ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

リオネル・ポワラーヌ 他【拝啓 法王さま - 食道楽を七つの大罪から放免ください。】

2013-10-20 | 中央公論(新)社

食への愛情あふれる1冊です。

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 拝啓 法王さま - 食道楽を七つの大罪から放免ください。

 著者:リオネル・ポワラーヌ 他
 訳者:伊藤 文(あや)
 発行:中央公論新社
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ことの発端はパリの有名パン屋の店主さんが、キリスト教での七つの大罪のひとつ「大食」にあてられている「グルマンディーズ」というフランス語を、他の言葉に変えてほしいという切なる願いをもったこと。
「美食」の意味も併せ持つこの言葉。そのために美食が罪とされることには耐えられないというわけです。
食を楽しむことは文化そのものであり、大罪とされる行為とは一線を画すどころか、美徳と悪徳ほどもかけ離れたことであるのに、と、彼は、この思いを嘆願書としてローマ法王に願いでることを決意します。
けれども、彼はこの熱い思いを遂げる前に、事故で他界。
その思いは彼の愛娘と、友人たちに受け継がれ、形となったのがこの本なのだそうです。
七つの大罪の各国語訳を比較し、「グルマンディーズ」を検討する人。
別の罪との交換を提案する人。
科学的に食を語る人。
幸せな食卓についてを語る人。
聖書からのエピソードをあげて語る人。
料理への情熱を高らかに宣言する人。
彼、リオネル・ポワラーヌへの友情と美食への愛情を言葉として携えて集ったのは、私でさえ名前を知っているアラン・デュカスやポール・ボキューズといった名だたる料理人をはじめとする食の専門家たちだけでなく、学者に医師、政治家、修道士、作家にレーサー、大学教授にデザイナーといった広いジャンルの人々。
彼らは、口々に、美食がいかに人を心身ともに豊かにすることかを語り、これが大罪とされることに異を唱えます。
これだけの人々が集めたリオネル・ポワラーヌその人の魅力も、その店のパンの味もさぞ深かったのでしょう(訳者あとがきにあった彼の店がいかに尊敬されていたかがわかるエピソードがありました。)。

美味しいものを食べるにも神様と折り合いをつけなければならないとはキリスト教がいかに根強いものかにあらためて思いますが、それをおしても美食に傾けられる熱のほうにこそ、驚かされてしまいます。
かけらも食傷しなかったと言ってしまうのはウソになりますが、美食の国といわれるフランスでならばと納得。あれこれとあげられる食べ物やエピソード、披露される知識を楽しむことができます。
私は、「何を食べているかを聞けばどんな人間かがわかる」という箴言にびくびくしてしまうような食生活を送っていますが、実際、食卓を囲む楽しさはかけがえのないものと思いますが、それにしても、この情熱はすごいです。
これが行き過ぎてしまうとやっぱりダメっぽいのは、書いている人たちにもわかっていることでそのさじ加減が読んでいて楽しいところ。思わずにやりとしてしまったり。

数多くの文章のほか、いたるところにサヴァランの箴言が散りばめられ、最後の方には、様々な美食に関する協会の説明文や勧誘の一言が驚くほどの数、並んでいます。
これをみるだけでも、人が食に傾ける情熱がわかろうというもの。
法王にも嘆願してみたくなるでしょうね。
ちなみに、嘆願が叶った時の法王はヨハネ・パウロ二世だそうですが、残念ながら結果が明らかになる前に亡くなってしまわれたそうです。
神様に伝えてくださっているかも。もしかしたら。




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