人が生きた証は実はちいさな出来事にこそ宿るのだという、著者のひそやかな宣言とも思える作品。
サクセス・ストーリーは多かれ少なかれ似ていると感じてしまう。
でも、思い出はどれをとっても似て非なるものに思える。
そういうことでしょうか。
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人質の朗読会
著者:小川洋子
発行:中央公論新社
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テロ事件の人質になった人々が自らを語るという設定。
そして、それが公開されるに至った経緯が、人々の物語の外枠としてあります。
その外枠の部分、外国での事件で、関係者には日本語のわかる者も少ない中であるのに、彼らの言葉には真摯に耳が傾けられたということが何よりも胸に残ります。
作中には「祈り」という言葉がありました。
ストレートすぎる…とも思います。
それは言わぬが花ではなかったろうかと。
けれども、それと同時にそうとしか言いようのないものだとも思います。
他になんと言えるだろうかと。
ひとりの人が、他でもないその人自身になった時の、あるいは、その人がその人になっていくためにあった出来事を語る声。
それは祈り、一片の呪詛も含まぬ、おそらくはこれまで生きてあったことへの感謝。
人々の物語は、彼ら自身の生の証であるとともに、語られた人々のその一瞬の証でもあります。
出版当時から評判になっていた作品でした。
「猫を抱いて象と泳ぐ」の直後の作品で、その時はもうしばらく著者の作品はいいかな…という気分だったので、文庫になってからもだいぶ手にしませんでしたが、読めば期待が裏切られることはありません。
とても美しい物語たちです。
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