タケホープの酔いどれ走遊記Ⅱ

アラカンの酔いどれランナーの実にくだらない日記
20数年ぶりのサブスリー復活を目指します。
禁酒しなきゃ無理⁉

池波正太郎まちあるき 2

2024年01月23日 | イベント

竪川と軍鶏なべ屋・五鉄

 

ボランティアガイドさんが、うなぎの蒲焼の由来を説明してくれました。

 うなぎのぶつ切りを串に刺して焼く様子が、蒲(がま)の穂に似ているから『がま焼き』→『かば焼き』に転じたというのが定説らしいです。

 

高速道路に覆われてしまった竪川(たてかわ)

竪川は、墨田区及び江東区を流れる人口河川。

江戸城に向かって縦 (東西)に流れることからこの名称になった。

旧中川と隅田川を結ぶ運河である。

 

ニ之橋

 

東京名所四十八景 本所三ツ目橋より一ツ目遠景 昇斎一景(明治4年)(後日撮影)

 

にのはし 現在のニ之橋(後日撮影)

 

    万治二年(1659)、竪川が開削されると五つの橋が架けられ、隅田川に近いほうから一之橋から五之橋と名付けられました。

その二つ目の橋で、長さ十間(18m)、幅三間(5.4m)ほどありました。

池波正太郎の「鬼平犯科帳」では、ニノ橋は「二ツ目橋」という名で数多く登場します。

鬼平が事件を解決するなかで、弥勒寺門前のお熊婆のいる茶店「笹や」へ行くにも、大川から舟で乗り付けて軍鶏なべ屋「五鉄」に立寄るにも、この橋は必ず登場し、正に欠かせない場所となっています。

 

軍鶏なべ屋「五鉄」

 

五鉄の有った場所(後日撮影)

 

 小説「鬼平犯科帳」に登場する、鬼平の行きつけの店、本所二ツ目の軍鶏なべ屋「五鉄」の場所は、「二つ目橋の角地で南側は竪川」とあるように、この辺りだと推定されます。

 鬼平とその配下の密偵たちは、ここに集まって、軍鶏なべをつついていました。

 その名物である軍鶏の臓物なべは「新鮮な臓物を、初夏のころから出まわる新牛蒡のササガキといっしょに、出汁で煮ながら食べる。

熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった」と「鬼平犯科帳」には書かれています。

 

しのはし(後日撮影)

四ツ目橋の有った通りが、四ツ目通りなんだ

コメント
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