インフルエンザ発症から、
今日で5日目。
今日までが外出禁止。
今日は体もラクになり、
いつものように戻った感じです。
私の次の日、
主人がインフルに。。。
あ~あ。。。
やっぱり。。。。。
本当にまいりました。。。
でも、病院だけは、すぐ近くにあるんです。
歩いても1,2分の所で、
先生も親切に診てくださいます。
インフルのお薬も今は一回服用するだけで大丈夫なのもあるんですね。
診察の後、
看護師さんがお水を用意してくださり、(その前に手の消毒)
その場で服用しました。
その一回きりのお薬で熱も下がり、
眠れるようになりました。
でも、弱った体が元に戻るにはやはり日数は要するんですね。
当たり前だけど、この年寄りの身体を改めて実感しました。
私が初めてインフルエンザに掛かったのが
2005年の2月14日のバレンタインデーの日でした。
とっても辛い日々が始まった日で、
忘れることができないのです。
長い記事になりますし、
面白くないので、これから先はどうぞスルーしてください。
2005年。。。
あれから14年も経ってるのに、
私にはつい昨日の事のように思えるほどです。
その日は、
バレンタインデーと言うこともあって、
午前中からケーキを焼いていたのですが、
どうも体がだるく、そのうち、節々が痛く、
ソファーに座って体温を測ってみたら、
38度4分ほどの熱。
まだ現役で働いていた主人に電話をし、
近くの病院へ行きました。
インフルエンザの検査をされた時、
もの凄く痛くて、涙がぽろぽろこぼれるほど痛かったんです。
主人に結果を報告し、
帰りにコンビニで夕食を買って来てもらったのですが、
私、全く、臭いが解らないのです。
熱が下がれば解るかな?
などと、簡単に治ると思っていたのですが、
発症して5日目、熱も下がりインフルは治ったのに、
臭いは解らないまま。
先生に耳鼻咽喉科を受診するように言われ、
その日のうちに耳鼻咽喉科へ。
「すぐに戻りますよ。」と、
耳鼻咽喉科の先生は仰り、毎日、治療に通いました。
でも、一週間過ぎても、二週間過ぎても、一ヶ月過ぎても、
全く、臭いが解らないのです。
違う耳鼻咽喉科を受診することにしました。
「もう戻りません。あきらめてください。」
そう言われて。。。
本当に絶望的になりました。
春休みで帰省していた息子に、
「お母さん、味覚まで解らなくなってない?
大きな病院で診てもらいなよ!」と、言われ、
「市立病院」へ。
(現在はもっと大きな病院になっています。)
若い青年医師でしたが、
診察台に座った私に最初に言葉を掛けてくださったのが、
「大丈夫、このことで命をなくすことないですよ。」
その時の私は、
きっと、悲しそうな顔をしてたんでしょうね。
「臭いが無くなった時に来てくれればよかったね。」とも。
検査、検査をして、結果を貰ってもう一度診察。
「私、もう二度と治らないんですか?」と聞いたら、
「わかりません。
でも、やれることをやってみましょう!」
と、仰ってくださって、
ステロイドの点鼻薬とビタミン剤を服用することになり、
一ヶ月に一度、受診をすることに決まりました。
3ヶ月過ぎた頃、
ほんのわずか?
臭いがわかるような?って感じ始めたのですが、
気のせい?ぐらいでした。
その頃、
一番辛かったのは、
料理をすることでした。
全く、何を作っても臭いが解らず、
美味しいのか?
まずいのか?
全くわからないのです。
特に、煮物は、
煮汁の色で判断。
それに、
計量カップと計量スプーンは必需品でした。
ある時、
ご近所さんが、小さな新聞の切り抜きを持って来てくれました。
「嗅覚障害」の記事で、
この「太田 康」先生の記事に書かれていることは、
今、私が市立病院の先生から受けている治療とほとんど同じことが書かれていました。
でも、どうしても、
この先生にお会いしたくて、
「自治医大病院」に電話をしてみました。
電話に出たのは男性の方で、
「紹介状」がなければダメです。というのです。
今、お世話になっている「市立病院」の先生もとてもよく診てくださっているのに、
その先生に「紹介状」を書いて欲しいなんて言えるわけない。
その事を泣きながらお話したら、
「耳鼻咽喉科の先生でなくてもいいですよ。
インフルエンザの時に診ていただいた先生でもいいんですよ。」と、
教えてくださったのです。
近くの病院の先生にお話ししたら、
「まだ臭いが解らないままなの?
イイですよ!書きますよ!」と、快く「紹介状」を書いてくださいました。
「自治医大病院」に行く!と決めた時、
主人も一緒に行くと言ってくれました。
でも、そのころは、私の中で諦めもあって、
「大丈夫!一人で行ける!」と言ったら、
「最悪な事を言われても大丈夫?」って。。。
やっぱり、少しは心配してるんだ。なんて思ったりもしました。(笑)
自治医大病院に付いて、
受け付けを済ませ、診察室の前まで案内してくださり、
自治医大の対応にびっくりしました。
本当に患者さんを大切に扱ってくださると感じました。
二度とお目に掛かれないだろうからと、
聞きたいことをいっぱいメモして行きました。
先生にお会いして、
「新聞で拝見して、どうしても診察していただきたくて。。。」
と、言いながらすでに泣きそうでした。
「ありがとうございます。」と、にっこりされたことを覚えています。
それからの、
先生の対応には本当に心から、
「この先生、なんて素晴らしい人なんだろう!」と思いました。
検査、診察をして、
「市立病院の先生と見解は同じです。
原因は解りませんが、特に悪い所はありません。
インフルエンザが原因?ということも言えません。。。
なので、これからも市立病院の先生の治療を受けることをお勧めします。」
「やっぱり、もう臭いが解るようにならないんですか?」と、
聞いたら、
困ったお顔をされた先生。
「あきらめないでください。
人間には、
自分で自分の身体を治す治癒力というものがあります。
絶対治る!絶対治すんだ!と思い続けてください。」
そう言われた時の
あの先生の私を見つめた目。
忘れた日、一日もありません。
こうして書いていても泣けてきます。
涙がボロボロこぼれたあの日の事。
一生忘れられないです。
その後、
半年ほど通った市立病院でのステロイドの点鼻薬で、
鼻の痛みが出てきたので、治療は止めることにしました。
市立病院の先生も看護師さん達もとても良くしてくださいました。
都内の大きな病院を紹介しましょうか?とも仰ってくださったのですが、
自治医大の太田先生の「治癒力」に懸けてみようと決めました。
それからというもの、
寝ても覚めて、何をしていても、
「治る!絶対治る!」と呪文のように心の中で唱えていました。
3年が過ぎた頃からか?
少しづつ、少しづつ、ほんとうに僅かですが
臭いが解るようになってきたのです。
ある時、庭で、ドクダミを抜いた時、
あのいや~な臭いが。。。
でも、私には感動でした!!
急いで手を洗って、
母に泣きながら電話をしたことも忘れられません。
母も電話の向こうで泣いていました。
5年後には、
元に戻ったのでは?と思うくらいに解るようになり、
今では、たぶん、完全に解っていると思います。
そんないきさつがあり、
私にとって、「インフルエンザ」は最強の苦手な病魔なので、
予防接種はもちろん、
十分気を付けていたつもりだったので、
本当にショックでした。
「また臭いが解らなくなる?」
この恐怖に夜中に目が覚めてはミカンの臭いをかいだり。。。
どうにか、大丈夫です!
私が市立病院に通っていた時、
「くらりさん、久し振り!」と、
声を掛けてくれた娘の中学の部活の仲間だったお母さん。
もっともっと辛い病気と闘っていました。
私を診察してくれた女医さんも。。。
今は既にお亡くなりになってしまったのですが、
やはり、忘れることができません。
何事もなく、普通に暮らせることが、
こんなに幸せな事なんだ。って、
身を持って知らされた「インフルエンザ」でした。
私が勝手に「恩人」と思っている
太田先生は
今も関東の大きな病院でご活躍のようです。
まだまだ猛威を振るってるインフルエンザ。
どうか皆様も十分お気をつけくださいね。
最後までお付き合いいただいた方々に
ありがとうございました。
くらり