「ほ~、なるほど~。」
…と言いたいがためだけに、本を読みたくなるときがあります。
そういう気分で選んだ本の1冊。
知っておきたい日本の神様
著者:武光 誠
発行:角川学芸出版
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まさに「ほ~、なるほどね~。」な本でした。
そこここにある小さな神社、たとえば、諏訪神社や神明神社、うちのあたりでは「おすわさま」、「おしんめさま」などと呼んでいますが、そういった神社がどこに連なるものなのかとか、
家にある御札を思い出しながら読むのもなかなか楽しい。
必ずしも脳ミソに蓄積されるわけではないというのが、情けないところですが。
なかには今まで馴染みのなかった神社の名前もあって、いまさらながら、すっきりしたこともありました。
そのひとつが香取神社。
こちらの神様は武芸の神様として有名でわりあい一般的な神様なのだそうです。
数年前の大河ドラマ『新選組』では、天然理心流の道場に「香取大明神」という軸が掛けられていまして、近藤勇を演じていたのが香取慎吾くんだっただけに、何だかこそばゆいような気持ちでいたのですが、これですっきり。
他には、歌聖・柿本人麻呂は、「人生まる」で安産祈願の神様にもなっているとか、荒神様は女神だったとか、脱毛症の神様がいらっしゃるとか(髪之祖関神社)とか。
本の流れとしては、古事記、日本書紀、仏教伝来などに軽く触れながら、次第に時代を下ってきまして、神格化された人間の章あたりになると、知らぬ者もないだろう菅原道真や平将門が登場。
この章には、当然家康などもいるわけですが、人を神格化し祀るというのは、もとは祟りを恐れてのこと。
この流れの中に明治の軍人や靖国神社なども出てきます。
信仰に別次元で政治や権力の影が差していることは、いつの時代も変わらないのでしょうけれど、ずっと昔は、そんなことは本当にどうでもよかったのだろうなという気がします。
毎日ご飯を炊く大事な竈の大事な火を護ってくれる、我が家の荒神さまが大切。
大切なのは生活に密着した身近な神さまたちの存在だったとすれば、系列や序列、何やらの思惑などはたいした問題ではなかったのだろうと。
そういったものがちょっと気になるのは、神さまから少し遠くなっているからかもしれません。
そこにあるものが、ありがたい、あるいは怖いから、とりあえず大事に祭る。
例えば、先日の大風や高波。
ああいうのを体験すると、これ以上怖い目に合わないように、風の神さまや海の神様をお祭りしたくなったのだろうなと…
そういえば、てるてるぼうずも神様かしら。坊主って呼び捨てですけど…。