ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

吉田健一【金沢・酒宴】

2012-12-25 | 講談社
 
頭がぐらんぐらんします。

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 金沢・酒宴

 著者:吉田健一
 発行:講談社
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読点がほとんどないまま長く文章は、まるで頭の中からそのまま出てきたかのようにうねうねと続き、言葉からの予想を裏切るところに寄り道した後、目的地に到着します。
「えーっと?」と、いったん考えないと言われていることがわからない。
さて、どうしたものかな、と思うような文章です。
これが「独特の文体」ですね?
なるほど。

「そうだ、吉田健一を読むんだった。」と本屋さんで思い出して、書棚を探したはいいのですが当初の目的を果たせず、結局手にしたのがこの本です。
私にとって吉田健一は翻訳家で、エッセイも含めたこの方自身の作品は初めて読みました。

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金沢の町の路次にさりげなく家を構えて、心赴くまま名酒に酔い、九谷焼を見、程よい会話の興趣に、精神自由自在となる“至福の時間”の体験を深まりゆく独特の文体で描出した名篇『金沢』。灘の利き酒の名人に誘われて出た酒宴の人々の姿が、40石、70石入り大酒タンクに変わる自由奔放なる想像力溢れる傑作『酒宴』を併録。
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『金沢』の舞台は、あの金沢です。
主人公の男・内山は、仕事で訪れたこの土地のたたずまいに惹かれ、1軒の家を手に入れます。
たまにやってくるための別荘。訪れるのは年に数回、期間もそう長くはなさそうですが、その家を内山は人が住んでいるのがわかる、ほどよい荒れ具合を保つよう、庭師さんなどに手配を頼んでいます。
風流な話です。

そして、内山はそこで何をするのか。
何もしないのです。何もせず、月が動くのを感じながら酒を飲む。とにかく飲む。
徹頭徹尾、この作品では酒に酔い、人と語らうことが続きます。
招かれた山奥の家で、寺で、料理屋で。
家のたたずまいや調度、庭、広い開口部からの眺めを愛で、主人とののらりくらりとした会話と料理と酒を楽しみます。

が、この本の中にある金沢はいったいどこにあるのでしょうか。
正解はおそらく「どこにもない」で、作品の中で終始お酒を飲んでいる主人公・内山は、心地よいと自分が感じながら飲んでいることが大切で、それがどこであることかもさして意味はないのです。
内山が主人と酒を酌み交わすうちに、川の風景はいつしか金沢から変わってシナの風情を醸し出し、果ては西洋の広い庭、狩りから帰る人々を待つ館へと変わっていき、山を観ている内山が観られている山となっていくのですから。
酔いの中の連想と思考の遊びそのままに自由に書き綴られたことについていくのは、素面ではなかなか難儀なことですが、それについていくうちには素面であることがちょっとつまらなくなってきます。
こんなふうに飲めるものなら、さぞ楽しいでしょう。
ほんとに。

印象に残ったのは解説の中の一節。
金沢には、犀川と浅野川という二本の川が流れており、悠々たる川幅を持つ犀川は高所から見下ろす眺望に妙があり、浅野川は岸辺によって流れを見つめる風情の良さがあるのだそうです。
それぞれの川は、歴史的に、犀川は武士などの支配階級の高い視座、浅野川は町人など庶民の視座から愛でられたのだとして、著者の吉田健一の精神的な背景を想像させるというもの。
ここで、泉鏡花が引き合いに出されたのもいかにも金沢らしいところです。
確かに、鏡花の作品なら登場人物は水面に佇むのが似合いそうですが、『金沢』の内山の家は川を遠景のうちに見下ろす高台にあり、登場する川はいつも犀川。
なるほどと思える解説でした。



[読了:2012-12-18]



  

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