ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

志村五郎【記憶の切繪図―七十五年の回想】

2011-10-19 | 筑摩書房
 
読もうと思ったきっかけは、サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』。
評判に違わぬ面白さだったこの本の中に出てくるのが「谷山・志村予想」で、その数学者が書いた学術書以外のものがあるのかとブックマークしたのが1月。実際に手にするまで、10ヶ月もかかってしまいました。

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 記憶の切繪図 七十五年の回想

 著者:志村五郎
 発行:筑摩書房
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ご先祖様の話から始まった半生の記。うわ、そこからですか?!と、一瞬、怯みました。
興味のきっかけの話題になるまでどれだけ時間がかかるかわからないと思ったからでしたが、読み進めていくと、これが意表をついた面白さのある本でした。

個人の回想録ではありますが、昭和5年生まれの著者が生きた時代は第二次世界大戦を含む、いわゆる激動の時代であり、当時、誰もがわかっていたから書かれずにきたことはこの先消えてしまう、だからあえて書き残すという著者のはっきりとした意図により、言及も多岐に亘ります。
「ぶれない」という言葉をよく見聞きしますが、著者こそまさに「ぶれない人」かも。著者その人に不思議な魅力があります。
借り物ではない自身の考えがあり、必要と思えばそれを明らかにすることに躊躇も遠慮もありません。
効果音でいえば…びしっとか、ばしっとか、すっぱりとか。ばっさり袈裟がけ、一刀両断という感じ。
著者の歩いた後には屍累々?こんな調子だとしたら、八里四方、全部敵だったのではと心配になります。

でも、突き抜けたこの手のタイプの方は、気持ちや発言にいじめや皮肉のニュアンスがないことが多いですから、むしろ、あわれんでいるという感じの時のほうが、プライドの高そうな人たちには気に障ったかもしれません。それに、思うほど、実際に言う機会もなかったでしょう。(たぶん、黙ったまま、ダメだなと思っていたと思う。)

と、そんな勝手な想像をしてしまうくらい、いったい何様?(いえ、高名で実績も明らかな数学者ですけど。)という個性をみせつける著者ですが、人に教えること、その方法に心を砕いていらしたことが時折語られますし、心のやわらかな面を想像させるエピソードも多くあります。
かわいそうだと、谷山豊のためにぽろぽろとこぼされた涙などは、その最たるものかもしれません。
何がどうかわいそうなのかは語られていませんが、ばっさばっさと人を見切ってきたかのような印象のある著者の「情」の部分、意外にストレートなその発露が印象に残り、食卓でのその光景は夫婦の風景としても胸に迫るものがありました。

谷山豊は、フェルマー予想の証明に貢献した「谷山・志村予想」の「谷山」です。
彼のひらめきをもとに、協力しての研究が始まり、谷山の自殺後も研究を続けた著者が完成させたものであるという関連づけを方々で見た気がしますけれど、この予想について著者が書いた文章は意外なものでした。

ちなみに、この予想が証明された時、どう思ったかというインタビューでの著者の答えも、思わずにやりとしてしまうようなもの。
I told you so.
なるほど「私の予想」とおっしゃるわけです。

 
 
 

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