夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

6月15日(木)のTW:「平等」の強制

2017年06月16日 | 哲学一般

 

 ※20170621追記


ここで中川八洋氏の述べているように、抽象的な概念である「平等」を、それが認められる具体的で理性的な条件もわきまえずに、その限界を超えて抽象的一般的に狂信的に主張すること、つまり「悟性的な思考」によってもたらされるその破壊的な作用については警戒される必要があります。

たとえば、「親と子」「教師と生徒」「男性と女性」などの間に「絶対的平等」を主張すれば、秩序は崩壊し生命は死にます。

また「男女共同参画法」などのように、抽象的な男女平等イデオロギーに基づいて、法律的な強制によって男女の区別を無分別に解消しようとするとき、ときには男女の概念的本性を不自然に歪めて「角を矯めて牛を殺す」ようなことになりかねません。不合理な習俗文化、生活習慣などの改善は、法的な強制によるのではなく、できうるかぎり教育や啓蒙活動を通じて実現してゆくほうが弊害は少ないと思います。

もちろん「平等」概念の意義も、ただに全面的に一般的に否定されるのではなく、「平等」が正当に評価され、肯定される一定の具体的な条件を明らかにした上で認められるべきものです

要するに、「自由」や「平等」、「人権」、「平和」といった抽象的な概念についても、その意義の認められる限界を超えて、一般的に抽象的にその普遍性を狂信的に主張することによってもたらされる破壊性や害悪ついて認識する必要があります。

またたんに「平等」だけでなく、「民主主義」や「階級闘争史観」などのより複雑な抽象的概念についても同じことがいえます。「民主主義」や「階級闘争史観」などの概念、抽象的なイデオロギーを狂信して行われた政治的運動が、大衆の劣情を呼び起こして破滅を招くことになった事例は、古今東西において歴史的にも事欠きません。悟性的な政治運動ではなく、理性的な政治運動とは何か、が追求されるべきだと思います。
 

 

「平等」や「自由」「人権」などの、普遍的概念(抽象的概念)による「悟性的な思考」のもたらす問題については以下の論考などで論じています。

Allgemeine Begriffe(普遍的概念)がもたらす恐ろしい不幸

悟性的思考と理性的思考

「悟性的思考」と「理性的思考」2

10月10日(月)のTW:〔契約国家説批判〕

11月23日(日)のTW:天皇を「自然人」としてしか見れない奥平康弘氏

 

 

 

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