『ぼくの母親の名前は、ヨウコという。ぼくは小さいときから、ヨウコが母親だと教えられてきた。ヨウコは、茶色い毛並みのきれいな、「犬」だった…。父1人、子1人、母1匹。おかしな家族の再生物語。』
大変なのは、自分で何かを選べないときだと思う。
いかなることにも逆らわないというのも選択のひとつだから、言われるがまま過ごすことのすべてが苦痛だとは思わない。
本当はそうしたくないけれど、そうしなければと思う時の我慢がつらいのだ。
それは子供も大人もきっと同じ。
だが、経済的な基盤を大人に依存しなければならない子供は、お金で買える自由も買えない。
ああ、子供って大変。
ハーフ
著者:草野 たき
発行:ジャイブ
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主人公の少年、真治の物思いの種は父親、祐治のこと。
犬のヨウコが最愛の妻で、真治の母親だと言う父親と暮らす真治は、自分の本当の母親がどこかにいて、自分に会いたがっていると心の中では思っている。
父親の言う言葉を鵜呑みにする年頃はもう過ぎたのだ。(はじめから無理といえば無理か。)
父親と母親と息子の3人家族。
父親と息子の親子と犬。
祐治と世間の間には隔たりがあり、世に愛犬家は多いとしても、祐治ははたから見れば常軌を逸している。
祐治も犬を人間扱いしているわけではないし、ヨウコは間違いなく犬だけれども、その上で、祐治は愛犬家なのではなく愛妻家なのだ。
真治は世間からのうっすらとした不審のまなざしと、教室の中でのあからさまな嘲りに耐えることになる。
そして事件発生。
ヨウコの失踪である。
人目もはばからぬ姿でヨウコを探す父親に、少年も動揺する。少年自身が予想外であるほどに。
というわけで、少年が自分にとって家族とはどういうものかを見つめなおす物語。
表紙がかわいかったので手に取ったのだ。
長く手元に置かないくせに表紙買いをするのはなぜかと自分でも思うが、そそられない表紙カバーというのもへんな話だから、それはそれとして。
この表紙カバーの線の雰囲気から、自分が暗い気持ちになるとは想像もしなかった。
ちなみにこちらが単行本発行時の表紙カバー。
ハーフ (teens’ best selections)
著者:草野 たき
発行:ポプラ社
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人間のヨウコは真治を産んだ後、祐治と幼子をおいて消えた。
理由は「じしんがない」。
それを理由に失踪することが是とされるかは別だが、わからないでもない。
祐治はヨウコを手を尽くして探すが見つからず、半年ほどして、「ヨウコが戻ってきました」と犬のヨウコを連れてきたのだそうだ。
そこから、真治に犬のヨウコを母と言い聞かせる生活が始まる。
そうまでして、ヨウコの不在を補わなければならなかったのはどうしてだろう。
一家を支える妻であり母である存在を求めるとしたら、おばさんが足繁く運んでくるお見合い話にのればよいだけの話である。
けれど、それではヨウコの不在は埋まらない。
新しい妻がきても、新しい母親ができても、ヨウコがいなくなったことは変わらないのだ。
彼らを置いて我が家から出て行った理由も不確かなまま残ることになる。
犬のヨウコが失踪したときに、それが再現された。
『でも、本当は父さんのことなんかキライだったのかなぁ。だから、父さんを置いていなくなってしまったのかなぁ。』
祐治はそれに耐えられない。
この疑問があってはいけないのだ。
ヨウコはこの疑問の答えを持ったまま、どこかに存在していてはいけない。
ましてや、その疑問の答えが「イエス」だったりしたら、彼らは否定されてしまうことになる。
となると、ヨウコは彼らとともにあるか、でなければ、祐治の納得のいく、そして不安を取り除く形でこの世からいなくなるかしなければならない。
そのもっとも単純な方法は葬られることではないだろうか。
ヨウコはふたりを心から愛しているけれど、死には勝てない。
だから、ふたりを置いていくしかない。
3人家族から、1人を引いたら、2人家族になる。
死が家族を引き離すのであれば、そこには愛情の有無に対して疑いを挟む余地がないはず。
消えたヨウコは消えたままであってはいけない、ちゃんと戻って、きちんとこの世からいなくならなければならない。
そういう心の手続きが祐治の中で必要だったのではないかと思ったとき、かなり暗い気持ちになった。
祐治は、ヨウコ(人も犬も)を愛していることとは別の次元で、いつかヨウコが自分の目の前で息をひきとる時を、この不自然さが終わり、安らぎが訪れる時として待ち望んでいたのではないだろうか。
「これからは2人家族だからな」と言う祐治に、そんなことを思ってしまう自分を後ろめたく思ったりする。
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