夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

hishikaiさんの「都下闃寂火の消えたるが如し」評

2008年07月21日 | Weblog

 

hishikaiさんの記事にコメントしようとしたところ、「内容が多すぎますので208文字以上を減らした後、もう一度行ってください。」という「コメント」がまたまた出てしまいました。
「エキサイトブログ」の社長さん、雄猫と雌猫の愛のエールならとにかく、こんなことでは、まともなコメントも出来ないのではありませんか。

以下コメント
「明治天皇がご病気になられたときに、民衆がとった態度についてhishikaiさんの認識と漱石の認識には食い違いあるようです。果たしてどちらの判断が正しいのでしょうか。

確かに、国民大衆は「官命」に忠実であり、それをhishikaiさんは皇室に対する「民衆の素朴な信仰」心の現れと見られておられるようです。hishikaiさんのその判断も決して間違いであるとはいえないと思います。

しかし、漱石がそのときに「川開きの催し差留られたり。天子いまだ崩ぜず。川開きを禁ずるの必要なし。」と感じた事実も重く見るべきであると思います。
国民大衆の皇室に対する「素朴な信仰」は漱石も認めていただろうと思います。その一方で漱石は当時の「専制的」な「公権力」に問題を感じたのではないでしょうか。明治天皇崩御と同じ年に石川啄木も亡くなり、その前年には大逆事件に関係したとして幸徳秋水ら24名に死刑判決が下されています。

英国の立憲君主制を現地で肌身に実体験していた漱石にとっては、「当局による民業干渉と翻訳することで自らに納得させようとした」のではなく、強すぎる「当局」の公権力行使に対する批判、あるいは、「国会開設や租税問題」で自分たちの意思を十分に実現できないでいる弱すぎる国民の「民権」に対する批判の表明だったのだと思います。
この弱すぎる「民権」が、やがて日米開戦へ、さらに「戦後民主主義」に連なっているのだろうと思います。」

 

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