話をすることにしています。

「60歳」

記念の年になりました。

 

 

長くなりました。

「還暦祝い」ということで、勘弁してください。(ぺこり)

最後までお付き合い、ありがとうございました。

くらり

 

コメント (8)
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