ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

『蟻の兵隊』を観ました。

2006-11-18 | 観るものにまつわる日々のあれこれ
日本軍山西省残留問題を扱った作品。
終戦当時、中国にあった日本軍の一部がポツダム宣言後も武装したまま、中国の内戦に参戦。
4年間を戦い、帰国後、彼ら元残留兵を国は勝手に参戦した志願兵とみなし、日本軍兵としての戦後補償を拒絶した。
一方、彼らは上官の命令で残留したと主張して、国を訴え、最高裁まで上告した。

この原告団の一人、奥村和一という既に老境にある方を追ったドキュメンタリーが『蟻の兵隊』。
各地で草の根的な上映を行い、問題を提起し続けている。

戦後60年。
当時を知る人は年々減り続けている。
あったとされる証拠も既にない。
奥村氏が中国でみつけた証拠とするものも、裁判には有効に働かなかった。

証拠を探す中国への旅で、奥村氏は当時彼が所属していた軍の存在に向き合うことになる。
現地での戦いの様子。兵士の行い。
彼もまた兵士であり、戦争の名の下に殺人を行っている。
訓練としての殺人もあった。
その当時の話を聞く奥村氏。
訓練の犠牲になったのはどのような人々だったのか。市井の人々だったのか、軍に関係し軍律に背く行動のあった人々だったのか。
執拗に問い詰める奥村氏に、その訓練をいくらかでも正当化したいという思いが見え隠れする。
インタビュアーはそれを見逃さず、彼に問う。
その気持ちがなかったとは言えないと正直に答える奥村氏。
戦争の後に生まれた私が、それを責めるわけにはいかないだろう。

中国での戦闘が、ただの殺戮ではなかったのだとわかって欲しい。
それが、彼らの戦いの、最初の思いではないかとと思う。
許されるわけではない。だが、日本軍として認められなければ、彼らは殺人を好んで行った集団に成り下がってしまうのだ。
日本軍の戦没者の霊は靖国神社にいるとされ、奉られている。
奥村氏は靖国に詣でることはしないときっぱりと言う。彼の戦友たちは、靖国にはいない。

靖国神社の境内でスピーチを行い、拍手を受ける小野田氏に、奥村氏は「美化するのか」と言葉を投げかける。
小野田氏は「美化ではない。正当化しているだけだ。」と言う。その後も何か言っているようなのだが、よく聞き取れなかった。
面識があるわけではないと思う。
だが、同じ戦争を戦って何故という思いがそうさせたのだろうか。

先の戦争に対しての思いの温度差は広がる一方だろう。
靖国をそういう神社だと知らずに初詣に出かける若いお嬢さんたちが映し出されるシーンもあった。
当時の戦いについて聞きたいと連絡をとっても、もう覚えていないという人もある。
60年経っているのだ。
一方、戦争を過去のものにできずに戦い続けている奥村氏。
昨日のことのように、当時の戦闘の様子を振り返る中国の人々。

非常に重いドキュメンタリーフィルム。
予告編を観たときに、これは観なければいけない、と思った。
観たいわけではない。だが、観なければならない記録だとは思ったのだ。
観終わって、矛盾も感じないわけではない。
けれど、在ったことであり、体験した方の言葉であることには違いない。
この方たちの時間の先に、私の時間があることは、忘れてはならないことだと、何かをするわけではなくても、覚えておかなくてはという思いをあらたにさせられるフィルムだった。


『蟻の兵隊』公式ページ


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