Daily Bubble

映画や歌舞伎、音楽などのアブクを残すアクアの日記。のんびりモードで更新中。

秀山祭九月大歌舞伎千穐楽 夜の部1

2006-09-27 20:22:11 | kabuki
二度目の秀山祭夜の部に行ってまいりました。
菊畑、籠釣瓶、紅葉狩と魅力的な夜の部ですが、やっぱり籠釣瓶です!最初に観たときは、八ツ橋(福助さん)に感情移入し過ぎてしまったせいで、どうも腑に落ちなかったんですが(3階席と1階席の違い、というのもあるのかもしれません)、吉右衛門さんの次郎左衛門の狂気がぞくぞくと感じられて凄く凄く面白かった。

昨日のお芝居を振り返る前に、初めて観たときに感じたことを少し。
まず、これは「吉原仲之町」のお話だ、江戸のお話だ、ということでした。つまり、現代ではあり得ないお話だと思いました。
まず、見染の場。八ツ橋の出にアイドル的に醒めていて退廃的な美しさを感じました。それはあの笑いもそうで、吉原という場所に住む花魁(アイドル)がふと解放されたときに見せた笑い(営業スマイルじゃなくて、素の笑いなのかしら)と思ったんです。そこにまんまと嵌ってしまった次郎左衛門、と思いました。実は、私もこの福助さんの笑いに嵌ってしまい(笑。えへへ、仕方ないです。福助さん、好きなんですよね~)、このときは、福助さんしか目に入らなかったんですね。
で、縁切りの場では栄之丞のために心ならずも次郎左衛門に縁切りしなければならない八ツ橋の辛さをしみじみと感じて、涙ぐんでいました。そして、次郎左衛門も八ツ橋の間夫・栄之丞の存在を知り許してくれたんだ、と思いました。
なのに4ヵ月後、吉原に現れた次郎左衛がいきなり八ツ橋を斬り付けるのはどういうこと!?と不意打ちを喰らったように訳が分かりませんでした。大詰までは凄くいいのに、この結末が全く理解できなかったんですね。
というわけで、この日記にもupしませんでした。今なら分かるのか、って言われたら半分も分かっちゃいないのかもしれませんけど…。

さてさて、千穐楽の籠釣瓶。

もともとは、吉原の花魁である八ツ橋と、籠釣瓶という妖刀と因果譚を持ってしまった次郎左衛門が出会ったお話、だったんでしょうか?しかし、東京(茨城だけどさ…)に生きる私たちには、吉原も籠釣瓶もまるきり隔世のこと。
そのお話がこんなに面白いのは、花魁という宿命を背負ってしまった一人の女である八ツ橋と、誠実でありつつお金もあるという(今はこんな人、いないよね)ごく普通の男・次郎左衛門に宿った狂気をたっぷりと見せてくれるからかしら。

*序幕
吉右衛門さんの次郎左衛門はとっても気持ちのいい商人で、お金持ちなのに偉ぶらず、痘痕面の不気味さも見る側に憐憫を感じさせてしまうくらいの気持ちの良さで、歌昇さんの治六ともいいコンビ。
八ツ橋に一目ぼれしてしまうのが、なんともいえず可愛いの。すごく気持ち悪い顔なんだけど(失礼。)、とても簡単に分かりやすく恋に落ちてしまうのが全く恥ずかしくなくて可愛かった。

一方、八ツ橋は兵庫屋一の花魁のプライドを見せてくれる花魁道中で、またまたうっとりとしてしまいましたよ。笑いの場は、初めに見たときのほうがたっぷりしていた気がしたけど、それは私の体内時計が狂っていたのかもしれません(笑)。次郎左衛門に向けての女らしい笑いであったと、思いました。

*二幕目
立花屋の主人に幸四郎さん、女房に東蔵さん。東蔵さんのおかみさん役って、安心して好きです。
次郎左衛門はすっかり廓通いが板に付いていて、序幕との違いも面白い。で、すっかり八ツ橋にメロメロなのね。でも、八ツ橋にとっての次郎左衛門は客でしかない。女郎とお客という関係を保っていて、その上での甘えや媚びであると思いました。
そして、栄之丞(梅玉さん)の登場。浪人で八ツ橋に養ってもらっているくせに、すっきりと姿がいいから厄介です。そしてもうひとつ厄介なことに、栄之丞もまた八ツ橋を好きだってこと。どうしようもない男でも八ツ橋にとっては彼が一番で、どうしようもないことに次郎左衛門より栄之丞の方が素敵なんだもの。
見た目より中身が大事なんて言っても、生理的な部分で受け入れられないものはあるし、次郎左衛門とはお金で繋がっているからどうしても情は栄之丞に流れる。そんなことを思ってしまうのは、私が女だからなのかなぁ。

*三幕目
八ツ橋と栄之丞との絡みは、この幕だけだったんですね。でも、この二人の関係が凄く密に感じられました。
思えば、栄之丞って酷い男です。女郎という八ツ橋のおかげで生活しているのに、その客と切れろと言う。でも、八ツ橋は栄之丞と別れたくはない。それを分かった上で無理を言ってる訳じゃなくて、栄之丞は本当に八ツ橋を愛しているんじゃないかしら。次郎左衛門への嫉妬(栄之丞には金がない)と八ツ橋への執着で切れろと言っている、と感じました。

だから、次郎左衛門への待つ部屋へ入る八ツ橋は茫然自失で、それを不機嫌な様子に置き換えているんだと思いました。そして、次郎左衛門に身請けの話をきっぱりと断る。
突然の愛想尽かしに驚きながらも、なんとか八ツ橋を思い留まらせようとする次郎左衛門は、どんなになじられても八ツ橋のことだけを思いやる優しさに溢れ、その優しさの分だけ八ツ橋はなお辛くなる。
その場の芸者や幇間たちに諭されても、ただただ断ることしかできない八ツ橋があわれで、そして八ツ橋に嫌われてもまだ八ツ橋を思い、仲間に嗤われても小さく小さくなって耐える次郎左衛門が悲痛で、舞台に見入るばかりでした。
次郎左衛門の「花魁、そりゃああんまりそでなかろうぜ」の台詞が痛切に胸に響き、それを聞く八ツ橋の痛々しい顔がまた苦しかったです。

部屋を出る八ツ橋が次郎左衛門に目を背けるのも、次郎左衛門もまた俯くばかりで顔を上げられないのも、それぞれの胸のうちと境遇を分かってしまっているからが故、と思えて切なくなりました。
そして、廊下にでた八ツ橋に声を掛ける九重(芝雀さん)と八ツ橋もまた良くて、花魁であり女であることを知る九重の八ツ橋を思いやる心持ちが素敵でした。でも、九重に慰められればまた八ツ橋は辛くなる。
きっぱりと愛想尽かしをしながらも、男としての次郎左衛門に魅力は持てないでいても、やっぱり八ツ橋は己のした仕打ちを悔やんでいて、でも栄之丞を思うとどうしようもない遣る瀬無さを廊下にでた福助さんはたっぷりと見せてくれて、だから「つくづくいやになりんした」という八ツ橋の台詞がいつまでも耳に残りました。

八ツ橋が去り、同業者仲間や芸者たちが去り、がらんとした部屋に残された次郎左衛門の打ちひしがれた様子が堪らなかったです。
そして、九重のまた遊びに来てくれという誘いに、「ことによっては」と答える次郎左衛門の目に宿る一瞬の狂気が非常に恐ろしくて、あぁこのときに次郎左衛門は籠釣瓶を握ってしまっていたんだ、と気付きました。吉右衛門さん、形相が変わってましたね。怖かった。

*大詰
さて、問題の(?)大詰。初めて見たときは、八ツ橋を許した筈の(と勝手に思っていた)次郎左衛門がなぜ突然籠釣瓶を握るのか分からなかったわけですが…。
三幕目の終わりで、次郎左衛門はもう言いようの無い狂気を抱えて佐野に帰っていたんですね。だから、4ヵ月後に立花屋へ来たときは既に八ツ橋を斬るつもりでいたんでしょう。
なんで八ツ橋を斬ろうと思ったのか、は次郎左衛門自身も理解できなかったのかもしれない、と自分に都合のいいふうに思っていますが、そういう己の理解を超えた感情を狂気と言うんだとすれば、それでいいのかもしれません。
次郎左衛門は八ツ橋を斬り、女中お咲(紫若さん)を斬り、籠釣瓶に見入ります。斬られた八ツ橋はゆっくりと音も無く海老反りで床に倒れて行きますが、25日間もこんなにも美しく死んでいた福助さんは凄いなぁとしみじみ…。
次郎左衛門の目は、妖刀を見ているというより、妖刀に潜んだ次郎左衛門自身を見ているように感じました。吉右衛門さんから漂う凄まじい侠気が本当に怖かった。
凄く怖くてとても切ないお芝居でした。


*おまけ
吉原という今はもう行くことのできない廓の風俗がとっても楽しかったです。やっぱり、「花魁道中」の豪華絢爛さが素敵でしたね~。
役者さんたちの衣装も素敵でしたが、ところどころに見られる紋もまた面白いですね!八ツ橋の部屋にあった祇園守と裏梅模様とか。栄之丞の下げていた手拭いも裏梅なんですね。
勘三郎襲名興行のときの「籠釣瓶」は見逃した(というか、見なかったというか)んですが、いろんな役者さんの「籠釣瓶」を見たくなりました。亀治郎さんの八ツ橋と信二郎さんの栄之丞とかね。うーん、次郎左衛門は誰かなぁ。
そうそう、この幕の後のロビーで児太郎くんを見かけました。あと一人の小さい人は宗生くんだったのかな?彼らの「籠釣瓶」を見る日が楽しみだなぁとぼんやり思いました。いい役者さんになってね、なぁんて言うまでもないか。