夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

hishikaiさんの「都下闃寂火の消えたるが如し」評(2)

2008年07月23日 | 概念論

hishikaiさん、コメントのコメントありがとうございました。

漱石の『私の個人主義』などは昔読んだ記憶はあるのですが、その細部は忘れてしまっています。

先の漱石の日記の見解の論理構造を整理されていると思いますが、hishikaiさんのおっしゃる「その原因の半分に明治以前からの庶民の土俗的信仰習慣の問題(この場合は庶民の側からの自発的な天皇信仰(の欠如)」が「戦後民主主義」はとにかく「日米開戦」にどのようにつながるのか、その論理が今ひとつピンときません。よろしければ、もう少し詳しく説明してください。

ちなみに私の場合は、伝統的に弱い「国民主権」が、結果として(おおざっぱな論理ですが)「日米開戦」や「官僚主権国家」を防ぎ得なかったと考えているからです。加藤友三郎や東郷平八郎元帥らが生きている間は、ワシントン会議に見られるように軍部の主戦論者に対する押さえは利いていたのです。彼らの死後はその重しもなくなってしまいました。しかしいずれにせよ、歴史にIFは禁物です。

そら(ANOWL)

 


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