§275
Zusatz.
Wir fangen mit der fürstlichen Gewalt, das heißt mit dem Momente der Einzelheit an, denn diese enthält die drei Momente des Staats als eine Totalität in sich. Ich ist nämlich zugleich das Einzelnste und das Allgemeinste. In der Natur ist auch zunächst ein Einzelnes, aber die Realität, die Nicht-Idealität, das Außereinander, ist nicht das Beisichseiende, sondern die verschiedenen Einzelheiten bestehen nebeneinander. Im Geiste ist dagegen alles Verschiedene nur als Ideelles und als eine Einheit.
Der Staat ist so als Geistiges die Auslegung aller seiner Momente, aber die Einzelheit ist zugleich die Seelenhaftigkeit und das belebende Prinzip, die Souveränität, die alle Unterschiede in sich enthält.
§275
註解[君主権の概念]
私たちは君主権をもって始める。すなわち、個別性の要素をもって(mit dem Momente der Einzelheit)始める。というのも、(君主権の)個別性は、国家の三つの要素(※個別、特殊、普遍)を、一個の総体として自らのうちに含んでいるからである。「私」とは、くわしく言えば、もっとも個別的なものであるとともに、もっとも普遍的なものである。自然においてはまた、さしあたっては一個の個別的なものが存在するが、しかし、そうした実在する、非観念的な、相互排除的なものは、自己に安住するものではなくて、そうではなくて種々に異なった特殊なものとして互いに並存してある。精神においては、これに対して、区別される全てのものは、ただ観念的なものとして、そして一つの統一されたものとしてのみある。
国家は、そうした精神的なものとして、その要素の全てを展開してゆくが、しかし、その個別性は、魂に満ちたものであり、そして活動する原理であり、区別される全てのものを自らのうちに含む、至高のものである。
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