ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

逝った子らの訪れ。【童子/文豪怪談傑作選・室生犀星集】

2009-02-06 | 筑摩書房
  
さもあたりまえのことのように言ってしまうが、私は室生犀星の詩を読んだことがない。
他の作品にも触れたことがない。
室生犀星と岸田劉生の名前が頭の中でごっちゃになってしまうことがあるくらい縁がなかったのに、いきなり怪談。
出会い方としてそれはいかがなものかと思わないでもないが、川端センセーをまともに読んだのも、このシリーズが最初であるし、気にしないことにする。
何にしても、読まないよりは読んだほうがいい。…たぶん。

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 文豪怪談傑作選・室生犀星集 童子
 著者:室生犀星
 編者:東雅夫
 発行:筑摩書房
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収録作は14篇。
『童話』、 『童子』、『後の日の童子』、『みずうみ』、『蛾』、『天狗』、『ゆめの話』、『不思議な国の話』、『不思議な魚』、『あじゃり』、『三階の家』、『香爐を盗む』、『幻影の都市』、『しゃりこうべ』。

『童話』、『童子』、『後の日の童子』は、怪談というにはあまりにいとしく、せつない作品。
作品の中で、はやくに逝った子供が、その後も心を残しながら暮らしている家族のもとを訪れる。
『童話』では母と姉が幼い弟の訪れを待ち、『童子』、『その後の日の童子』では、歩くこともできないうちに手を尽くした甲斐もなく病で逝った赤ん坊が、それよりはだいぶ成長したの姿で、両親のもとへやってくる。
彼らは静かにやさしい言葉を交わし、子らをやさしく抱きしめると、その柔らかな頬はあたたかい。
死者の魂の訪れであるのか、遺された者の記憶がつくりだす幻であるのか、それとも他の子供のなりすましであるのか。
互いに存在する場所がもう異なってしまっているとわかっていても、不確かなその訪れを待たずにはいられないのが情。
"お父さん、どうしてあなたはそのように似ているということばかり捜してあるくの。僕は誰にも肖てはいない。僕は僕だけしかない顔と心とをもっているだけですよ。"
"それはお父さんのわるいくせなんだよ。お父さんにはそういう詰らない似ているということさえせめての楽しみなんだ。"
そうであってさえも、やがてその姿が薄れていくことへの確かな予感は、消し去ることはできない。
諦めと心残りと、そして、少しずつ少しずつ薄れていく記憶。
こうやって、人は逝った人たちを生かし続け、それと同時に葬ってゆくのだろう。
それとは逆に『あじゃり』では愛しい者の死を受けいれることのできなかった高僧の姿が描かれるが、それはそれでえぐられるような痛みを伴う。

『幻影の都市』は、夜な夜な街を徘徊する男と、彼が見聞きする不思議でうっすらと気味の悪い街が描かれる。
電気を帯びた蒼白い肌の娘。車の中の死人のような男女。
夜の闇と、瓦斯灯のつくる影。
そこを歩く人々の中には、影そのものもいるかもしれない。
そんな街であれば、塔が人を呼び寄せ、飛び降りる幻想をみせるのも不思議はない。

いずれも大正時代の作品。
描き出される情景と言葉が美しい。
民話風の怪奇譚はクラシカルな情緒があり、『三階の家』、『香爐を盗む』などホラー風の作品では、ひっそりとした印象の女たちが不気味な影を濃くしていくところが怖い。
あどけない死霊のもつあたたかさが、生きてある彼女たちからは感じられない。
このシリーズの中でも怪談の雰囲気が強い1冊だと思う。






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